フィリピンの内戦は「イスラム教徒」による宗教戦争、「左派勢力」による政治戦争の二本立てで進んでいます。

イスラム過激派との間で展開してきた大規模な内戦では、多くの死傷者を出してきました。



5年ほど前に、子供が留学していた縁で、留学先だったクラスの同級生たちと会う機会がありました。

「自分の国は非常に危険」と語る学生は少なくありませんでしたが、フィリピンとナイジェリアの学生が話すマニラとラゴスは次元が違いました。

マニラは私も10年ほど前に仕事で訪れたことがありますが、フィリピンは人間の残酷さと醜さの見本市のような国です。

インドネシアのジャカルタも相当な危険を感じる街でしたが、マニラは明らかにその次元が違います。 

銃器が火を噴く内戦に、強盗・誘拐などの凶悪犯罪。そして人々の貧しさにつけ込んだ臓器売買。凶悪犯罪は毎日繰り返され、フィリピンでは事件で殺された人の数は翌日発表されません。1日では正確に把握できないからです。

そんな国で、内戦が停止され凶悪犯罪がゼロになる日が年に数回あります。

実際にはゼロではないのかもしれませんが、報道されている「ゼロ」を信じてしまうほど街は平静になります。まず、車と人通りがほとんど絶えます。

ご存知の通り、マニー・パッキャオが試合を行う日です。

この日だけは宗教もイデオロギーも関係なく、フィリピン中がパッキャオを応援し、熱狂するのです。

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先日、マニー・パッキャオ基金と提携関係にあるジャック・マー(馬雲)※基金からフィリピンに新型コロナウイルスの検査キットがなんと5万個も届けられました。

「フィリピンの状況に鑑みてさらに追加調達する準備が整っている」(ジャック・マー基金)。

パッキャオは麻薬撲滅の目的のためには殺人も辞さないデュアルテ大統領を支持、同性愛者への差別発言などの他に、怪しげな新興宗教団体からの献金を断らないこと等から政敵からの非難が強まっています。

さらに、積極的に中国資本との提携を進める姿勢からは「売国奴」とも批判されています。

ーーあなたは、1億人国民の英雄ですか?それともフィリピンを滅ぼす悪魔ですか?

「この国は貧しく自然災害も多い。そして新型コロナウイルスは周辺国で重大な問題に発展している。この国を豊かにし、自然災害から守り、この忌々しい伝染病からも国民を守れるのなら、私は悪魔にだってなれる」。

ーーフィリピンを中国に売り渡すのですか?

「本気で聞いているのか?私がフィリピンをいくらで中国に売ると言うんだ?私がカネを欲しいと本気で思っているのか。カネが欲しければ、米国で稼いだカネをフィリピンに持ち帰らずに、高率の関税がかからないよう米国の市民権を取得している、とっくの昔にね」。

ーーあなたのことを売国奴と呼ぶ人たちがいるが?

「私を悪く言う人たちはこの国に学校をいくつ建てた?病院をいくつ建てた?新型コロナの検査キットを一個でも病院に送ったのか?」

ーー・・・あなたは永遠のヒーローだ。私たちはあなたを悪く言うやつらが許せないんだ。

「私の目的はフィリピンの国民を守ることだ。そのためだったら悪魔に魂も売るし、何を言われたって構わない」。「そうだ!ここは誤解のないようにきちんと書いてくれよ、ジャック・マーを悪魔だとは一言もいってないからな!(笑)」。

※アリババグループ創業者でソフトバンク取締役もつとめる立志伝中の人。

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A(相乗りタクシー運転手)

最初にあったのは軽トラックの荷台の上だ。あいつはお気楽に歌なんてうたってやがった。あんな状況で歌なんて…人間として最低の奴だよ。

「今度の街はどんな街かな〜お祭りが終わればおいしい弁当が食べれるさ〜」。

変な歌だろう?当たり前だ。あいつの作詞作曲だからな。今じゃあいつはCDを何枚も出して歌手気取りだけど、ひどい音痴だった。

狭い荷台の上には10人か15人の子供がぎゅうぎゅう詰めにされてたよ。俺たちは夜祭りの草拳闘で賭けられるんだ。1回で100ペソ(約200円)もらえたから、それだけで何日かは家族が食べることが出来た。

