生きる伝説マニー・パッキャオは、12月17日で40歳を迎えます。
消耗の激しいこのスポーツにおいて、40歳まで現役を続ける、しかも世界のトップ戦線で、というのは極めて異例のことです。
それが、実質軽量級のボクサーで激闘型という劣化が早いはずのパッキャオが40歳にしてまだトップと渡り合えるという、その異常さ、異能ぶりには驚くしかありません。
しかし、近代ボクシング130年の歴史を振り返ると、40歳を超えても驚くべき実績を重ね続けた多くの妖怪たちが躍動跳躍していました。
驚くべき業績を積み重ねてきたマニー・パッキャオは、現実に存在する人物ではなく、かつて提携したディズニーが作った夢の国の住人なのかもしれません。=画像=対戦型玩具、パッキャオとマッド・ミッキー。
40歳という、ボクシングにおいてはデッドラインと言える一線を越えてなお輝き続けた、異能の妖怪たちを振り返ります。
Post–40 どころか、Post–50 に肉薄する49歳9カ月までWBA/IBFのライトヘビー級王座を保持していたエイリアン、バーナード・ホプキンスという巨星が出現したとはいえ、40歳を超えてこのスポーツの第一線を戦うことは異能のボクサーでなければ不可能です。
時計の針を逆回しにしようとした、偉大な愚か者たちの神聖なレジスタンスを、愛するパッキャオも繰り広げてくれることを願って、40超えのレジェンドたちを10位から回顧します。
⌛️TIME BANDIT(時間泥棒)No.⑩:ウィリー・ペップ⌛️
★Post–40 careers=10戦9勝4KO1敗(世界戦0)/通算成績=229勝65KO11敗1分★
日本では1969年、ファイティング原田の三階級制覇を不当なジャッジによって阻んだ悪徳レフェリーの印象が強いペップですが、変幻自在の動きで対戦相手を幻惑する、フロイド・メイウェザーやワシル・ロマチェンコも色あせて見えるほどのディフェンスマスター、魔術師でした。
今なお「史上最高のディフェンスマスターはペップ」というのが、世界の共通見解でしょう。
変幻自在に動き回るペップは何人もいるように見えた。ヤツと戦うってことは、鏡張りの部屋で戦うようなもんだった。
1959年1月の試合に敗れて一旦、グローブを吊るしたペップは、6年以上たった1965年3月にカムバック。
稀代の魔術師は42歳になっていましたが、この1965年に9試合をこなして全勝するも、相手はいずれも二線級のボクサーでした。
そして、翌1966年、やはり無名のカルビン・ウッドランドに判定で敗れると、再び引退。
それでも、レフェリーとしてリングに上がり続け、84歳でこの世を去りました。
⌛️TIME BANDIT(時間泥棒)No.⑨:ジャック・ジョンソン⌛️
★Post–40 careers=19戦13勝7KO6敗(世界戦0)/通算成績=56勝35KO11敗8分★
今年、ガルベストンの巨人は、トランプ大統領から死後52年経って恩赦を与えられたことで、日本でもニュースになりました。
マン法に違反して淫らな目的で女性と州境を超えた罪を着せられたジョンソンは、35歳で米国から離れ、スペインやメキシコ、キューバで戦い続けました。
しかし、40を過ぎてからの試合の実態は、自らの名前を切り売りするエキジビジョンだったと見られています。
再び、米国に戻ることが許されたときは、すでに48歳。
それから米国で6試合のリングに上がり、1931年に最後の公式試合を2ラウンドKOで片付けたジョンソンは53歳になっていました。
しかし、過酷な時代はジョンソンをリングから離してくれませんでした。その後も、60代になってもエキジビションのリングに上がり続けたのです。
ジョンソンを戦いのリングから解放してくれたのは、1946年自動車事故で命を落としたことでした。
享年68歳。
