7月15日(日)
マレーシア クアラルンプール アクシアタアリーナ
WBA世界ウェルター級12回戦
王者:ルーカス・マティセ vs マニー・パッキャオ
ウィリアムヒルのオッズはマティセ勝利2.5倍、パッキャオ勝利1.5倍。アバウト2−1。
世界はパッキャオの圧倒的有利とは見ていません。
摩訶不思議なことが起きるボクシングのリングでも、数々の奇蹟を起こしてきた灼熱の拳の物語は最終章を迎えています。
その激闘の戦譜は、68戦59勝38KO7敗3分まで積み上げられました。
伝説の始まりは1995年。アマチュアで好成績を残していたパッキャオに、人気ボクシング番組「Blow by Blow」のプロデューサーから「1月22日のJr.フライ級の試合に出ないか」と声がかかりました。
報酬ゼロのアマチュアに全く未練のなかったパッキャオは、二つ返事で承諾します。
しかし、建築現場で重労働の仕事を週7日、公園整備の仕事を週3日、その他細々した仕事もこなしながらプロデビューをずっと夢見ていたパッキャオでしたが、自分がこの興行に出る資格がないことをちゃっかり知っていました。
彼は、二つの嘘をつきます。
Jr.フライは108ポンド上限ですが、パッキャオの問題は下限の100ポンドでした。当時は普段でも100ポンドを大きく下回る体重で、建設現場の仕事を終えた状態だと水をがぶ飲みしても100ポンドなんて絶対作れるわけもない痩身だったのです。
「あのときに(女子最軽量の102ポンドの)アトム級があったとしても体重を作れなかったね」。笑って振り返るパッキャオは「でもずっと前から対策は思いついていたんだ」とさらに笑います。
「建設現場にはベアリングからはずれた鉄球がいくらでも落ちているからね。そいつをポケットに入れまくって秤に乗ったのさ」。
一つ目の嘘は、体重詐称でした。
最近、世界中のボクシングファンを幻滅させている、体重超過とは真逆の〝ルール違反〟です。
そして、二つ目の嘘は年齢詐称です。
プロデューサーから「何歳だ?」と聞かれて「18歳です」と即答。プロデューサーは「18歳未満は出場できないんだ、良かったな」と、パッキャオの肩を叩いてくれました。パッキャオは「私は幸運です。ちょうど先月18になったばかりなんです」と喜びますが…実際は16歳。
誕生日が先月、12月17日ということは本当でしたが、2歳もサバを読んでいたのです。
デビュー戦の相手は2戦1勝1敗のエドムンド・エンティング・イグナシオ、未来の伝説は4ラウンド判定勝ちを収めますが、この試合を見て「伝説の始まりかもしれない」と直感できた先見の人は一人もいなかったでしょう。
100ポンドを大きく下回る超軽量の胃袋にはベアリングとのツープラトンでJr.フライ最下限をクリアするために飲んだ水で歩くだけでタプタプ音を立てた状態でリングに上がったのですから、まともに戦える体調ではありません。
さらに、当日計量とはいえ、リング上での体重差は10kg近くあったでしょう。
マニー・パッキャオのプロデビュー戦、そのファイトマネーは2米ドルでした。今のレートで220円、当時のレートや、フィリピンの特殊な貧困事情を勘案しても、その価値はせいぜい今の数千円でしょう。信じられない金額です。
奇しくも、11歳で夜祭の草拳闘デビューで受け取ったのも100ペソ、約2ドルでした。
それでも、丸一日路上でドーナツを売り歩くよりも、建設現場で100kgを超える鉄骨を一人で担いで運ぶ日当よりも、リングの上ではその何倍も稼ぐことができたのです。
ー昼間は働き通しで、夜はボクシングの試合、過酷すぎる毎日に見えますが?
パッキャオ「建設現場の仕事は本当にきつかった。ただ、ボクシングは夢だったから、リングに上がれるのは嬉しくて楽しくてたまらなかった。昼間の疲れはリングに上がったら全部吹っ飛んだ。最軽量のリミットと年齢を偽ってしまったっていう良心の呵責はあったけど、時間が経てば18歳になるし、ファイトマネーでまともな食事ができれば体重の心配もなくなったから、見逃して欲しいね」
ーその報酬も2ドル、仕送りもしていたそうですから、手元にはほとんど残りませんよね?
パッキャオ「マニラのテレビと契約したときは最低保障が2ドル、それに勝利給も加算されるし、スポンサーのミゲルビールからは毎試合ケース単位でビールをもらえたんだ。試合後は仲間と海岸でパーティを開いていた。プロになると、応援してくれる人が増えて生活の不安はなくなった…それに、もしかしたら私はお金のためだけに戦ってきたわけではないのかもしれない」
ーどういうことですか?
「母親に路上でドーナツや野菜を売った賃金だと嘘をついて草拳闘のリングに上がってたのも、当時はお金のためだと思っていたけど…今になって思い出すと、お金のために嫌な仕事をしているという感覚は全くなかったな」
ーでも、お金がもらえなかったら、危険な草拳闘のリングなんかに上がらなかったでしょう?
