日本人に最も馴染みのある階級は?

そんな多数決を採ると、おそらく「あしたのジョー」のバンタム級が一番かもしれません。しかし、ジュニアフライ級も私たちの記憶に鮮烈な印象を刻み続けてきた階級です。

そして、世界的にはほとんど無視され続けた階級ですが、輝かしいスポットライトが当てられた一瞬の刹那がありました。
ジュニアフライ
従来の最下限クラスであるフライ級(112ポンド)からさらに削って、WBCが 108ポンドの新設階級ジュニアフライを創設すると発表したのは1975年。

WBAもすぐに追随しますが、ファンやメディアからは冷ややかな目で見られます。

フライ級やバンタム級ですら「ミゼットボクシング」 と揶揄されることもあったのに、さらに軽いクラスを作る必要が、団体の認定料稼ぎ以外に何があるというのか?

階級を増やすことは王者の質と価値を貶めるだけ。

…全ての水増し階級がそうであったように、ジュニアフライ級も厳しい逆風の中で船出しました。

そして、ボクシング界の荒波は海だけでなく、腐った船の中でも吹き荒れるのでした。

WBC初代王者決定戦は1975年4月4日、フランコ・ウデラとバレンティン・マルティネスが争い、ウデラが勝利。

しかし、WBCとパラグアイのプロモーターが画策し、ラファエル・ロベラとの防衛戦に応じないウデラからタイトル剥奪。ロベラとルイス・エスタバの間でまたもや王座決定戦が行われます。

エスタバは当時37歳。試合はWBCとパラグアイの陰謀通りに決着すると思われましたが、ロベラがあまりもあっけなく4ラウンドKO負け。

そして、WBCはファンやメディアの疑惑に答えるとしてロベラの戦績を調査、この試合がプロデビュー戦だったことを発表します。

多くの人が考えた「パラグアイ陣営に騙された」というWBCもグルだったというのが、おそらく事実でしょう。

「軽量級の新設階級なら何をしてもバレない」とでも思っていたに違いありません。

「西岡利晃の同じ相手に4連続挑戦4連続失敗」など、人気階級ならあるまじき好き放題が許されるのが、軽量級の闇です。

そして、ベネズエラ人のエスタバは40歳になるまで王座に君臨、11連続防衛を果たします。

一方のWBAも王者決定トーナメントを実施。1975年8月23日にパナマのハイメ・リオスがリゴベルト・マルカーノを下して初代王者に。

中米のボクサーが始祖となった108ポンドでしたが、程なくして日韓の黄金時代に突入します。