痛いし、怖いし、大怪我することがあっても子供が1日で100ペソ稼げる仕事なんてないから、俺たちは嫌でも戦うんだよ。

そう、俺もこっぴどく倒されて下半身不随になっちまったから、こんな車椅子生活さ。座って車の運転は出来るから、タクシードライバーでなんとか暮している。
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おんぼろトラックの荷台で歌をうたっていた少年が初めて受け取ったファイトマネーは100ペソ(200円)でした。将来、その何億倍もの報酬を積み上げるなんて、誰が想像できたでしょうか。

夜祭りの露店リング周りには座席などなく、観戦料は無料でした。2015年、史上最大のメガファイトで、少年の試合は最高で40万ドル、約4400万円の値が付けられることになります。

あの夜の草拳闘を生で見たことがある人は、人類史上最もコスパの高いショーを見ていたことになるのです。


荷台の上で吐いてしまう子もいた。車に酔うんじゃないぜ、これから戦わなければいけないことが怖くて不安だからだ。しくしく泣くやつもいた。俺か?俺は吐いたし、泣いてもいたな…。

そんな死刑執行の待合室みたいな荷台の中で、あいつは能天気に歌なんかうたうんだ。怒りで、はらわたが煮えくり返ってあいつを殴った。

そのあと、俺はまた吐いてむせてしまった。あいつは俺の背中をさすって「大丈夫か」と聞いてきた。睨み返すと、あいつは俺が吐いた胃液を見てぽろぽろ泣いていた。

吐いたっていっても貧しくて何も食べれないから、吐くものなんてない。胃液が混じった黄色い水を吐くだけだ。

会場に着くとすぐに戦わされる。吐いたり空腹で具合が悪くてぐったりしてると、棍棒で叩かれてリングに押し出されるんだ…普通はね。

でも、その日初めて会ったあいつは戦える状態にないやつの代わりにリングに上がるんだ。あいつだけじゃなく、強いやつはそうして何試合もしてファイトマネーを稼ぐのさ。

あいつは体が小さくて痩せてガリガリだったのに、信じられないくらいに強かった。そうだ、あのときからサウスポーだった。どんな大きい相手でも一発当たればバタンと人形みたいに倒れたよ。

でも、あいつはただ強いだけじゃなかった。自分がもらった報酬をリングに上がれなかったやつに配ったてくれたんだ。

最初に「お前のだ」と渡されたときは、何のことがだかわけがわからなかった。「こんなのもらえない」と返そうとしたら「これでちゃんと食べて、次はちゃんとしたゲロを吐け」と笑ってくれた。

アメリカであいつがどんどん大きくなっていくのを新聞やテレビで知るのは嬉しかったな。

嫉妬はもちろん、羨ましいとも思わなかった。純粋に嬉しかった。

だってそうだろう?あいつが大きな成功をつかむってことは、世の中には神様がいるってことだ。

あれから、大怪我をして仕事にもありつけずに、何度も死にかけてた俺をあいつは見つけてくれて、自分の会社に斡旋してくれたんだ。

そう、このタクシー会社のオーナーはあいつなんだよ。



B(東ミンダナオ島方面歩兵師団・政府軍兵士)

