■三部作(さんぶさく)は、同じ一つの主題を貫きながら、それぞれの物語が魅惑的な独自性を孕んでいる作品群のこと。英語ではトリロジー(英: trilogy)と呼ぶ。
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これは「三都物語」。

【第2戦:2020年2月22日 ラスベガス・MGMグランドガーデンアリーナ】

初戦のドローは、両者にとって不満の残る結果でした。

二度のダウンを奪いながらノックアウト出来なかったワイルダー は「体重を絞り過ぎたためにパワーが削がれた」と反省。フューリーも「強打を警戒して引いて戦うのは相手を勢いづかせるだけ」と真っ向勝負を望みます。

初戦からの体重の遷移は、フューリーが256½(116.3㎏)→273(123.8㎏)と16.ポンド½(7.5㎏)の上積み。ワイルダーは212½(96.4㎏)→231(104.8㎏)と、こちらは18.5ポンド(8.4㎏)増。

2人の狙いは、誰の目にも明らかです。

スピードを優先して肉体を絞った初戦から一転、2人はパワーを求めてウェイトを増やしたのです。

フューリーとワイルダー。2人は初戦から、大団円の3戦目まで一貫してウェイトを積み上げて試合に臨みました。

その他16階級ではありえない「強くなるための体重管理」を追求したのです。そこには「より弱い相手を求めて、足を痙攣させたりしながら自分も弱体化する」倒錯的で暗愚な減量とは違う、格闘技の本質がありました。

フューリーはこの試合のために、スタイリッシュなボクシングを教えるベン・ダビソンと袂を分ち、デトロイトスタイルの伝道師シュガーヒル・スチュワードを新トレーナーに迎えました。

多くのメディアとファンは初戦の内容がフューリーにとって「成功」だったと考えていただけに、トレーナー交代は意外でした。

「スチュワード」の名前の通りに、シュガーヒルはクロンクの正統継承者でした。

クロンク、デトロイトの熱い血統を受けたのはブリーランドも同じです。

しかし、シュガーヒルが「クロンク教」の原理主義を貫いたのに対して、ブリーランドは幅広いメソッドを学びながら「クロンク」をハイブリッド化していました。

より強くなるために増量した2人の巨人に付くのは、モーターシティの流儀を知り尽くした2人の名匠。大激闘の初戦から、再戦へ。その舞台裏はボクヲタをメロメロにするサイドストーリーに溢れていました。

大激闘の初戦から、クロスゲームが期待された再戦はまさかのワンサイドゲーム。この2戦を見ると、近年なら「セルヒオ・マルチネスvsポール・ウィリアムス」がそうだったように、第3戦の必要性は感じられませんでした。

そして、この再戦でタオルを投げたマーク・プリーランドを許せないワイルダー は、第3戦が決まってから気心の知れた元対戦相手のマリク・スコットを新トレーナーに選びます。

実績のないスコットを大勝負でトレーナーに起用することに世界中が「そうじゃないだろ」と首をかしげました。

ワイルダーとスコットが最初に確認したのは「どんな展開になっても絶対にタオルは投げないこと」だと公表されてからは、世間の目は「こりゃダメだ」に変わりました。

私はワイルダー の愚かさに、また失望しました。タオルを投げる、ボクサーを守ることはトレーナーにとって最も大切な仕事です。


◉ボクサーの明日を預かるセコンドの心が投げた黄色いタオル 「第34回・朝日歌壇賞」

千里馬哲虎が「山中慎介vsルイス・ネリ」を詠んだ歌です。
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「健康なままボクサーを家族に返す」のも、トレーナーの役割です。

10年以上も指導を仰いでいたブリーランドとは、名コンビに見えました。兄貴のような存在だったはずです。

もし、ワイルダーが将来、トレーナーになったら壊滅的な危機に曝されている選手を〝見殺し〟にするでしょうか?

もちろん、ライセンスを取ったばかりのボクサーが「記念」に出場する4回戦なら、相手のパンチにグラついたら、誰がトレーナーでもすぐタオルを投げます。

タオルを投げるタイミングが、経験を積んだボクサーほど〝後ろ倒し〟になるのは当然です。

それでも、山中のケースは「早すぎた」とは思いません。

あれを「タオルはこっちに相談してから投げると決めてたのに」「テンパってしまってた。経験不足」とトレーナーを責めた帝拳のトップ2は正気だったのでしょうか? 



スペイサイドの銘酒「クラガンモア」を飲みすぎて、話がどこにいってるのかわかりませんが、とにかく「フューリーvsワイルダー」第3戦です。

あの試合は、6ラウンドで、目頭が熱くなって来ました。

私好みの「敗れざる者」の物語だと、それゆえに残酷すぎる最期になると、確信しました。

勝てない、絶対に勝てない相手に最後まで、玉砕覚悟で向かって行くファイターは、敗者にはなりえません。

ワイルダーは見る者を感動させたという、プロとして最も大切な一点で「勝者」でした。

しかし、本当にそれでいいのでしょうか?

私たちはエマヌエル・ロドリゲスやオマール・ナルバエス、ウーゴ・ルイス、エイドリアン・ブローナーのようなヘタレなボクサーを軽蔑します。


彼らは「攻めないと減点」で、試合途中でも反則負けでも良いとさえ思ってます。特にナルバエスなんて最低というか、ライセンス剥奪で誰も文句ありません。

でも、それは彼らが赤の他人だから、です。

ワイルダーみたいな巨人は肉親はもちろん、友達にもいません。

フライ級とジュニアバンタム級の2階級でそれぞれ二桁防衛するなんて、アホなマニアが「数字だけ」とバカにしても、ナルバエスが友人や弟なら誇りです。

そして、彼らが友達なら「思う存分戦え。でもコーナーが止めたら受け容れろ」とワイルダーに説きます。

ノニト・ドネアやゾラニ・テテから逃げ回り「アルゼンチンの恥」と2度も烙印を押されてもナルバエスが弟なら「大きなダメージを負わずに帰ってきてくれて、ありがとう!」とお礼を言って抱きしめます。



クラガンモアは酔うなあ。12年もの42度かと思いきや、確かに12年ものではありましたがカスクストレングス、59度でした…。久しぶりに飲むと、いつも柔らかいクラガンでもやけにビートが効くなあと思ってたら…。


「ボクシングは殺し合い」「貧しくて教育が受けれない若者が何も知らずに飛び込む、殺し合い」「個人の自由というのは、殺し合いを好む残虐な人間の言い訳」「米国黒人も豊かになればボクシングから離れるようになった」。

ボクシング廃止論者の主張に、まっとうな反論を出来ますか?

「殺し合いを好む人は矯正施設に入って人間的な平衡感覚を取り戻さなければならない」「もし、誰かを殺し合せて、それを見ながら野次を飛ばし、酒を飲むなんてまともな人間ではない」。


いよいよ、狂気渦巻く、第3戦です。