坂本博之と対戦したのはロジャーとジェフどちらでしたっけ?
2020-05-22 20:15:10 返信編集 yuin 114.69.64.205

懐かしい…。ジェフです。 

1995年11月25日、帝拳プロモートで開催されたラスベガスの〝 Japan Fes〟。

会場はミラージュ・ホテル&カジノ。

ミラージュはラスベガスストリップ(見抜き通り)で進められた「テーマパーク計画」の旗振り役で、火山のアトラクション「ボルケイノ」でよく知られています。

かつてはボクシングビジネスにも前向きで、MGMと〝ポスト・シーザース・パレス〟を争う対抗馬とも見られてしましたが、一気にしぼんじゃいました。

当時もフリオ・セサール・チャベスやパーネル・ウイテカー、テリー・ノリス、ウィリアム・ジョッピーらのイベントを招致、日本のボクシングファンにも馴染みがあるカジノ&リゾートです。

90年代初頭にはホリフィールドvsダグラス、タイソンvsラドックなどのメガファイトも招致。

個人的にはフェネックvsネルソンが印象的でしたが、1995年時点では「ボクシング場外戦」はMGMの圧勝、ミラージュは引き際を考えていたところでした(翌1996年でビッグファイト路線からはもちろん、ボクシング興行から離れ、21世紀になってからは5度しか興行を打っていません)。

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そんな、マグマのたぎるミラージュで開催された〝日本祭り〟は、ボールルームが会場とはいえ、有料入場者だけで2530人を飲み込みました。

幻に終わった4月25日の「井上尚弥vsジョンリール・カシメロ」は大会場(マンダレイベイ・イベンツセンター)のシートを半分以上封鎖する形で開催される予定でしたが、ボールルームで十分だったと思います。

もちろん、西岡利晃のような「パッキャオやタイソンが戦ったあのMGMのリングでメインです!」(WOWOW)のような報道は絶対NGですが。

ああいう、馬鹿をミスリードする明らかに誤解を招くことをわかっての報道は本当に最悪です。

事実は正直に伝えるべきです

この試合のメインは辰吉丈一郎でしたが、その話を始めると、またタイトルの最後に①とか入れて「ミラージュ」シリーズが延々と続いちゃいそうなので、この辺で。

坂本博之。

間違いなくThe Undefeated(敗れざる者)です。「世界チャンピオンになれなかった」だけで、ボクシングファンはどこまでも真っ正直に拳を振り回した坂本孝雄を忘れることはありません。

今の世の中には「世界チャンピオンになっただけ」で、すぐ忘れられる…それどころかそもそも記憶してもらえないボクサーも少なくありません。

さて、坂本は本当なら11月4日にやはりラスベガスでミゲール・アンヘル・ゴンザレスのWBCストラップに挑戦することが内定していましたが、東京三太サイドの事情で一旦ご破算に。

評価の高い王者相手に世界戦と意気込んでいた坂本に、調整試合10回戦として当てがわれた相手が歴戦の怪人ジェフ・メイウェザー。

ジェフの31歳という年齢は、坂本の24歳と比べるとロートル感が拭えませんが、まだまだ老け込む年ではありません。これまでにオスカー・デラホーヤ、ジョーイ・ガマチェ、ジェシー・ジェームス・レイハらと交えた拳は侮れません。

とはいえ、ビッグネームとの試合はことごとく敗北。1995年も坂本戦が7試合目と精力的にリングに上がっていますが、これまで6戦の内容は1勝3敗2分と完全に落ち目でした。

しかし…。

無骨な坂本が正面突破に固執、その愚直なアタックをフェフがいなす…誰もが予想していた通りの展開に。


前半5ラウンドは誰が見てもジェフがリードしているはずでしたが、オフィシャルは48−47*2/47-48と2−1で日本人がリードしていました。

後半に入ると、ジェフは完全にガス欠。坂本は不器用な攻撃を最後まで続けて、ジェフを削りますが決定的な場面は作れないまま試合終了。工夫のない坂本と、調整しきれてないジェフのダルファイト。

97−95*2/95−95のマジョリティデジションで、日本祭りの準主役が勝利を拾いましたが、日本から来た応援団の大歓声は地元ファンのブーイングにかき消されてしまいました。

ジェフは「ここはラスベガスじゃない、日本だ」と不満を漏らしましたが、何を寝言をほざいているのでしょうか。判定を聞いてからわかったことじゃないでしょう。最初からわかっていたはずです。

〝日本祭り〟ですからボールルームとはいえ、ミラージュに2500人を呼び込み、ゲート収入は20万ドルと破格。

これは、団体統一戦の井上vsカシメロで見込まれた数字とほとんど変わりません。しかも25年前のことです。

ちなみにメインの辰吉戦はノンタイトル。大阪でやってたら20万ドルなんてしょぼいゲートはありえませんでした。テレビも高額の放映権料を用意したでしょう。

しかし、この時の辰吉はJBCの「網膜剥離の診断を受けた選手の国内試合は許可しない」という規定から、仕方なく海外で戦うしかなかったのです。

それにしても、坂本はあの試合ですでに劣化を露呈していました。

そして、あのミラージュがボクシング興行に色気を見せていた〝短い夏〟の終わりに行われた日本祭り。

2人の不器用な人気者が上がった、異国のリング。

坂本は世界を手に入れることは出来ませんでしたが、このあとも正直で無骨なボクシングでファンを魅了しました。 

この試合が世界前哨戦となった辰吉は噛ませ犬のメキシカンに勝利を収めましたが、そのあとWBCジュニアフェザー級王者ダニエル・サラゴサに2連敗、誰もが「辰吉は終わった」と思いましたが…。