新銭座(今の浜松町付近)から永楽町(丸の内付近)を繋ぐ高架鉄道。

新永間市街線高架橋が建設されたのは明治44年、1911年のことです。

まるで音符のように、東京駅から有楽町、新橋へと伸びる赤煉瓦のアーチが続きます。
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東京駅から有楽町まで、正確には有楽町第一ガードまでに特徴的なことは円形装飾、メダリオンがあることです。
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ところが、この有楽町第一ガードを越えると、明らかに赤煉瓦アーチのリズムが変わります。
 
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メダリオンが姿を消して、代わりに現れるのが3連の鉄扉です。
 
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これは何なのか?

鉄扉が外れたのかもしれないところもあり、そこを見ると左右は、扉に見せかけた装飾かもしれませんが、中央には明らかに小さな部屋が作られていました。
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と思いきや、左右の赤煉瓦が崩れた箇所では、その向こうにも、高架橋の躯体ではなく空間が。↓
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有楽町第一ガードを境にしたこの風景の一変は、建設時期の違いによるものでしょうか。

110年の歳月に色あせ、傷つき老朽した赤煉瓦ですが、完成当時は相当な美しさを誇っていたはずです。 
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この赤煉瓦アーチを山手線や東海道線が走っています。

明治の時代から、つまり蒸気機関車も走っていたのです。

そういうふうに思うと、隣接する頑強な高架を新幹線が滑る現代の光景よりも、おそらく戦後しばらくは走っていた蒸気機関車の方が、赤煉瓦のこいつらにはよく似合うのかもしれません。