WBSSバンタム級トーナメント決勝戦。その舞台は横浜か、はたまたサウジアラビア・ダッジか、アブダビ・ドバイか。

オッズの通りなら決勝の組み合わせは、井上尚弥vsエマニュエル・ロドリゲスの無敗対決となります。
日本人とプエルトリカンのバンタム級の試合…さすがにヨーロッパ開催は算盤が壊れてしまいますから、普通に考えたら横浜開催ですね。

という話は脇に置いて、彼らがその系譜に名前を刻まんとしている「無敗の頂上決戦」です。

無敗のファイターが、階級最強を決定すべく激突した炎の名勝負を振り返ります。

台風24号が北上接近する日曜日の白昼、独断と偏見で決定した5位から10位の発表です。



 5位【1973年1月22日:ジャマイカ キングストン 国立競技場】ジョージ・フォアマン(37戦全勝34KO)vs ジョー・フレイジャー(29勝24KO)
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米国ボクシングがスポーツの王様であった時代は、1950年代で終幕してしまいます。 

しかし「ヘビー級が最もエキサイティングだった時代はいつか?」という問いには、モハメド・アリを主人公にジョー・フレイジャーやジョージ・フォアマン、ケン・ノートンらが熱闘を繰り広げた「1970年代」という絶対的な答しか存在しません。

ジャック・ジョンソンが君臨した1910年代でも、ジャック・デンプシーが旋風を巻き起こしたローリング ’20でも、ジョー・ルイスが対ナチスの代理戦争のリングに立った1930〜40年代でも、ロッキー・マルシアノが完璧なキャリアを完成させた1950年代でもありません。

ましてやマイク・タイソンが席捲した低レベルの1980年代でも、クリチコ兄弟が圧政を敷いたヘビー級の地位もレベルも失墜した21世紀でもありません。

誰に聞こうが、答はひとつです。「1970年代」。

そんなヘビー級最盛期の宝石箱の中で、最も戦慄的に輝いているのがフォアマンvsフレイジャー第1戦です。

東京五輪金メダリストのフレイジャーが保持する統一ヘビー級王座に、メキシコ五輪金メダルのフォアマンが挑む、黄金の無敗対決はアリに勝利を収めたフレイジャー有利と見られていました。

「象をも倒す」と言われたフォアマンの大きな拳は脅威でしたが、その無敗無敵のキャリアは温室で供給された肥料のように口当たりの良い雑魚ばかりでした。

五輪メダリストなど有望なホープを育成する温室培養は、このときのフォアマンが典型で〝フォアマン方式〟と呼ばれるようになります。

しかし、フォアマンの強さは本物でした。2ラウンドKOの瞬間まで不撓不屈のフレイジャーを6度もリングに転がしたのです。有名な「キングストンの惨劇」です。

メディアやファンは「フォアマンは温室に保護されている」といったのは間違いで、温室に見えたのは凶暴な猛獣を閉じ込める檻だったのです。

檻から解き放たれた凶獣を止める術など誰も持ち合わせていませんでした。

初防衛戦(日本開催)でホセ・ローマンを1ラウンド、2度目の防衛戦はアリの顎を砕いたケン・ノートンを2ラウンドで粉砕してしまいます。

三つの世界戦で要したラウンドはわずか5ラウンド。どの対戦相手も3ラウンド開始ゴングを聞く前に病院送りとなりました。 

スポーツに三段論法は通用しません。

しかし、フレージャーに倒され、ノートンに実質敗北している32歳のアリが、25歳の怪物王者フォアマンに挑戦することが決まったとき「4ヶ月後の天気は誰にもわからないが〝キンシャサの惨劇〟は確実に起きる」と報じられたことに異論を挟む者など世界中に誰一人いませんでした。

