年齢を重ねて何が変わったかというと、間違いなく人に声をかけられることが多くなりました。
知人はもちろんですが、見知らぬ人からも道を聞かれたり、酒場で話しかけられたり。
そんなことが、多くなりました。
良くいうとモテ期です。
先日も、銀座の街でソフトクリームをナメていると「これ、なぁに?」と、小さな子どもの声が。
ソフトクリームにフォーカスしてて、目の前に子どもがいるのに気づきませんでした。
まだ小学生にも満たない小さな男の子。
彼が指差してたのは、アスファルトの路面に貼られた小さなシール。


こんなやつです。
この子のお母さんかお父さんはどこに行ったんだろうと、思いつつも「これは道路の下にあるガス管の場所や方向を教えてくれるシルシなんだよ」と言うと、彼は「ガスカンって何?」と聞いてきて、2人でしゃがみ込んでしばらく話し込んでいると、背後から「しょー君、どうして離れるのよ」とお母さん登場。
すぐ近くのドラッグストアで買い物をしてて、しょー君がはぐれたようでした。
お母さんは「ありがとうございます、色々教えて頂いて。さっき私も聞かれたんですが、分からなくて」と、ずっとそばで私たちを見ていたようです。
「すごくわかりやすくて勉強になりました、ありがとうございました」と丁寧にお礼を告げる母子と別れた私は「幸せそうな母子だな」と手をつないで歩く母子の後ろ姿を見送りながら「まあ、世の中ってそうとは限らないからなあ」と、変な感慨に耽ってしまいました。
地中に埋まっているガス管が地上からは見えないように、人の幸せなんて見かけで分かるわけがありません…。

そして、休日出勤した今日は浮浪者から声をかけられました。
あの男の子に声をかけられた場所から、ほど近い通りで。
歩道の真ん中でへたり込んだ浮浪者は「そこのコンビニはどうして閉まってるのですか?」と、通りがかった私を見上げて聞いてきました。
私は「コンビニが閉まってるなんてまずないけど、商品の入れ替えとか、店内のメンテナンスとかかな?」と答えました。
マスクもせず、銀座の人混みの中で生きる浮浪者。
私は「コロナ流行ってるけど、体は大丈夫ですか?」と気遣うと、彼は「コロナ?」「コロナ?」と何度も怪訝そうに聞き返してきました。
私は「ほら、みんなマスクしてるでしょ」と、自分のマスクを指差すと、浮浪者が周囲を見回し「ああ、今日はマスクしてる人が多いなあ」と呟いたので、愕然としました。
「いや、今日だけじゃない!いま気づいたのか?」。私はそう言いかけて、やめました。
この浮浪者は、パンデミックを知らない!
毎日、銀座を徘徊してるというのに、みんながマスクをしていることにも気づいていない…。
パンデミックの以前から見かけた浮浪者だったので、世間の重大事を知らないのは当たり前といえば、当たり前です。
東京のど真ん中で、コロナ禍を全く知らずに生きることが出来るとしたら、彼のように暮らすしかありません。
そして、人々がみんなマスクして歩くようになっても、その変化に気づかない。
毎日、自動販売機の取り忘れの釣り銭や残飯にありついて生きる彼らは、世間から見たら最底辺の暮らしに映るでしょう。
そう言う私も、浮浪者から見ると彼らと同類と感じるものがあったから声をかけられたのかもしれません。
彼らもまた固いアスファルトの下に見えないガス管を抱えているはずです。
あの浮浪者も。もちろん、私も。
世間から見て最底辺だからといって、彼らが一番不幸だと決めつけるのは、もしかしたら間違いかもしれません。
彼らは幸福ではないかもしれませんが、悲しいかな、世の中にはもっと不幸な人もいるでしょう。
もっと言えば、心の中を走るガス管は、たとえば本人でも見えないのかもしれません。
きちんとしたガス管の地図をもとに貼られたはずのあのGマークシールですら「実際の位置とは異なる場合があります」と断り書きがあるのです。
幸せか?
そう聞かれたら、あの浮浪者も私も同じように答えるかもしれません。
「わかんなねぇな」。
…彼が閉まってると言ったコンビニの前を通ると、しっかり営業していました。
知人はもちろんですが、見知らぬ人からも道を聞かれたり、酒場で話しかけられたり。
そんなことが、多くなりました。
良くいうとモテ期です。
先日も、銀座の街でソフトクリームをナメていると「これ、なぁに?」と、小さな子どもの声が。
ソフトクリームにフォーカスしてて、目の前に子どもがいるのに気づきませんでした。
まだ小学生にも満たない小さな男の子。
彼が指差してたのは、アスファルトの路面に貼られた小さなシール。


