Wednesday 5, May 2021
commission Japan Boxing Commission
promoter:Masato Yamashita (Shinsei Promotions)
日本スポーツ史におけるアンチヒーローは「亀田」だけではありません。また「亀田」が最初でもありません。
江川卓や桑田真澄、そして野茂英雄への非難轟々は「亀田」を遥かに凌ぐものでした。
ただし、この3人に吹いた、一見すると〝罪〟にしか見えなかった強烈な逆風はプロ野球の入団と移籍に関する重大な欠陥を露呈させ、システムの不備を改善に導いた、実は〝功〟でした。
もちろん「亀田」のケースもボクシング界の欠陥・欺瞞を露わにしたという部分はあるものの、のちになっても言い訳できない明白な〝罪〟を重ねたことは変わりません。
しかし、この差が「江川」と「亀田」の評価を隔てた最大の原因ではありません。
もし「亀田」が行き過ぎた〝罪〟を重ねなくても、彼らが英雄に転化することはもちろん、赦されることもなかったでしょう。
江川と桑田が〝赦され〟野茂が日本スポーツ史上に燦然と輝く英雄に昇格したのは、彼らが傑出した実力を見せてプロ野球ファンを納得させたからです。
「江川は大嫌いだけど途轍もない投手」。
スポーツファンとして、認めるしかなかったのです。そして、スポーツファンはどんなに嫌いと口にしても、途轍もないヤツが大好きなのです。
もし亀田興毅が圧倒的な実力を見せつけていたなら、全盛期のノニト・ドネアを粉砕して日本人初のFighter of the year に輝いていたなら、彼は日本のフロイド・メイウェザーになっていたでしょう。
「ボクマガの読者は俺らのことが嫌いやからな」なんてひねくれた言葉は「俺らボクシングファンにしか人気ないからなあ。ボクシングを知らない一般のスポーツファンには嫌われてるから」と余裕の睥睨になっていたはずです。
憎たらしいほど強くなければアンチヒーローたりえません。憎たらしいほど強くなければアンチヒーローの資格がないのです。
その意味で「亀田」はアンチヒーローではありませんでした。
憎たらしいほど強さを見せつけることが出来なかった「亀田」はほとんどのボクサーと同様に、4-Belt Era だから王者になれたことに異論がある人はいないでしょう。
逆にいうとこの時代で王者になるには、全く差し支えなかったと考えます。
ゴジラが「核の落とし子」だったように「亀田」は「4-Belt Era だから咲き乱れた徒花」でした。
では、彼らはどの程度強かったのでしょうか?
コメント
コメント一覧 (2)
大相撲中継の歴代高視聴率のうち、1位の1981年初場所千秋楽の52.2%(千代の富士初優勝)、2位の1975年春場所千秋楽の50.2%(貴ノ花初優勝)では、いずれも千秋楽の本割で北の湖と対戦して敗戦するも、決定戦で北の湖を下して劇的な初優勝というものでした。ちなみに、歴代高視聴率の4位は、北の湖の全休明けの1982年秋場所の初日の41.0%ですから、角界の最強の壁としてあり続けた日本全国からの知名度は、想像以上に高かったのでしょうね。
もちろん貴ノ花に千代の富士の華やかさと逃げない相撲ゆえに、当時から非常に人気があったのは言うまでもありませんけどね。
フシ穴の眼
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