アーロン・プライアーの時代。


1980年8月2日、地元シンシナティでアントニオ・セルバンテスのWBAタイトルを4ラウンドKOで強奪してから、1983年10月にジョニー・バンフスとの防衛戦を拒否したため王座を剥奪されるまでの3年2ヶ月は間違いなく〝Hawk Time〟でした。

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1980年8月2日、プライアーがセルバンテスを破壊したイベントにはトニー・タッブスがヘビー級6回戦でセミファイナルをつとめていました。



当時、ジュニアウェルター級の風景は今とは異なり、日本からもその輪郭をはっきりと捉えることが出来ました。


ウェルターとライトという純粋階級の人気クラスに挟まれたジュニアウェルター級の世界的な注目度、レベルは、現在よりも遥かに低かったのは疑う余地がありません。

では、ジュニアウェルター級で圧倒的な強さを見せたプライアーは〝ジュニアの恩恵〟に浴した陽炎だったのでしょうか?

今回ばかりは結論が先です。

プライアーは紛うことなき超強豪王者でした。

〝ジュニアの恩恵〟に浴したのは、プライアーと対戦せずに済んだウェルター級のトップ選手たちの方でした。

もちろん、シュガー・レイ・レナードやトーマス・ハーンズも含めて。

ハーンズを圧倒したアマチュア時代。アレクシス・アルゲリョとの歴史に残る2連戦。トレーナー、パナマ・ルイスの「ブラックボトル事件」。レナードとの悲しいすれ違い。 エマヌエル・スチュワードとの出会い…。

そして、引退後の放蕩と薬物中毒、度重なる犯罪行為…。

2016年10月9日、早すぎる60歳で死んでしまったプライアー。

栄光と破滅の間に垂らされたタイトロープを、シンシナティの鷹は60年の生涯で渡りきったのか?

残念ながら、もうそれを問うても答えは返ってきません。

絵に描いたような拳闘家の人生を完遂した天才プライアーを見つめ直します。