日本経済新聞「NEXTストーリー 大リーグで生きる①」で、北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督の興味深い言葉が紹介されていました。

批判的な意見が多かった大谷翔平の二刀流挑戦について「タイムリミットを意識していた」というのです。

圧倒的な影響力を持つメディアや、発言力のある元選手ら評論家・専門家に渦巻く否定論を早い段階で沈静化させないと、革命の火は種火のうちに吹き消されかねないーーそう考えていたというのです。

「異端」が既成概念に囚われた世界の人々から奇異の目で見られるだけでなく、厳しく迫害されるのは、スポーツだけの話ではありません。

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しかし、スポーツの世界は現実社会とは異なり「異端」であることが大きな力を発揮します(現実社会でも異端が明日の繁栄をもたらしてくれることは珍しくありませんが)。

多くのスポーツで、サウスボーがオーソドックスを凌駕するのは、まさに「異端力」の典型です。




▶︎振り出した右足に重心を移す、常識外れの打法を編み出したイチロー。

▶︎ヘビー級にはありえないはずのスピードをリングに持ち込んだモハメド・アリ。

▶︎中量級のスター選手を軽量級のハイテンポで切り刻んだマニー・パッキャオ。


途轍もない火力を持つ異端の炎は、既成概念を簡単に焼き払ってきました。

現実社会では絶対に認められない異端が、スポーツの世界では恐るべきキラーの炎となって燃え盛り、常識のハリボテをいとも容易く焼き尽くすことが珍しくありません。
 

しかし、異端は最初から受け入れられたわけではありません。最初は現実社会と同じように激しく厳しい迫害を受けるのが常です。

イチローがブレイクした1994年、どのメディアも「疲労が蓄積する夏場でイチローが失速するから、首位打者争いは夏以降が本番」と書きました。

それどころか「あの打ち方では一年通して安定しない」と、振り子打法をそもそも否定する意見がほとんどでした。

カシアス・クレイが史上最凶のソニー・リストンに挑戦したとき、誰もが「クレイは殺される」と惨敗を確信しました。

そして、多くの人が忘れていますが、再戦でもリストンが有利と見られていたのです。

パッキャオがオスカー・デラホーヤに挑んだとき、ウィリアム・ヒルは1ー2と不気味なオッズを出しましたが、世界中が「パッキャオはカネに目が眩んだ」と決めつけ、日本でも「どうしてこんな試合が成立するのか?」(川島郭志)と勝敗を議論する空気すらありませんでした。

彼らは、全くもって非常識なやり方で、既成概念という素材でこり固まった常識を木っ端微塵に打ち砕いたのです。

 

しかし…。

もしイチローが1994年のプレイクに失敗しいたら、あの鮮烈なパフォーマンスは1995年に持ち越されていたでしょうか?

もし、クレイがリストンとの初戦で大方の予想通りに惨敗していたら?再戦で偉大な男はファントム・パンチを放てたでしょうか?

もし、パッキャオがデラホーヤの体格になす術もなく打ち倒されていたら、ライト級かジュニアライト級への〝出戻り〟を余儀なくされていたはずです。

 

…イチローの常識から外れたバッティングフォームは「二軍だから通用した」とされ、2年目は矯正されて、振り出し足に重心を乗せるメカニクスが野球界をインスパイアすることはなかったでしょう。

そして、クレイの惨敗によって「ヘビー級はスピードで対抗できるような甘いクラスではない」と、以降のスピードスター進出は逡巡されてしまったでしょう。

また、パッキャオがデラホーヤに惨敗していたら、短期間での階級アップを禁止するルールが設けられていたかもしれません。

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そう考えると、イチローもアリもパッキャオも「タイムリミット」に間に合った天才なのかもしれません。

しかし、一方で彼らほどの才能の火が〝時間切れ〟で吹き消されることはあり得なかったようにも思えてきます。


アリのリストン戦は、美しすぎる圧勝でした。再戦でもリストン有利だったという構図は「ホリフィールドvsタイソン2」にも似ていました。

メディアもファンも自分たちが「勝ち方が派手な選手を無条件に過大評価する」という間違いを何度も繰り返す愚か者であることを思い知らされてきましたが、これからも同じ過ちを犯し続けるのでしょう。

何かに取り憑かれたかのような軽妙なトラッシュトーク。果てはアメリカ合衆国を敵に回して勝利するという、もはやアスリートを超越した離れ業まで見せたアリでしたが、その偉大さの本質に世界が気づくには10年以上の歳月を要しました。
 
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イチローの規格外の〝デビュー〟をフロックと見る専門家も多く存在しましたが、実力の3分、大きく見積もっても5分増しでタマタマ好成績を残すのがフロックです。

あの年、20歳のイチローは3割8分5厘を残しました。フロックだとしてもベースの実力が頭抜けていることを一部のファンはとっくに気付いていました。

そして、当時は今以上に首位打者に付き物だった「打率減を恐れた調整欠場」を1試合もせずに全130試合を駆け抜けたイチローが紛うことなき本物であること、記者から「プロ1年目、後半戦のスタミナは大丈夫?」と聞かれて「シーズンが130試合って、今更知ったわけじゃないですよ。130試合出場するための準備をしないプロ野球選手はいません」と睨み返した若者が打ち方だけの異端者でないことは、それこそ火を見るよりも明らかでした。


パッキャオがデラホーヤを切り崩した、あのラスベガスの夜からボクシングの常識は変わりました。


「パッキャオがいなかったら階級飛ばしなんて簡単に考えられなかった」(長谷川穂積)。「ラスベガスに憧れるのはパッキャオが見た風景を見てみたいから」(井上尚弥)。

フェザー級時代でもうすでに「一発殿堂確実」と高い評価を得ていたパッキャオでしたが、米国では無視される軽量級という十字架を打ち砕き、本当のスーパースターの座を掴んだのはデラホーヤ戦でした。

現在まで、フライ級はおろか、フェザー級からでもウェルター級を制したボクサーは存在しません。

フライ級からウェルター級。これは、ボブ・フィッツモンズやロイ・ジョーンズJr.がやってのけたミドル級からヘビー級よりも、はるかに難易度が高く、革命的な偉業です。



私たちは、イチローの出現のあと、MLBに新たな選手カテゴリー「Two Way(二刀流)」を設けさせた大谷翔平という異端がどこまで突き抜けるのかを目撃出来る幸運に浴しています。

ボクシングでも井上と村田諒太という、日本人という色眼鏡を通してみると「異端」が戦い続けています。

しかし、厳しい言い方になりますが彼らはこの色眼鏡を外すと「異端」とは到底言えません。

「異端」への挑戦すらしていない、というのが正解です。



そもそも「異端」なんて目にすることはまずできません。「異端」はどこにでもいるでしょうが、私たちの目に触れる前に、そのほとんど全てが種火にすらならない段階で、常識と既成概念によってたかって吹き消される、というよりも、自ら朽ち果てしまいます。



ボクシングのリング上でも、日本人の「異端」を目撃する僥倖に、私たちはいつの日か巡り逢うことが出来るのでしょうか?