⌛️TIME BANDIT(時間泥棒)No.⑧:ボブ・フィッツモンズ⌛️
★Post–40 careers=10戦6勝3KO3敗1NC(世界戦:1勝1敗)/通算成績=66勝57KO8敗4分★
1987年、ジェームズ・J・コルベットを14ラウンドでノックアウトして、史上初めてミドル級王者がヘビー級を制する偉業を成し遂げたとき、フィッツモンズは33歳でした。
ちなみに、このときのコルベットは184ポンド、83.4kg、現代ならクルーザー級のリミット200ポンド90.7kgも大きく割り込む体重でした。
さらに、フィッツモンズは167ポンド、75.7kg、こちらはスーパーミドルの168ポンドまで下回っていました。
赤いそばかすが目立っていたフィッツモンズの渾名は、ルビー。
イングランドの宝石は、40歳を過ぎても戦い続け、1903年にはジョージ・ガードナーを相手に20ラウンド!判定勝ちを収めてライトヘビー級王座も獲得、史上初の三階級制覇を達成します。
1907年7月には44歳になりながらも全盛期のジャック・ジョンソン29歳と果敢に拳を交え、2ラウンドKOに散ります。
ここでフィッツモンズは、一度リングから離れますが、その後も断続的にリングに上がり、1914年2月20日の試合(vsジャージー・ベリュー=無効試合)でようやく引退、そのとき50歳になっていました。
そのわずか3年後、まだ54歳で世を去ってしまいます。
ミドル級王者がヘビー級王者を倒すという偉業は106年後に、ロイ・ジョーンズJr.がやってのけましたが「ロイは最弱王者のジョン・ルイスを狙い撃ちにした〝空き巣〟で、掠め取ったらすぐに下の階級に逃げ込んだ。勇敢なフィッツモンズと同列に語るボクサーではない」と批判されましたが、全盛期のジョンソンにも真っ向から挑んだルビーの勇気は、ジョーンズの怯懦とは懸け離れた輝きを放っています。
もはや伝説を超えて神話の領域のガンマン、ワイアット・アープを主審に戦ったこともある、まさにおとぎ話に登場するような生粋の拳闘家でした。
★Post–40 careers=44戦30勝15KO10敗3分1NC(世界戦0)/通算成績=173勝108KO19敗6分★
通算成績のおよそ4分の3を40歳を超えて戦った、シュガー・レイ・ロビンソン。1965年、ジョーイ・アーチャー戦で引退したときは、44歳になっていました。
史上最高のボクサーですら、そんな年齢まで戦い続けなければならない…このスポーツの不条理さ、深い闇を垣間見る思いです。
1952年6月25日、ジョーイ・マキシムの持つ世界ライトヘビー級王座に挑戦、三階級制覇を狙った一戦を落として一旦は引退宣言したシュガー・レイでしたが、引退後に取り巻きに勧めらて始めたショウビジネスや飲食業がことごとく頓挫、3年も経たないうちにリングに復帰してしまいます。
それから10年近くも、カネだけのために戦い続けたのです。
MLBのような統括団体があれば、選手年金で悠々自適の生活を送ることが出来るだけの十分な実績と貢献をボクシング界にもたらした偉人だというのに。
メディアは好きなことを書き、ファンは落ち目になると罵声を浴びせました。
「史上最高のボクサー」「もう引退すべき」、手の平を何度も返す記者たちに「奴らはコーヒーの一杯も奢ってくれたことはない」と有名なセリフを吐いたといわれています。
現役時代のフロイド・メイウェザーが「ロビンソンはその時代じゃ凄かったかもしれないが、俺こそがTBE、史上最高のボクサーだ」と喚き散らすのを、多くのメディアに「世界中の誰一人そんなことは思わない。そう、メイウェザーも実際にはよくわかっているはずだ。メイウェザーは、周囲の反感を買って注目されたいがために叫んでいるのはわかるが、全く哀れだ」と呆れ果てられていました。