2009年の5月3日だ。はっきり覚えている。アメリカだと5月2日になるのかな。

あの頃は、モロ・イスラム解放戦線との内戦が激化していた。

そのとき駐屯していたダバオの前線基地は、やつらが本拠地を構えていたジャングルがすぐの激戦区だった。

入隊して3年目の新参兵だったけど、戦友は何人も死んだし、多くの市民も犠牲になっていた。

でも、その日、150万人都市のダバオの街が朝から静まり返っていたのは戦争のせいじゃなかった。

マニー・パッキャオと世界ジュニアウェルター級王者リッキー・ハットンのビッグファイトが衛星放送で生中継されるからだ。

部隊にも24時間の停戦の命令が伝わった。私は街の幹線道路を走り、停戦をアナウンスして回った。

「今から24時間、内戦は停戦状態になる。戦闘は起こらない」。

部隊の全兵士がいくつかの部屋に分かれてテレビモニターを見つめていた。

テレビの音は最大ボリュームに上げられているはずなのに、あちこちで起きるマニーコールで途切れ途切れにしか聞こえなかった。

パッキャオの入場曲「Thunderstruck 」の前奏が聴こえたと思うと、周囲は噴火したような騒ぎになった。

私も「マーニー!マーニー!」と絶叫していた。

「絶対に勝つ」「負けるわけがない」。誰もがそう口にしてたけど、本当は心配でならなかった。

この階級で最強のハットンは頑丈で簡単な相手じゃない。12ラウンド、ハットンの突進をかわし切ることは出来るのか…。

試合は、第1ラウンドから沸騰した。みんな、これ以上大きな声は出せないと思ってたのに、そんなことはなかった。第2ラウンドで試合は終わった。

やっと、テレビの音が聞こえてきた。解説者の「信じられない!」という声に、何人も「信じてなかったのはお前たちだけだ!これがフィリピンだ!」とテレビに向かって叫んでいた。

そのとき、窓ガラスが揺れて、重たく遠い音がこだました。

ドーン、ドーン、ドーン…。

ジャングルからだ。一瞬、緊張が走ったが、去年の12月にも同じことがあった。あのときは8ラウンド、今回は2ラウンド。それだけの違いだ。

解放戦線が空砲でパッキャオの勝利を伝えてきたのだ。

何人かの兵士が屋外に走った。私もついて行った。ジャングルに向けられた大砲に砲弾が込められていないのを確認すると、私たちも空砲を打った。

ドン!ドン!ドン!…。

祝砲の交換は何度も続いた。戦争相手と祝砲を打ち合うなんて、そんなこと人間の歴史上で一度でもあったのだろうか?

パッキャオの試合を見るために屋内に閉じこもっていた市民が街に繰り出し、車という車はクラクションを鳴らして勝利を喜んだ。

鼓膜が破れそうになる大騒音だったけど、みんな耳を塞ぎながら笑っていた。

奥深いジャングルにも、この大喧騒は届いているのだろうか?

「くそ、12月は先にやられたから、今度はこっちが最初に撃ってやろうと思ってたのにまた先を越された!」。

上官は悔しそうに言ったけど、顔は笑っていた。 

理由はうまく説明できないけど、和平は近いとあのとき確信したんだ。 




まず言っておきたいことがある。

あいつに勝った最初のボクサーはエリック・モラレスじゃない、ということ。

それに、もう一つ。あいつを最初にノックアウトしたのもファン・マヌエル・マルケスじゃない。

その二つをしっかりわきまえていないのなら、とっとと帰ってくれ。

アメリカ人は自分の国で起こったことが世界の全てだと思い込んでいるが、それはとんでもない愚かな勘違いだからな。

 February 9, 1996 in Mandaluyong City, Manila, where he would win his biggest fight, though he would not know it at the time.

1996年2月9日、マニラ。彼はそこで世界中のボクシングファンが知っている人生最大の勝利を収めた。しかし、そのときは、その勝利がどれほど大きなものなのか、誰も知らなかった。もちろん、彼本人も含めて。


俺がプロボクサーになったのは1993年だ。フライ級の4回戦。喧嘩みたいな試合で引き分けだった。相手は10㎝は大きかったし、もっと減量して戦うべきだったんだ。

次の試合からはストローかジュニアフライに絞ってリングに上がった。
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あの試合のことはよく覚えている。

ゴールデンタイムに生中継される試合、その番組の人気の若手との一戦だったからな。

あいつはデビューから11連勝、こっちも11勝無敗だった(Boxrecによると11勝5KO4敗5分)。

まあ人気者だったよ、まっすぐ一直線に攻めてきて一歩も引かない槍みたいなファイターだった。ただ、当時はそんな強打者という印象はなかった(11勝のうちKOは4つだけ)。

