現在のいわゆるMajor4の成り立ちを一通り説明したと思いきや、WBOがまだ途中でした。

ポール・バトラーや、井岡一翔、今月だけでも二人のWBO王者が日本のリングに上がります。

World Boxing Organization (WBO) が設立されたのは1988年。

WBAの諮問機関であったWBC、やはりWBAの北米管轄部署のUSBAがWBAから分離独立したように、WBOもまたWBA内部の派閥が分離独立して発足した団体です。

離反した3団体はいずれも表向きは「腐敗したWBAから独立して公正なチャンピオンシップ制度を持つ民主的な団体」を標榜します。

腐敗団体の内部抗争から生まれた新団体が公正や民主的であるわけがありません。

内部抗争の原因は利権争いと相場が決まっていますが、ボクシングの場合はここに国や地域の思惑も錯綜します。
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すでに紹介済みですが、WBCは米国主導の体制に反発したメキシコが半ば国策的に作り上げた団体です。WBCは〝メキシコの第3セクターによる世界ボクシング協会〟です。

WBCの誕生に敵対した中南米諸国の勢力によって、WBAの米国離れが加速すると、IBFが米国回帰を目的に画策・設立されました。IBFは〝Made in USAの世界ボクシング協会〟。

そして、WBOを後押しした地域勢力は、プエルトリコを中心としたカリブ海でした。

WBAの前身であるNBAも、ニューヨーク州アスレティック・コミッション認定の世界チャンピオン、世界ランキングに対抗して設立された〝新興団体〟であったことを考えると、このスポーツに流れる血液型、DNAの性格がよく理解できます。

要は、腐敗が腐敗を生み続けてきたのです。 

WBCやIBFと同様に分離独立直後のWBOは、現在のIBAやWBFのように真っ当な認定団体とは見なされていませんでした。欧州で〝準〟メジャー団体と認められている、今のIBOよりも脆弱な勢力でした。

それでも、トーマス・ハーンズの史上初の4階級制覇に加担、1992年バルセロナ五輪の金メダリスト、オスカー・デラホーヤを取り込み、ビタリとウラジミールのクリチコ兄弟、マルコ・アントニオ・バレラ、ナジーム・ハメド、マニー・パッキャオらを認定する中で1990年代後半には主要団体の一つに数えられるようになりました。

WBOが主要団体と認められた最大の要因は、人気選手の囲い込みで〝既成事実〟を積み重ねたことではありません。そうであるなら、IBOもとっくの昔に主要団体の仲間入りをしているはずです。

主要団体になるために、最も有効な〝印籠〟となるのは「WBAから分離したという血筋」です。その血統によって初めて、WBAの対立団体という構図が成立するのです。

WBOの施策は人気選手への優遇と、WBAやWBCが批判されている同一階級でのタイトル乱造を控え、統一戦や複数階級制覇に乗り出すスター選手からIBFのように杓子定規にタイトルを剥奪することを抑制することでした。

この結果、最後発でカリブ海拠点というローカル団体にも関わらず 、ビッグファイトでの露出では先輩団体に引けを取らないようになりました。

このWBO体制を築き上げたのが、3代目のフランシスコ・バルカルセル。プエルトリコの法律家でした。

バルカルセルがトップに立ったのは1996年、もう26年もその座にしがみついています。

ーーーWBOの光と陰に続きます。