具志堅用高が繰り返しビデオを見て「最高の教科書」と絶賛したロビンソン。ゲンナディ・ゴロフキンが少年時代にその伝記を読んで触発され、ボクサーを目指したロビンソン。
晩年はアルツハイマー病に苦しみ、1989年69歳で天国に招かれました。
消耗の激しいこのスポーツにおいて、40歳まで現役を続ける、しかも世界のトップ戦線で、というのは極めて異例のことです。
それが、実質軽量級のボクサーで激闘型という劣化が早いはずのパッキャオが40歳にしてまだトップと渡り合えるという、その異常さ、異能ぶりには驚くしかありません。
しかし、近代ボクシング130年の歴史を振り返ると、40歳を超えても驚くべき実績を重ね続けた多くの妖怪たちが躍動跳躍していました。

40歳という、ボクシングにおいてはデッドラインと言える一線を越えてなお輝き続けた、異能の妖怪たちを振り返ります。
Post–40 どころか、Post–50 に肉薄する49歳9カ月までWBA/IBFのライトヘビー級王座を保持していたエイリアン、バーナード・ホプキンスという巨星が出現したとはいえ、40歳を超えてこのスポーツの第一線を戦うことは異能のボクサーでなければ不可能です。
時計の針を逆回しにしようとした、偉大な愚か者たちの神聖なレジスタンスを、愛するパッキャオも繰り広げてくれることを願って、40超えのレジェンドたちを10位から回顧します。
⌛️TIME BANDIT(時間泥棒)No.⑩:ウィリー・ペップ⌛️
★Post–40 careers=10戦9勝4KO1敗(世界戦0)/通算成績=229勝65KO11敗1分★
日本では1969年、ファイティング原田の三階級制覇を不当なジャッジによって阻んだ悪徳レフェリーの印象が強いペップですが、変幻自在の動きで対戦相手を幻惑する、フロイド・メイウェザーやワシル・ロマチェンコも色あせて見えるほどのディフェンスマスター、魔術師でした。
今なお「史上最高のディフェンスマスターはペップ」というのが、世界の共通見解でしょう。
変幻自在に動き回るペップは何人もいるように見えた。ヤツと戦うってことは、鏡張りの部屋で戦うようなもんだった。
1959年1月の試合に敗れて一旦、グローブを吊るしたペップは、6年以上たった1965年3月にカムバック。
稀代の魔術師は42歳になっていましたが、この1965年に9試合をこなして全勝するも、相手はいずれも二線級のボクサーでした。
そして、翌1966年、やはり無名のカルビン・ウッドランドに判定で敗れると、再び引退。
それでも、レフェリーとしてリングに上がり続け、84歳でこの世を去りました。
⌛️TIME BANDIT(時間泥棒)No.⑨:ジャック・ジョンソン⌛️

今年、ガルベストンの巨人は、トランプ大統領から死後52年経って恩赦を与えられたことで、日本でもニュースになりました。
マン法に違反して淫らな目的で女性と州境を超えた罪を着せられたジョンソンは、35歳で米国から離れ、スペインやメキシコ、キューバで戦い続けました。
しかし、40を過ぎてからの試合の実態は、自らの名前を切り売りするエキジビジョンだったと見られています。
再び、米国に戻ることが許されたときは、すでに48歳。
それから米国で6試合のリングに上がり、1931年に最後の公式試合を2ラウンドKOで片付けたジョンソンは53歳になっていました。
しかし、過酷な時代はジョンソンをリングから離してくれませんでした。その後も、60代になってもエキジビションのリングに上がり続けたのです。
ジョンソンを戦いのリングから解放してくれたのは、1946年自動車事故で命を落としたことでした。
享年68歳。
⌛️TIME BANDIT(時間泥棒)No.⑧:ボブ・フィッツモンズ⌛️
★Post–40 careers=10戦6勝3KO3敗1NC(世界戦:1勝1敗)/通算成績=66勝57KO8敗4分★
