スポーツの試合が何もない…。
そのことがどれほどの空虚であるのか、生まれて初めて思い知らされています。
本当なら今頃は「カシメロがマンダレイベイに沈むまであと20日!」とか「ビリー・ジョーにカネロ打倒の可能性はあるか?」とか「大谷翔平は典型的なスロースターター、心配するな!」とか「それでも藤浪が20勝する19の理由」とか好き勝手に書き殴って一人で大騒ぎしてたはずでしたが…。
ひたすら虚しい4月2日木曜日の夜、ゼロにまつわるお話です。
無敗の王者、負け知らずの連勝…他のスポーツなら手放しで絶賛されて差し支えない数字の偉業は、ことボクシングになると差し支えありまくりです。
いつの誰に勝ったのか?それを聞くまではどんな数字も全く評価出来ない、それがボクシングです。
もちろん、内容を伴う数字には意味があります。
そして、その記録が途切れた時点でチャラになる王者無敗の記録なんて馬鹿げた話もありません。
そんな全勝や連勝の「数字」と熱狂的なダンスを踊った怪人ボクサーたちをご紹介していきます。
第一回は連勝怪人、バック・スミスの巻。
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昔、むかし…。
といっても彼がオクラホマで生まれたのは1965年7月22日でしたから、そんなに昔の話ではありません。
今年で55歳になるバック・スミスは、アメリカのどこかで普通の毎日を送っているはずです(このカオスのせいでこういう表現も違和感を覚えてしまいます)。
しかし、Tombstone(墓石)という不吉な渾名を持つスミスほど奇々怪々なキャリアを送ったボクサーはいません。
90年代に世界のボクシングを楽しんでいたファンでバック・スミスの名前は知らない人は、おそらくいないでしょう。
驚異的な連勝記録は事実だが、強い相手には勝っていない。だから弱いとも限らない…ボクシングというスポーツは厄介だ。
極めて怪しい実力で世界王者にもなれなかったにもかかわらず、彼は有名人だったのです。
極めて怪しい実力で世界王者にもなれなかったにもかかわらず、彼は有名人だったのです。
それは、バタービーンのような特異な肉体の持ち主だったからではありません。
もちろん、今流行のYouTuberボクサーであるわけもありません。
1990年、東京ドームでマイク・タイソンが崩れ落ちたことでPFP1位に浮上したのは、フリオ・セサール・チャベスでした。
1984年10月、チャベスはヘクター・カマチョが返上して空位となっていたWBCジュニアライト級王座をマリオ・マルチネスと争い、初のタイトルを勝ち獲りましたが、「決定戦のペーパー王者」「ジュニア階級」という二重の十字架から微妙な評価に甘んじていました。
しかし、強豪挑戦者をことごとく撃破し、1989年5月にWBCジュニアウェルター級王者ロジャー・メイウェザーを叩きのめして3階級制覇を果たした頃には、メキシコ史上最強の評価をコンクリートします。
そして、このチャベスに関してはデビュー以来の連勝記録も大きな注目を集めていました。
最終的には87連勝まで伸ばし、1分けを挟んで89勝0敗まで数字を伸ばすことになるのですが、この偉大なチャベスの連勝を、数字ではリードしていたのがスミスでした。
ちなみに連勝記録のトップ5は以下の通りです。
1990年、東京ドームでマイク・タイソンが崩れ落ちたことでPFP1位に浮上したのは、フリオ・セサール・チャベスでした。
1984年10月、チャベスはヘクター・カマチョが返上して空位となっていたWBCジュニアライト級王座をマリオ・マルチネスと争い、初のタイトルを勝ち獲りましたが、「決定戦のペーパー王者」「ジュニア階級」という二重の十字架から微妙な評価に甘んじていました。
しかし、強豪挑戦者をことごとく撃破し、1989年5月にWBCジュニアウェルター級王者ロジャー・メイウェザーを叩きのめして3階級制覇を果たした頃には、メキシコ史上最強の評価をコンクリートします。
そして、このチャベスに関してはデビュー以来の連勝記録も大きな注目を集めていました。
最終的には87連勝まで伸ばし、1分けを挟んで89勝0敗まで数字を伸ばすことになるのですが、この偉大なチャベスの連勝を、数字ではリードしていたのがスミスでした。
ちなみに連勝記録のトップ5は以下の通りです。
①ハル・バグウェルの180
