注目のホープの実力診断テスト。後楽園ホールの常連おっちゃん連中が「お手並み拝見」と厳しい視線を送るリングで躍動した若者たちを振り返ります。

酒臭いおっちゃんから「世界いけるどぉ」とダミ声で合格点をもらいながらも挫折した、ホープの光彩を切り取ります。



1987年2月1日、後楽園ホール。日本バンタム級王者・今里光男は二度目の防衛戦で注目の挑戦者を迎えます。あどけないマスクとリングの上での凶暴さのギャップで人気が急上昇していた高橋直人です。
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「今、光っている。」…19歳で日本一になった才能が挫折知らずのまま世界を極める、そんな夢を描きたくなるカウンターパンチャーでした。


当時25歳ながら31戦のキャリアを積み上げていた今里はマーク堀越らに敗れているものの、磯上修一と島袋忠の新旧ビッグネームを撃破してきた叩き上げの日本チャンピオン。

「世界に行くなら俺を倒してからだ」というまさに門番、19歳の高橋にとって難しい展開も予想された関所でした。

結果は高橋の端正なスタイルから繰り出される強打が今里を5ラウンドでノックアウト、チャンピオンカーニバルのMVPを獲得します。そして復讐に燃える今里を、6月6日の再戦でも3ラウンドで返り討ち。

1987年という年はWBAバンタムの六車卓也と、WBCジュニアウェルターの浜田剛史の東西帝拳の二人が相次いで防衛戦に失敗、日本は世界王者ゼロになっていましたから、高橋への期待は膨らむ一方でした。

しかし…高橋は2度目の防衛戦で小林智昭の乱打戦に巻き込まれて完敗、番狂わせを食らいます。

そして、1988年1月24日、世界戦線をにらんだ小林が返上した空位の王座を島袋忠との再戦となるサバイバルマッチに挑みます。

2年前に行われた初戦の舞台は優勝賞金50万円を争うA級賞金トーナメント(8回戦)、バンタム級決勝。ここでは高橋が最終8ラウンドにダウンを奪って判定で優勝(全階級通じてのMVPも獲得し賞金100万円もゲット)していましたが…。

初戦の続きを見るような、得意のカウンターで斬り合う緊迫の展開は、6ラウンドKOで島袋に軍配が上がります。

「バンタム級では減量が厳しくて、小学生にも負けるくらいに弱っていた」と悔やむ高橋もまた「より弱い相手を求めて、自分もより弱くなる」という弱体化スパイラルに疲弊していたのです。

その後、日本ジュニアフェザー級王者マーク堀越を歴史的な大逆転で下して日本タイトル2階級制覇。

ノリ・ジョッキージムとの壮絶な打撃戦も劇的なKO勝利を収めますが、この頃には定着してしまった〝逆転の貴公子〟の名付け親は、高橋のボクシングが崩壊に向かっていることを告げる死神でした。

アベジムの阿部幸四郎会長のマッチメイクには「早い段階で世界挑戦させるべきだった」「マッチメイクに遊びがなさすぎた」「大手ジムならもっとうまくキャリアを誘導できた」と後付けの批判もありますが、これがボクシングです。

もし、小林戦を鮮やかに勝利していたとしても、防御に致命的な欠陥を抱えた高橋ではWBCのミゲール〝ハッピー〟ロラやWBAの朴讃栄を相手に勝機は薄かったでしょう。

朴をノックアウトしたウィルフレド・バスケスに至っては、高橋のKO負け以外の結果は思い浮かびません。

それでも…マーク堀越をリング上で遊泳させた大逆転の後楽園ホールの夜。今なお日本ボクシング史に燦然と輝く沸騰の記憶が色褪せることは、永遠にありません。