1987年、ジェームズ・J・コルベットを14ラウンドでノックアウトして、史上初めてミドル級王者がヘビー級を制する偉業を成し遂げたとき、フィッツモンズは33歳でした。
ちなみに、このときのコルベットは184ポンド、83.4kg、現代ならクルーザー級のリミット200ポンド90.7kgも大きく割り込む体重でした。
さらに、フィッツモンズは167ポンド、75.7kg、こちらはスーパーミドルの168ポンドまで下回っていました。
赤いそばかすが目立っていたフィッツモンズの渾名は、ルビー。
イングランドの宝石は、40歳を過ぎても戦い続け、1903年にはジョージ・ガードナーを相手に20ラウンド!判定勝ちを収めてライトヘビー級王座も獲得、史上初の三階級制覇を達成します。
1907年7月には44歳になりながらも全盛期のジャック・ジョンソン29歳と果敢に拳を交え、2ラウンドKOに散ります。
ここでフィッツモンズは、一度リングから離れますが、その後も断続的にリングに上がり、1914年2月20日の試合(vsジャージー・ベリュー=無効試合)でようやく引退、そのとき50歳になっていました。
そのわずか3年後、まだ54歳で世を去ってしまいます。
ミドル級王者がヘビー級王者を倒すという偉業は106年後に、ロイ・ジョーンズJr.がやってのけましたが「ロイは最弱王者のジョン・ルイスを狙い撃ちにした〝空き巣〟で、掠め取ったらすぐに下の階級に逃げ込んだ。勇敢なフィッツモンズと同列に語るボクサーではない」と批判されましたが、全盛期のジョンソンにも真っ向から挑んだルビーの勇気は、ジョーンズの怯懦とは懸け離れた輝きを放っています。
もはや伝説を超えて神話の領域のガンマン、ワイアット・アープを主審に戦ったこともある、まさにおとぎ話に登場するような生粋の拳闘家でした。
★Post–40 careers=44戦30勝15KO10敗3分1NC(世界戦0)/通算成績=173勝108KO19敗6分★
通算成績のおよそ4分の3を40歳を超えて戦った、シュガー・レイ・ロビンソン。1965年、ジョーイ・アーチャー戦で引退したときは、44歳になっていました。
史上最高のボクサーですら、そんな年齢まで戦い続けなければならない…このスポーツの不条理さ、深い闇を垣間見る思いです。
1952年6月25日、ジョーイ・マキシムの持つ世界ライトヘビー級王座に挑戦、三階級制覇を狙った一戦を落として一旦は引退宣言したシュガー・レイでしたが、引退後に取り巻きに勧めらて始めたショウビジネスや飲食業がことごとく頓挫、3年も経たないうちにリングに復帰してしまいます。

MLBのような統括団体があれば、選手年金で悠々自適の生活を送ることが出来るだけの十分な実績と貢献をボクシング界にもたらした偉人だというのに。
メディアは好きなことを書き、ファンは落ち目になると罵声を浴びせました。
「史上最高のボクサー」「もう引退すべき」、手の平を何度も返す記者たちに「奴らはコーヒーの一杯も奢ってくれたことはない」と有名なセリフを吐いたといわれています。
現役時代のフロイド・メイウェザーが「ロビンソンはその時代じゃ凄かったかもしれないが、俺こそがTBE、史上最高のボクサーだ」と喚き散らすのを、多くのメディアに「世界中の誰一人そんなことは思わない。そう、メイウェザーも実際にはよくわかっているはずだ。メイウェザーは、周囲の反感を買って注目されたいがために叫んでいるのはわかるが、全く哀れだ」と呆れ果てられていました。
具志堅用高が繰り返しビデオを見て「最高の教科書」と絶賛したロビンソン。ゲンナディ・ゴロフキンが少年時代にその伝記を読んで触発され、ボクサーを目指したロビンソン。
晩年はアルツハイマー病に苦しみ、1989年69歳で天国に招かれました。

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