②スミスの101
③パッキー・マクファーランドの98
④ペドロ・カラスコの92
④ペドロ・カラスコの92
⑤フリオ・セサール・チャベスの89
1930〜40年代に活躍したバグウェルと、20世紀初頭の無冠の帝王マクファーランドの記録には諸説あり、エキジビションも多かったと言われています。
その意味では1970年代のWBCライト級王者カラスコやチャベスの「王者の数字」とは一線を引いて考えるべきでしょう。
そう考えると、チャベス以上に強豪と戦い88連勝をマークしたシュガー・レイ・ロビンソンは、やはり特筆すべき存在です。
その意味では1970年代のWBCライト級王者カラスコやチャベスの「王者の数字」とは一線を引いて考えるべきでしょう。
そう考えると、チャベス以上に強豪と戦い88連勝をマークしたシュガー・レイ・ロビンソンは、やはり特筆すべき存在です。
フリオ・セサール・チャベスの無敗の連勝記録が話題になるたびに、の背後霊のように憑きまとっていたスミスの名前。
連勝記録だけでなく、1960年代にアーチー・ムーア(185勝23敗10分1NC)とウィリー・ペップ(229勝11敗1分)が引退してから現在まで、スミスの勝利数181は「最多勝」記録です。
もちろん、野球の投手成績なら勝利数は最も重要な数字の一つですが、ボクシングのリングで数字が持つ意味は大きくありません。
スミスに対して現在のファンが何か感じるところがあるとしたら、80〜90年代という〝現代〟にもかかわらず181勝20敗2分、通算203戦という驚くべき試合数でしょう。
日本では王者獲得も階級制覇でも記録といえば「最短」がもてはやされがちですが、それは安易に世界挑戦できる土壌があるということです。
連勝や最多勝では目立った記録をあげることが出来ていないのは、その裏返しに過ぎません。
試合数が減少傾向にある近代ボクシングにおいて、世界の超トップで戦いながらの、ペップの229勝、ムーアの185勝はもちろん、チャベスの89連勝も考えられない数字です。
日本では王者獲得も階級制覇でも記録といえば「最短」がもてはやされがちですが、それは安易に世界挑戦できる土壌があるということです。
連勝や最多勝では目立った記録をあげることが出来ていないのは、その裏返しに過ぎません。
試合数が減少傾向にある近代ボクシングにおいて、世界の超トップで戦いながらの、ペップの229勝、ムーアの185勝はもちろん、チャベスの89連勝も考えられない数字です。
スミスの101勝も日本ではありえない数字ですが、やはりその価値は数字だけにとどまってしまい〝怪記録〟の印象しかありません。
チャベスとスミスは互いの連勝が止められてから、1999年12月18日にメキシコ・クリアカンのカタブランカ球技場でジュニアウェルター級ノンタイトル10回戦で相見えます。
前の試合でチャベスは伏兵ウィリー・ワイズにまさかの判定を落とし、スミスはアントニオ・マルガリートに5ラウンドで粉砕されていました。
破竹の連勝記録が看板だった2人が復帰戦として対決したのです。
結果は、全く予想通り。
結果は、全く予想通り。
102勝(82KO)4敗2分のキャリアを重ねた37歳のチャベスが、181勝(120KO)13敗2分の34歳スミスに力の差を見せつけ、3ラウンドKO。
それにしても、Tombstoneのキャリアは最後の最後までミステリアスでした。
無敗の虚構に弄ばれたスミスでしたが、101連勝もマークしたボクサーがキャリア最後の10年間はたったの1勝すら出来ずに、グローブを吊るしたのです。
3桁を数える連勝記録なんて、いまや想像もできない不可能の世界です。
私たちが、これからリングで見る「世界記録」は最短のストーリーに偏ったものにしかならないでしょう。
そう思うと、少し寂しい気もしてきます。
次回は、現代では希少な「最短」ではない記録 、「無敗王者」の巻、です。
3桁を数える連勝記録なんて、いまや想像もできない不可能の世界です。
私たちが、これからリングで見る「世界記録」は最短のストーリーに偏ったものにしかならないでしょう。
そう思うと、少し寂しい気もしてきます。
次回は、現代では希少な「最短」ではない記録 、「無敗王者」の巻、です。


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