1980年代、FOUR KINGSはどうしてボクシングファンを惹きつけたのか?

まず、50年代をピークにボクシングのステイタスは下落を続け、アリの引退が秒読みとなった80年代には「業界全体に危機感が溢れていた」(ボブ・アラム)状況でした。
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もちろん、80年代のFOUR KINGSに、70年代のモハメド・アリやジョー・フレージャー、ジョージ・フォアマン、ケン・ノートンと比肩できる存在感はありませんでした。

しかし、そこには「ヘビー級が全てじゃないんだぜ」というマニアの恍惚がありました。

そして、何よりもマーケットはアリの後継者を渇望し、シュガー・レイ・レナードにその大役を託したのでした。

そもそもアリの代役など誰にも務まるわけがありません。それでも、レナードはアリのミニチュア版を見事に演じて見せました。

五輪金メダルからプロで破竹の連勝、ビッグネームから王座を奪い、白熱のライバル対決を繰り広げ、長いブランク明けに圧倒的不利の下馬評を引っくり返す大番狂わせを起こす…。

まさに、80年代のアリでした。

ソニー・リストンではなく、ウィルフレド・ベニテスだった。ジョー・フレージャーではなく、ロベルト・デュランとトーマス・ハーンズだった。ジョージ・フォアマンではなく、マービン・ハグラーだった…。それだけのことです。

そして、FOUR KINGSたちの舞台はキンシャサでもマニラでもなく、北米限定でした。

アリは体格や体重はもちろん、地球規模の活躍で世界を魅了しました。

ただ、それだからこそ、FOUR KINGSにはリングの外にもさまざまな〝仕掛け〟が盛り込まれました。

シュガー・レイ・ロビンソンの専売特許、PFPをリング誌などのメディアが盛んに持ち出し「ヘビー級よりもすごい」と太鼓を打ち鳴らします。

また、複数階級制覇もクローズアップ、ヘビー級にはない楽しみ方をファンに提案します。

そして、アリの時代にすでにメガファイトの定番となってしまったクローズドサーキットでファンを囲い込むことは、一般のスポーツファンを遠ざけ、ボクシング衰退を加速させた元凶でしたが、それが目を見張るような破格のファイトマネーの源泉でもありました。

FOUR KINGSが一晩で何百万ドル、何千万ドルも稼ぐという報道はボクシング界のアドバルーンの役割も果たしていたのです。

「王貞治でも年間130試合して年俸8000万円なのに」。

日本では他の選手の年俸を抑えるためにスター選手の年俸を低く発表する悪癖が根付いていましたが、米国ボクシングは各州のボクシングコミッションに税金を納めて、選手報酬を詳らかにすることで、多くの人の興味を刺激したのでした。

現実的なプロモーターの問題では、ヘビー級のスター選手を傘下に収めたドン・キングにトップランクやメインイベンツが対抗するためには、キングの布陣が手薄な階級でスターを育て、大きな興行を仕掛けるしかなかったのです。

そして、舞台装置は整い、全ては神が作ったシナリオのように進行しました。

レナードはウィルフレド・ベニテスを相手に最終回KOという劇的な初戴冠を果たし、そのレナードを世紀の大番狂わせで破ったデュランは再戦で不可解なノー・マスで棄権。

レナードvsバーンズに至っては二人が全ての引き出しを披露する、今なおボクシング史上最高傑作と呼ばれる作品になりました。

ハグラーvsハーンズは様子見や偵察とは無縁の、どちらの火力が上か、どちらの顎が頑丈かを真正面から競い合う、タイトル通りのTHE WAR、史上最高の打撃戦でした。

そして、ミドル級で絶対王政を敷くハグラーに実質5年のブランクを経て挑むレナード。

WOWOWの「黄金の中量級」(12月9日〜30日・毎週木曜日)。今から、楽しみです。