アリの勝ち目は万に一つもない、誰もがそう確信していたのです。

〝キングストンの惨劇〟を目撃してしまった当時のファンやメディアが、フォアマン勝利を露ほども疑わなかったのは仕方がないことでした。

それほどまでに〝キングストンの惨劇〟は衝撃的だったのです。 



4位【1978年10月28日:プエルトリコ ロベルト・クレメンテ スタジアム】ウィルフレド・ゴメス(21戦全勝21KO1分)vs カルロス・サラテ(52戦全勝51KO)

ゴメスのWBCジュニアフェザー級王座にサラテが挑んだ、史上空前のKOキング対決。

両者の戦績を合計すると74戦73勝72KO無敗1分。

「ボクシングにおける数字は何の意味も持たない」というのは揺るぎない真実ですが、さすがにこの二人の場合は充実した内容を伴っての、この嘘みたいな数字です、凄いとしか言えません。

これを超えるKO対決、マッチアップは未来永劫見ることができないでしょう。

WBCバンタム級王者サラテは、前年にWBAバンタム級王者アルフォンソ・サモラ(29戦全勝29KO)とキャッチウェイトで全勝同士の頂上決戦を経験済み(4ラウンドTKO勝ち)で 、タイトルも8連続防衛中。

対するゴメスも5連続防衛中でしたが、当時のジュニアフェザーは「水増し階級」と揶揄され対戦相手の質にも疑問符が付けられていました。 
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「VIA CLOSED CIRCUIT」(クローズド・サーキット=劇場生中継)、「NO HOME TV or RADIO」(家庭のテレビ・ラジオでは視聴できません)。この時代にはメガファイトはすでに無料地上波放送から離れて、閉鎖的なクローズド・サーキットで効率良く集金する〝麻薬〟にどっぷり浸かっていました。

勝負は結果が全てです。

減量に失敗したサラテは必死で計量に臨むも、2ポンドオーバー。最軽量でもリミットの122ポンドを作れず、3度目の計量でようやくパス。

当日計量の時代です。サラテは「1ラウンドからフワフワして、足に力が入らなかった」と万全の状態ではありませんでした。

一方のゴメスは「サラテは早く試合を終わらせたいはず。強引に攻めてくるから注意しなければならないが、隙はいっぱいあるはず」と余裕で構えます。

それでも、勝負は結果が全てです。減量失敗がなければ?なんてタラレバは何の意味も持ちません。実はゴメスも1回目の計量に失敗しています(サラテと同じ2ポンドオーバーの124ポンド)。

3ラウンドまで十分にフォロースルーの効いた一打必倒のパンチを交換する両者ですが、決定的な場面は作ることが出来ません。

4ラウンド。スタミナと集中力の消耗からサラテは「早く倒さなければならない」と強引に攻め立てます。ゴメスが想定していた流れが現実になります。

サラテがゴメスをコーナーに追い詰めて右フックを振るいます。バズーカ・ゴメスが最も自信を持つ必殺打、左フックを放つ瞬間が、ついに訪れました。

強烈なカウンターを浴びたサラテはたまらずダウン。崩れ落ちたメキシコの英雄を「どうだ!」と言わんばかりにゴメスが二度も覗き込みます。

ダメージの残るサラテを追い回してゴメスがダウンを追加します。

これはゴング終了後のパンチでしたが、主審ハリー・ギブスは雪崩の大歓声にゴングが聞き取れません。

勝利を確信したゴメスは5ラウンドの開始ゴングから猛ラッシュ。サラテは逃げ回ることしかできないままロープに追い詰められて腰から砕けます。

ゴメスの最後のパンチは、倒れたサラテに放たれた打ち下ろしの右でした。

主審が試合をストップするのと、サラテのコーナーからタオルが投入されるのはほぼ同時でした。

リング誌年鑑2003年度版(現在は定期刊行していません)はThe 100 Greatest Puncher of All-Time! でゴメスを13位、サラテを21位にランキングしていますが、これを聞いて多くのオールドファンは「二人とももっと上だろう」と舌打つのではないでしょうか。