秋葉原と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
「肉の万世」を思い浮かべても、万世橋駅を連想する人は、まずいないでしょう。
新永間市街線高架橋によって鉄道近代化の火蓋が切って落とされた明治。
東京の繁華街といえば銀座と万世橋でした。万世橋は中央線のターミナル駅で、現在の秋葉原駅近くにありました。
万世橋駅は1912年(明治45年)開業と言いますから、リング誌創刊のちょうど10年前になります。
1919年(大正8年)に中央線が東京駅まで延伸されると、万世橋駅はその役割を東京駅に禅譲します。
この「デラホーヤ→パッキャオ」並みに完璧な〝トーチリレー〟の物語に、多くの人は「東京駅は最初から中心ではなかった」という事実に驚き、首都の中核にかつて万世橋という名の幻の巨大ターミナル駅が存在したことに甘い浪漫を感じてしまうのです。
万世橋駅の古い写真を見ると、赤煉瓦と石積みをリズミカルに重ねた駅舎に東京駅をオーバーラップさせてしまいます。
それもそのはず、設計は辰野金吾、東京駅や大阪の中之島公会堂なども手がけた「日本近代建築の父」。
万世橋駅も典型的な「辰野式」です。
わずか7年という短い栄華のあと、万世橋は1943年(昭和18年)に営業を終え、駅舎は取り壊されてしまいます。
とはいえ、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で元の駅舎は焼失、激減した乗降客に合わせた簡素な駅舎が再建されていたので、取り壊されたのはあの赤煉瓦と白い石積みを組み合わせた辰野の名作ではありませんでした。
万世橋駅の躯体となった赤煉瓦は最も厚いところで約3mもの壁を形成していました。この画像はその分厚い壁をくりぬいた「コア抜きレンガ」です。
関東大震災で、銀座のレンガ通りが壊滅的な打撃を受けたように、レンガを躯体に使う工法は地震大国にとっては危険極まりありません。
しかし、3mもの分厚い壁となると相当の強度があったはずで、大震災でも瓦解せず、火事によって朽ち果ててしまったのでした。
東京駅も関東大震災で倒れなかったことからも、辰野金吾が耐震強度を計算して設計していたことは間違いありません。
「肉の万世」を思い浮かべても、万世橋駅を連想する人は、まずいないでしょう。
新永間市街線高架橋によって鉄道近代化の火蓋が切って落とされた明治。
東京の繁華街といえば銀座と万世橋でした。万世橋は中央線のターミナル駅で、現在の秋葉原駅近くにありました。
万世橋駅は1912年(明治45年)開業と言いますから、リング誌創刊のちょうど10年前になります。
1919年(大正8年)に中央線が東京駅まで延伸されると、万世橋駅はその役割を東京駅に禅譲します。
この「デラホーヤ→パッキャオ」並みに完璧な〝トーチリレー〟の物語に、多くの人は「東京駅は最初から中心ではなかった」という事実に驚き、首都の中核にかつて万世橋という名の幻の巨大ターミナル駅が存在したことに甘い浪漫を感じてしまうのです。
万世橋駅の古い写真を見ると、赤煉瓦と石積みをリズミカルに重ねた駅舎に東京駅をオーバーラップさせてしまいます。
それもそのはず、設計は辰野金吾、東京駅や大阪の中之島公会堂なども手がけた「日本近代建築の父」。
万世橋駅も典型的な「辰野式」です。
わずか7年という短い栄華のあと、万世橋は1943年(昭和18年)に営業を終え、駅舎は取り壊されてしまいます。
とはいえ、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で元の駅舎は焼失、激減した乗降客に合わせた簡素な駅舎が再建されていたので、取り壊されたのはあの赤煉瓦と白い石積みを組み合わせた辰野の名作ではありませんでした。
万世橋駅の躯体となった赤煉瓦は最も厚いところで約3mもの壁を形成していました。この画像はその分厚い壁をくりぬいた「コア抜きレンガ」です。
関東大震災で、銀座のレンガ通りが壊滅的な打撃を受けたように、レンガを躯体に使う工法は地震大国にとっては危険極まりありません。
しかし、3mもの分厚い壁となると相当の強度があったはずで、大震災でも瓦解せず、火事によって朽ち果ててしまったのでした。
東京駅も関東大震災で倒れなかったことからも、辰野金吾が耐震強度を計算して設計していたことは間違いありません。


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