「初夏にワシル・ロマチェンコ戦」。

中谷正義にビッグファイトの扉が開かれつつあります。

テオフィモ・ロペスを苦しめ、フェリックス・ベルデホを攻め落とした31歳の日本人が米国で刻んだ星勘定は1勝1敗。中谷目線で見ると、どちらも悪戦苦闘しました。

それでもテオフィモとベルデホ相手に見せた勝負根性から、ライト級ウォーズの惑星の一つと数えられるポジションを掴み獲りました。

負けたらトップ戦線離脱に直結するベルデホ戦のオッズは、プエルトリカンが1.36倍、中谷2倍。予想以上に拮抗した掛け率から透けて見えたのは、中谷の高評価以上にベルデホへの不信感でした。

リング誌は「27歳のプエルトリカンは非常に難しい相手を迎える」と書いた通りに、UPSET OF THE YEARにこの試合を選びませんでした(受賞はテオフィモvsロマチェンコ)。
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今夜はUPSET OF THE YEARで名前を残した日本人を振り返ります。

出色は60年代に三度もUPSET OF THE YEARに登場したファイティング原田。

矢尾板貞夫の突然の引退で〝ピンチヒッター〟の白羽の矢が立ったのは、まだ19歳の原田。 

1962年10月10日、蔵前国技館、世界フライ級王者ポーン・キングピッチを11ラウンドKOに砕いた試合は、8年ぶりに日本に世界タイトルをもたらした大快挙でした。
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1965年5月18日、愛知県体育館で「黄金のバンタム」から世界バンタム級王座をもぎ取った試合は今なお、日本ボクシング史上最高の勝利。

そして、敗者の側に回ってしまったのは1968年2月27日、日本武道館でライオネル・ローズを迎えた一戦でした。

WBA世界ジュニアライト級王者・小林弘も1971年7月29日、アルフレド・マルカノに足元をすくわれて敗者としてUPSET OF THE YEARに名前を刻んでしまいます。

1980年8月2日、デトロイトのジョー・ルイス・アリーナで小林が奪われたWBAジュニアライト級のベルトをサムエル・セラノから強奪したのが上原康恒。トーマス・ハーンズvsピピノ・クエバスをセミファイナルに押しやっての堂々メインイベンターでした。

ファイティング原田の60年代から各ディケイドでUPSET OF THE YEARを賑わせてきた日本人の名前は90年代、00年代と消えてしまいます。

しかし、2011年4月9日に石田順裕が大仕事をやってのけました。舞台はMGMグランドガーデンアリーナ、相手は米国最強ホープのジェームズ・カークランド。

昨年10月にはNHK「逆転人生」で世紀の大番狂わせが紹介されるなど、21世紀のシンデレラストーリーの誕生でした。

そして、2018年4月15日、横浜アリーナ。比嘉大吾は体重計の上でタイトルを失った挙句、クリストファー・ロサレスに9ラウンドでストップ負けを喫してしまいます。




▷▷▷「中谷vsロマチェンコ」は6〜7月にセットされる見通しです。

日本人がのUPSET OF THE YEARを飾る試合を、ゆっくり追いかけてゆきます。