偉業は難易度では決まらない。

今更ですが、当たり前の話です。

何が「偉業」なのか。それは簡単な話です。何が「偉業」かは人間が決めることです。

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85年から86年、落合博満は3部門で微妙に数字を落としていますが、出塁率は4割8分7厘と歴代最高記録をマーク。

落合博満とランディ・バースは1985年〜86年、圧倒的な数字で2年連続三冠王に輝きました。

しかし、MVPに選出されたのは、落合もバースも1985年だけ。

バースの場合、所属の阪神タイガースが85年は日本一、86年は3位に終わったとはいえ、相手球団のマークがさらに一層厳しくなる2年目の三冠王の方が難易度が遥かに高かったであろうことは、誰が考えても明らかです。

当時の落合とバースの存在感は、現在の村上宗隆を凌駕するものでした。一部メディアは「もし、今年のMVPも落合とバースを選んでしまうと、来年も再来年も…となってしまう」と、「公平性」が選考に影響を与えたと今なら大炎上の説明をしていました。

前置きが長くなりました。

MLB、大谷翔平とアーロン・ジャッジのMVP争いについて、複数の米国メディアも「公平性」をほざき始めています。

「防御率3点、本塁打30本はありえない。多くの人が麻痺しているが防御率4点、20本塁打でもありえない。一方で、ジャッジはありえる」。

「しかし、だからと言って今年も大谷を選んでしまうと彼が怪我で長期欠場しない限り、彼の年齢による衰えを待つまで彼がずっとMVPになってしまう」。

…共産主義か?

「記者も飽きたのかもしれない」というわけのわからない、ジャッジ支持の意見まであります。

大谷とジャッジ。どちらが難易度の高いパフォーマンスを見せているのかは、100人に聞いて100人が大谷と答えるでしょう。

もし、大谷がギアを踏むのが〝去年から〟ではなく〝今年から〟だったなら、文句なしでMVPだったのでしょう。

どうでもいい話を書き連ねてしまいましたが、人が決めることに大きな価値はありません。それはノーベル賞のアホ歴史もしっかり証明してくれています。





あーー、スタンド越えたと思いましたが…The Juice Box(ミニッツメイド・パーク)の左翼フェンス、高いなあ。