調子に乗ってるのは知っていた。トヨタ(中古車)を乗り回して、勝利賞のミゲルビール20本をその日のうちに飲み干してるとか…。

案の定、計量会場に真っ青な顔で現れて(キャッチウェイトの111ポンドを)1ポンドもオーバーしやがった。

俺は勝てるのがわかってたから、試合を飲んだ(6oz−8ozグローブのハンディキャップマッチ)。

試合は第1ラウンドから俺がコントロールしていた。

あいつの試合を何度も繰り返し見て研究していたからな。

あいつの左はストレートもフックもアッパーも鋭かったけど、リードの右はぎこちなかった。何度もビデオを見ていると、右ジャブにはいくつか癖があって、その癖で次の左がストレートなのかフックなのか、アッパーなのかはっきりわかることに気づいたんだ。

その右ジャブにカウンターを合わせるタイミングをずっと測っていたんだ。

そして、第3ラウンドに完璧なカウンターで仕留めることが出来た。

ドンピシャだった。

Oh my God, it's over, it's over, oh my God. It's over. His eyes are crossed. Oh my gosh!
--TV Announcer

今になって、あのパーフェクトなパンチを「ヘッドバッドだ」「ローブローだ」と因縁をつけてくるやつがいるが、まさかアンタもそうじゃないだろうな?

よく見ろ、どう見てもパンチで倒したんだ(画質の悪い当時のビデオ映像ではわかりにくい。左が顎を捉えたようにも、カメラに映っていない右ボディが入っているようにも見える。ヘッドバットにもローブローにも見えるがクリーンショットにも見える)。

完全に意識を失っていたから、立ってこないのはわかっていた。

あいつを最も痛烈にノックアウトしたのはマルケスじゃないんだよ。

人気者の若いボクサーは鼻持ちならないが、試合後にあいつはロッカールームに挨拶に来たんだ。

潔く敗北を認めて、体重超過したことを謝罪して、私が試合に応じたことを感謝した。

それがあいつの作戦だったのかもしれないが、素直で謙虚な姿勢に好意を持った俺はあいつに癖のことを教えた。

エールも送ったさ。「お前は若いし、もっともっと強くなれるから頑張れ」って。

ただ、あそこまで強くなれとは言ったつもりはないけどな…。

デビッド・ディアスをKOしたときは「どこまで行く気だ?」とテレビに向かってつぶやいてしまったけど…あれもまだ道半ばだったんだ。

そうだ、それに「俺以外には絶対負けるな」とも約束させたのに、あいつは何回も破りやがって…。



******トレカンポの励ましを受けて、パッキャオはその後破竹の連勝街道を驀進、世界王者に登り詰めます。

一方のトレカンポは次戦(vsリッキー・セイルズ) で勝利は収めたものの、左手首を骨折、骨が皮膚を突き破って露出するほどの大怪我を負ってしまいます。

左手首が完治することなく、その後のキャリアは1勝4敗1分で1997年に引退。

バイクで日本でいう牛丼などの食べ物
を販売する商売を始めますが、2007年に接触事故からゴミ収集車の運転手と口論になり、相手を刺し殺した疑いで2011年まで懲役刑を科せられました。

そして、なんとその年にバンタム級4回戦でカムバック。

38歳のトレカンポは、見事3ラウンドKO勝利を収め、米国メディアでも取り上げられました。


 “ I want to show it’s never too late to come back if you’re in shape and determined. I know I’ll never be like Manny but I want to keep fighting. I want to go as far as I can.”

「しっかり練習して強い決意を持てば出来ないことなんてない、そのことを証明したいんだ。マニーみたいになれないのはわかっている。それでも戦い続けたいんだ、どこまで行けるかわからないけど、行けるところまで突き進みたいんだ」。


その後、今年で48歳になるはずのトレカンポの消息は聞こえてきません。

しかし、彼はマニー・パッキャオを最初に倒したボクサーとして永遠に記憶されることになるのです。