今回は特定の1冊を離れて、一人のスター選手の生き様を振り返ります。

とはいえ、まだ引退していませんから、振り返るには早すぎます。

辰吉丈一郎、52歳。

最後にJBC公認の試合に出場したのは2003年9月26日ですから、もう19年前のことになります。

JBC非公認の試合でもタイで戦った2008年3月8日からでも14年間、男は戦いの舞台に上がっていません。 

それなのに、未だに「現役」で「世界王者」を目指すとほざいているのです。

アホです。

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日本ボクシングの黄金期が1960年代であったことは、当時を全く知らない私でも数多くの先輩方や活字などからよくわかっています。

そんな黄金時代から四半世紀以上も経って現れた辰吉は、現代の村田諒太や井上尚弥も及ばない強烈なオーラをまとっていた、いや過去形はいけませんね、オーラをまとっている異質のヒーローでした。

そして、日本列島を熱狂させたという点では劣っていても、その妖しいオーラはファイティング原田にもなかった特別な種類のものだったかもしれません。

デビュー前から専門誌が辰吉を大きく取り上げ、異例の特集記事を組みました。

「大阪帝拳でデビューを待つ天才少年がいる」「六車卓也とのWBAバンタム級王者決定戦に出場することアサエル・モランをスパーで圧倒した」「ファイティング原田を超える逸材」…。

そして、世界王者になるとそのフィーバーはさらに加速しました。

村田諒太がミドル級で世界王者になっても、井上尚弥がWBSSで優勝しても、辰吉のような注目を集めることは出来ませんでした。

「辰吉の時代からボクシングの社会的存在感が下落しているだけ」かもしれませんが、ビクトル・ラバナレスの乱打戦に巻き込まれて初防衛戦に散ると、Number誌までが特別増刊号を発行し「Never give up」と熱いエールを送ります。

「テレビ視聴率」という視点ではファイティング原田の足元にも及ばす、後年の亀田興毅の後塵を拝する有様で、日本列島での関心度・注目度はNo.1とは到底言えませんでした。

しかし「メディアやファン」の視点、もっと詳しくいうと「メディアやファンの期待」「メディアやファンの思い入れ」では村田や井上は比べるべくもなく、私の知らない原田にも迫るボルテージを響かせていたかもしれません。

大言壮語を吐き、負けたら引退と公言していた天才少年は、世界初防衛戦で痛恨の挫折を味わい、眼疾と敗北に抗いながら、ジェットコースターのような波乱のキャリアを七転八倒してゆきます。

同じようにビッグマウスが破綻した亀田興毅が、キャリアを深めるにつれ汚濁の色彩を濃厚にしていったのに対して、辰吉の人気は衰えず、ある意味で澄み切っていきました。

圧倒的有利と見られた薬師寺保栄との団体内統一戦に敗れて「辰吉神話に終焉」(ボクシングマガジン特別増刊号)と、メディアとファンが諦めても、辰吉はボクシングにしがみつき、その姿はファンの共感を呼び起こします。

薬師寺戦ではNumber誌が戦前でも特別号を発行するなど、メディアとファンの関心は沸騰していました。

かつて「日本のボクシングファンが見たことがない景色を見せてくれる」と期待され〝世界の夢〟を託された天才少年は、敗北を重ねる中で〝浪花節〟を伝導する不器用な青年になります。

それは、しかし…。彼はけして「落ちぶれた」といいう目で見られることはなく、私たちは一人の男の生き様、航海を見せてもらっている、山岳小説を読んでいるような気分になっていたのでした。

この航海に、再び歓喜の瞬間が訪れることはない…誰もがそう覚悟しながら物語を読み進めていたのです。

そして。

ドン・キングが「(人気階級の)ライト級で活躍するスターになれる」と太鼓判を押した無敗の王者シリモンコン・ナコントンパークビューへの挑戦が決まったとき、ここで物語が終わるんだと誰もが確信し、覚悟しました。

辰吉に人生を重ねたのは、無名の日々で格闘する私たちだけではありません。

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これまでもプライベートで何度も観戦に訪れていた、のちに世界史上最高の一番打者となる野球選手は、これまで一度もしなかったことをしてしまいます。

「今日、応援に行きます」と電話したのです。

「大事な試合前の集中を損なうようなことはしたくなかったから、夕方になるまで迷ったけど伝えないわけにはいかないと感じた」。

世界史上最も多くのヒットを打つことになる男もまた、辰吉の中に自分を投影していたのかもしれません。

「会場の雰囲気がものすごくて鳥肌が立った。鳥肌が立つなんてめったにない。試合が終わったのが分かると、膝がガクガク震えていた。そんなことは後にも先にも初めて」。

それはあの会場にいた、ほとんどの観衆も同じでした。

大阪城ホールからの帰り道、物語の最終章を見届けるために、私は仕事を休んで駆けつけたというのに。

ライトアップされた美しい大阪城を眺めながら「まだ続くんかいな、辰吉はめんどくさい男やなぁ」と、喜びを噛み締めました。

あの会場にイチローがいたことを知ったのは、スポーツニュースで試合後の控室に短い祝福の言葉を伝えに入るのを見たときでした。



1997年11月22日、あの日からもう四半世紀が経とうとしています。

それなのに、辰吉丈一郎はまだ現役です。

それにしても、なんと、めんどくさい男なんでしょうか。