誰が大谷翔平を創ったのか?


野球という一面だけを見て、こんなことをいうのは間違っているのでしょうが、まず最初にご両親の教育が立派であったのは間違いありません。

そして、人を中心とした周りの環境も素晴らしかったのでしょう。

しかし、誰が二刀流を創ったのか?となると、これはもう、北海道日本ハムファイターズのおかげです。

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「大谷翔平君へ 夢への道しるべ」。史上最高のプレゼン資料の一つです。


大谷はプロ入りに際して「MLBに行く」と、NPB入りは眼中にないと宣言していました。

高校時代の目標達成シートの真ん中は「8球団競合のドラフト1位」でした。

そして、あの〝マンダラ〟のどこを探しても二刀流へのこだわりを見つけることが出来ません。

それどころか、打者としての目標はどこにも見当たらないのです。

あれを書いた大谷翔平は「フォーク完成」「インステップ改善」などを意識する投手として、ドライチでNPB入りするのが目標だったのです。

もし、北海道が大谷を説き伏せることに失敗していたら、大谷が投手としてMLBのビッグクラブに入団していたことに疑問の余地はありません。

その行き先はロスアンゼルス・エンジェルスであるはずはなく、西海岸か東海岸のビッグチームだったでしょう。

デビューイヤーで、投手でとして4勝を挙げ、打者で2割8分5厘・22本塁打を打って野球界に衝撃を与えた大谷。

もし、投手に専念していたら?

あるいは、可能性を見出されて打者に専念していたら?

今以上の数字を残していた、というのは否定するのが難しい仮説です。



高校三年秋のドラフト時点で大谷の頭の中に二刀流など全くなかったというのは、多くの人が忘れている驚愕の事実です。




「夢への道しるべ」。

北海道日本ハムファイターズが大谷翔平を獲りに行かなかったとしたら…?

私たちは今、ヤンキースタジアム、あるいはドジャースタジアムで、どんな光景を見ていたのでしょうか。