さて、旧大阪砲兵工廠化学分析所です。

先週16日土曜日の少し古いお話です。

日本がまだ大日本帝國だった時代。大阪は、世界屈指の軍事大国で最も多くの軍事工場設備=砲兵工廠を擁していました。

武器の生産拠点です。戦局が悪化すると、敵国の攻撃に曝され、多くの砲兵工廠は破壊されてしまいました。

また、無事に終戦を迎えても、老朽化などで取り壊されるケースも多かったにもかかわらず、大阪砲兵工廠化学分析所は、今なお現存する数少ない遺構の一つです。

竣工は大正8年、1919年。リング誌創刊の3年前。ボクシングファンにとっては〝紀元前〟です。

設計者は、陸軍技師・建築家の置塩章(おしお・あきら)。スタイルは、赤煉瓦のネオ・ルネサンス風の2階建て。

例えるなら、スタイリッシュなボクサーファイターです。
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おお、これは見るからにガチ煉瓦である!

妖怪人間ベムとベラとベロとかが住んでそうである!

煉瓦は、リズミカルなフランス積み。

さっき見た中之島中央公会堂の単調なドイツ積みとは、一味も二味も違う、麗しさが感じられます。
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それにしても、2階建てには見えない大きな建造物です。荘厳と表現してもいいでしょう。

兵器の開発や化学実験などが行われていたようですから、部屋は広くて天井も高かったはずです。

そして、これはおそらく「本館」で、周囲に分室と思しき建物の遺構も」残っています。

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↑分室?損傷が激しく、こぼれ抜けた煉瓦が辺りに落ちていました。

軽い興奮を愉しむ私でしたが、赤煉瓦の廃墟にはだれも興味がないようで、若者たちや家族連れ、ジョガーらは、旧大阪砲兵工廠化学分析所に見向きせず通り過ぎて行きます。

なんだか、私自身も〝通り過ぎられた〟気分でしたが、こういうのって嫌いじゃありません。

そうか、お前ら、旧大阪砲兵工廠化学分析所の艶っぽさがわからないんだ。
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これ↑なんかは本館への門と思われる遺構ですが、大阪城の城石の上に煉瓦を積み上げた江戸と大正の合作。

無茶すんなあ。

戦時中です。石垣の歴史的・文化的価値など、知ったこっちゃないんでしょうけど。
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城石と赤煉瓦、意外と違和感がありません。IMG_6239
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それにしても、赤煉瓦のこの爛れ具合…エロいです。

豊臣秀吉によって積み上げられた大きな城石と、風雪で表面が傷ついたり、抉られた赤煉瓦。

まさか、城石と赤煉瓦が、こんな形で出会うとは…。

とはいえ、どちらも日本史上に残る〝戦争の時代〟に建てられたもので、戦争という大きな共通項を抱えた遺構です。
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度重なる空襲を免れた砲兵工廠化学分析所。戦後は国の庁舎から、大阪大学工学部の校舎、自衛隊の庁舎として使われてきました。

今は廃墟ですが、往時の面影は十分に残っています。

それにしても大阪城内に、これほど見事な赤煉瓦の建造物が残されていたとは。

内部の躯体を補強、この妖艶な建物の外観と、おそらくお洒落な内観もできるだけ保存して、レストランなんかとして蘇らせて欲しいものです。

当たり前ですが、戦国時代と太平洋戦争の暗い記憶はどこへやら、今の大阪城は家族連れや若者たちが集う、贅沢な安らぎのスペースです。
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ランニングを楽しむ人も、江戸城(皇居)ほどではありませんが、よくすれ違いました。

名残惜しい旧大阪砲兵工廠化学分析所を後にして、天守閣へと続く緩やかな坂道を登ります。

いい天気です。
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落ち葉を集めて「EXPO2025」。

大阪万博まで、あと4年。きっとあっという間に、やってくるんでしょう。
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↑「銀明水井戸の井筒」だそうです。本丸御殿・台所の裏手に位置する井戸で、今も地下水が湧いてきているようです。

指先をつけると、冷たいかなと期待しましたが、生温かったです…さすが大阪。

この井戸のすぐ先に聳えるのが、桜門枡形の巨石。

江戸幕府による再築工事が始まった1624年にここに積まれたそうです。

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確かにデカい。デカすぎる。

大阪城内最大の巨石で表面積は36畳敷(約60㎡)、推定重量108トンだそう。

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さらに進むと、大阪城ホールが出現。大阪城内から見るのは初めてかも。

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そして、天守閣が近くに見えてきました。

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そして、天守閣すぐそばにも、遺構チックな建造物を発見。↓

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ヨーロッパの城を参考にしたというだけあって、所々にお洒落な意匠を見つけることができます。

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中はお土産や飲食店が。

昭和6年、1931年に昭和天皇の即位を記念して、市民からの寄付で天守閣の再建、大阪城公園の新設と合わせて建造された第四師団司令部です。

壁面はスクラッチタイプのタイルで、ガチ煉瓦ではありません。赤煉瓦フリークとしては物足りないものの、十分に味わいがあります。

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敗戦後、連合国軍に接収されたあと、大阪市警察の庁舎、大阪市立博物館として利用され、2001年、平成13年からは観光客向けにお土産や飲食を提供するMIRAIZA大阪城として生まれ変わっています。

1943年=昭和18年には、天守閣すぐ近くに地上3階、地下1階の「中部軍司令部防空作戦室」も建造されました。

その壁は爆撃に耐えられるように1メートル以上の厚みを持たせていました。

幸運にも爆撃は免れましたが、昭和45年=1970年に公演整備のため解体、取り壊されてしまいました。

どんな建物だったのか気になりますが、1943年という時期を考えると悠長に赤煉瓦やスクラッチ煉瓦を使う余裕がなかったかもしれません。

化学分析所や第四師団司令部が残されている一方で、防空作戦室が取り壊されたのは、保存するに値しないと判断されたのでしょうか。

それにしても、中高時代は喧嘩の舞台だった大阪城のあたりをこうして心穏やかに散策できる日が来るとは、人生面白いものです。

あーー、夕方4時から大昔の友人知人との集まりがあるのですが、もはやどうでも良くなってきました。

このあたりでソロキャンプでもして、焚き火しながら大阪城の朝日を拝みたい気分です。