日本人はどうして力道山に熱狂したのでしょうか?

屈強な米国人を倒すことで、敗戦に打ちひしがれた日本国民の鬱屈を綺麗に晴らしてくれたから?

もちろん、それは大きいでしょう。

しかし、それだけなら、戦前から野球が人気だったのはなぜでしょうか?

戦前から米国映画がもてはやされたのはなぜでしょうか?

私が初めて映画館に行ったのは小学校に入ったばかりのことでした。父親に連れられて「キングコング」(1976年版)を観ました。

映画館を出て、近くの蕎麦屋で父親からアメリカ映画のスケールの大きさについて、メジャーと呼ばれるスタジオがあること、ディズニーランドやユニバーサルスタジオなど娯楽施設も持っていること、製作費が日本映画とは比較にならないこと…などなどを、教えられました。

父親がまだ少年だった戦前も、映画だけでなく米国は日本の憧れでしたが、映画や文化は追いつき追い越せると…きっと黒澤明や川端康成らのことをまじえて話してくれたと思いますが、そこまでは覚えていません。

ただ「スポーツは無理やろなあ。さっき見たキングコングに人間が向かっていくようなもんや」と笑ったのは覚えています。

そのあと野球に熱中し、プロ野球も見るようになりました。

小さな箱庭球場に飛ぶボールと飛ぶバット、アメリカでメジャーにも上がれない選手が易々と本塁打王を獲る、そんな現実を目の当たりにしても野球は嫌いになりませんでした。

藤田平や落合博満に憧れていました。

ジャイアント馬場やアントニオ猪木みたいな屈強な日本人が野球をやればアメリカでも通用するか?

そんな話が中学の部室で持ち上がったとき、誰かが「あれはプロレス、日本人にもそれなりに大きいのはいるけど、DNAなんかな、大きくなると日本人は途端に動きが鈍くなんねん。ほら、ボクシングでも具志堅とか小さいのしかいないやろ」と自嘲気味に笑いました。

私も「まあ、そうだろうな」と思いました。

ただ、日本のプロ野球が面白くないなんて全く思いませんでしたし、具志堅用高のボクシングも小さいから物足りないなんてことは全くなく、上質にエキサイティングでした。

ただ、メジャーの野球や、米国の人気階級のボクシングへの憧れと尊敬は増幅する一方でした。

父親は別の日に「鷲には鷲の飛び方があるし、雀には雀の飛び方がある」ということを教えてくれました。

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まだ、小学校でしたが、父親は「かもめのジョナサン」を、私に渡しました。

「面白くなかったら途中でやめて良い」と。

綺麗な装丁で、字も大きいのが印象的でした。

読めない漢字や、意味がわからない言葉が多かったのですが、最後まで読みました。

父親から感想を求められたとき「よくわからなかったけど、スポーツの話みたいだった」と答えると、「確かにその通りや。父さんよりよく分かってるやん」と言われました。


ジョナサンのストーリーとは関係ありませんが、たまたま大きく生まれた雀は動きが鈍いように、たまたま小さく生まれた鷲も上手に動けない…鷲には鷲の空があり、雀には雀の空がある。

雀が鷲になれないように、鷲も雀にはなれない。

映画を見終わったあとや、ふとしたときに父親は「日本人はアメリカが大好きやねん」と自虐的につぶやいていたのを思い出します。

それは「雀は本当は鷲の空を飛びたいねん」と、言ってるようにも感じました。

「かもめのジョナサン」。

今も、家のどこかにあるはずです。

先日、ボケが進んだ父親に電話して「かもめのジョナサン」の話をすると「あれは五木寛之の訳があかんねん」と、当時も愚痴ってたことを口にして、しっかり覚えていたのに驚かされました。

私は、五木寛之、好きなんですが。