1976年10月27日、辻本章次がWBAウェルター級王者ホセ・ピピノ・クエバスの強打に屈してから1年3ヶ月後の1978年2月11日、龍反町がWBCウェルター級王者カルロス・パロミノに挑戦します。

日本人が、この短い期間で2度も世界ウェルター級王者に挑戦したのです。当時もレベルの高いクラスだったとはいえ、その〝高嶺の花〟感は現在とは全く異なっていたことが窺えます。

〝king〟パロミノはメキシコ出身の米国人。天才ウィルフレド・ベニテスに敗れるまで、WBCタイトルを7連続防衛(5KO)した強豪王者です。

反町との対戦は5度目の防衛戦。舞台はラスベガス、ヒルトンホテル。〝聖地〟で初めて世界戦のリングに上がったのが反町でした。


1973年4月20日に輪島功一、1974年10月8日にオスカー・アルバラードが持つ1階級上のWBA/WBCジュニアミドル級王座に挑戦するも敗北。これが3度目の世界挑戦でした。

序盤、ジャブの差し合いに勝ったパロミノがペースを握ります。4ラウンド以降はロープとコーナーにに詰まり、王者のボディから顔面へのコンビネーションに晒されてしまいます。 

第6ラウンド終盤にはパロミノの猛攻にダウン寸前になるも、ゴングに救われます。

迎えた第7ラウンド。王者は玉砕戦法に出る反町に鋭いジャブから左右のコンビネーションで痛めつけると、最後は強烈な左フックで強烈なダウンを奪います。
o0320024610411136758

大の字に倒れた反町は、なんとか立ち上がろうともがきますが、カウントアウトされてしまいます。

当時のヒルトンは、今でいうT−MobileアリーナやMGMグランドガーデンアリーナ。正真正銘のラスベガスでした。

1階級下のジュニアウェルターや、1階級上のジュニアミドルは日本や韓国のボクサーにもチャンスがある階級でしたが「オリジナル8で層の厚いウェルターは別物」 という空気は太平洋を超えても伝わってきたでしょう。

そして…。

辻本を粉砕したクエバスは、トーマス・ハーンズに何もできないまま破壊されてしまいます。ハーンズの規格外の身長とリーチにルペ・サンチェスは「体重だけでなくフレームでもクラス分けすべきだ」と嘆きました。

反町を圧倒したパロミノはベニテスに翻弄され、そのベニテスはシュガー・レイ・レナードに仕留められてしまいます。

そのレナードからタイトルを奪ったのは、2階級下のライト級から上がってきた怪物、ロベルト・デュラン。

ボクシング史上に残る、スーパースターが繰り広げるハイレベルなラウンドロビンの火蓋が切って落とされると、日本人にとって、ただでさえ難攻不落のウェルター級は、もはや同じリングに上がることすら許されないプレミアム階級になってしまうのでした。