こんなやつです。
この子のお母さんかお父さんはどこに行ったんだろうと、思いつつも「これは道路の下にあるガス管の場所や方向を教えてくれるシルシなんだよ」と言うと、彼は「ガスカンって何?」と聞いてきて、2人でしゃがみ込んでしばらく話し込んでいると、背後から「しょー君、どうして離れるのよ」とお母さん登場。
すぐ近くのドラッグストアで買い物をしてて、しょー君がはぐれたようでした。
お母さんは「ありがとうございます、色々教えて頂いて。さっき私も聞かれたんですが、分からなくて」と、ずっとそばで私たちを見ていたようです。
「すごくわかりやすくて勉強になりました、ありがとうございました」と丁寧にお礼を告げる母子と別れた私は「幸せそうな母子だな」と手をつないで歩く母子の後ろ姿を見送りながら「まあ、世の中ってそうとは限らないからなあ」と、変な感慨に耽ってしまいました。
地中に埋まっているガス管が地上からは見えないように、人の幸せなんて見かけで分かるわけがありません…。

そして、休日出勤した今日は浮浪者から声をかけられました。
あの男の子に声をかけられた場所から、ほど近い通りで。
歩道の真ん中でへたり込んだ浮浪者は「そこのコンビニはどうして閉まってるのですか?」と、通りがかった私を見上げて聞いてきました。
私は「コンビニが閉まってるなんてまずないけど、商品の入れ替えとか、店内のメンテナンスとかかな?」と答えました。
マスクもせず、銀座の人混みの中で生きる浮浪者。
私は「コロナ流行ってるけど、体は大丈夫ですか?」と気遣うと、彼は「コロナ?」「コロナ?」と何度も怪訝そうに聞き返してきました。
私は「ほら、みんなマスクしてるでしょ」と、自分のマスクを指差すと、浮浪者が周囲を見回し「ああ、今日はマスクしてる人が多いなあ」と呟いたので、愕然としました。
「いや、今日だけじゃない!いま気づいたのか?」。私はそう言いかけて、やめました。
この浮浪者は、パンデミックを知らない!
毎日、銀座を徘徊してるというのに、みんながマスクをしていることにも気づいていない…。
パンデミックの以前から見かけた浮浪者だったので、世間の重大事を知らないのは当たり前といえば、当たり前です。
東京のど真ん中で、コロナ禍を全く知らずに生きることが出来るとしたら、彼のように暮らすしかありません。
そして、人々がみんなマスクして歩くようになっても、その変化に気づかない。
毎日、自動販売機の取り忘れの釣り銭や残飯にありついて生きる彼らは、世間から見たら最底辺の暮らしに映るでしょう。
そう言う私も、浮浪者から見ると彼らと同類と感じるものがあったから声をかけられたのかもしれません。
彼らもまた固いアスファルトの下に見えないガス管を抱えているはずです。
あの浮浪者も。もちろん、私も。
世間から見て最底辺だからといって、彼らが一番不幸だと決めつけるのは、もしかしたら間違いかもしれません。
彼らは幸福ではないかもしれませんが、悲しいかな、世の中にはもっと不幸な人もいるでしょう。
もっと言えば、心の中を走るガス管は、たとえば本人でも見えないのかもしれません。
きちんとしたガス管の地図をもとに貼られたはずのあのGマークシールですら「実際の位置とは異なる場合があります」と断り書きがあるのです。
幸せか?
そう聞かれたら、あの浮浪者も私も同じように答えるかもしれません。
「わかんなねぇな」。
…彼が閉まってると言ったコンビニの前を通ると、しっかり営業していました。
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