「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。大げさではなく、神様が私にボクシングを与えてくれた、その感覚ははっきり覚えている。お金を抜きにしてでも、私はこの仕事が好きで好きでたまらないんだ。家族や本当の友達は、早く引退して欲しいと願っているのも、家族でも本当の友達でもない人々が今の私をまだもっと戦わせたいと思っているのもわかっているんだけど…」
ーボクシングは天職ということですか?でもいつかは、それもきわめて近い将来にあなたのような偉大なボクサーでも引退しなければなりません。
「神様が与えた仕事が天職というなら、その通りだ。一生この仕事をする、つまりリングの上で死ぬことが自分の人生だと確信していたこともあったけど…家族だけでなく、私を必要としてくれる人や、大切なものが、とにかく増えすぎてしまった」
ー大統領になるつもりですか?
「それは考えていない。最初は虐められた兄弟を守りたかった。貧困に喘ぎながら家族のために働く母親を助けたかった。目の前で友人が病気や事故で死ぬのを見たくないから、病院を建てた。学校に行けないことがどれだけ惨めでどれだけ辛いか、私はよくわかっているから学校を建てた。守りたい人や、助けたい人は、どんどん、とんでもない数に膨れ上がっている。 でも、この先が大統領だとは思っていない」
マレーシア クアラルンプール アクシアタアリーナ
WBA世界ウェルター級12回戦
王者:ルーカス・マティセ vs マニー・パッキャオ

世界はパッキャオの圧倒的有利とは見ていません。
摩訶不思議なことが起きるボクシングのリングでも、数々の奇蹟を起こしてきた灼熱の拳の物語は最終章を迎えています。
その激闘の戦譜は、68戦59勝38KO7敗3分まで積み上げられました。
〜マニー・パッキャオ 青春の日々〜
伝説の始まりは1995年。アマチュアで好成績を残していたパッキャオに、人気ボクシング番組「Blow by Blow」のプロデューサーから「1月22日のJr.フライ級の試合に出ないか」と声がかかりました。
報酬ゼロのアマチュアに全く未練のなかったパッキャオは、二つ返事で承諾します。
しかし、建築現場で重労働の仕事を週7日、公園整備の仕事を週3日、その他細々した仕事もこなしながらプロデビューをずっと夢見ていたパッキャオでしたが、自分がこの興行に出る資格がないことをちゃっかり知っていました。
彼は、二つの嘘をつきます。
Jr.フライは108ポンド上限ですが、パッキャオの問題は下限の100ポンドでした。当時は普段でも100ポンドを大きく下回る体重で、建設現場の仕事を終えた状態だと水をがぶ飲みしても100ポンドなんて絶対作れるわけもない痩身だったのです。
「あのときに(女子最軽量の102ポンドの)アトム級があったとしても体重を作れなかったね」。笑って振り返るパッキャオは「でもずっと前から対策は思いついていたんだ」とさらに笑います。
「建設現場にはベアリングからはずれた鉄球がいくらでも落ちているからね。そいつをポケットに入れまくって秤に乗ったのさ」。
一つ目の嘘は、体重詐称でした。
最近、世界中のボクシングファンを幻滅させている、体重超過とは真逆の〝ルール違反〟です。
そして、二つ目の嘘は年齢詐称です。
プロデューサーから「何歳だ?」と聞かれて「18歳です」と即答。プロデューサーは「18歳未満は出場できないんだ、良かったな」と、パッキャオの肩を叩いてくれました。パッキャオは「私は幸運です。ちょうど先月18になったばかりなんです」と喜びますが…実際は16歳。
誕生日が先月、12月17日ということは本当でしたが、2歳もサバを読んでいたのです。
デビュー戦の相手は2戦1勝1敗のエドムンド・エンティング・イグナシオ、未来の伝説は4ラウンド判定勝ちを収めますが、この試合を見て「伝説の始まりかもしれない」と直感できた先見の人は一人もいなかったでしょう。
100ポンドを大きく下回る超軽量の胃袋にはベアリングとのツープラトンでJr.フライ最下限をクリアするために飲んだ水で歩くだけでタプタプ音を立てた状態でリングに上がったのですから、まともに戦える体調ではありません。
さらに、当日計量とはいえ、リング上での体重差は10kg近くあったでしょう。
マニー・パッキャオのプロデビュー戦、そのファイトマネーは2米ドルでした。今のレートで220円、当時のレートや、フィリピンの特殊な貧困事情を勘案しても、その価値はせいぜい今の数千円でしょう。信じられない金額です。
奇しくも、11歳で夜祭の草拳闘デビューで受け取ったのも100ペソ、約2ドルでした。
それでも、丸一日路上でドーナツを売り歩くよりも、建設現場で100kgを超える鉄骨を一人で担いで運ぶ日当よりも、リングの上ではその何倍も稼ぐことができたのです。
ー昼間は働き通しで、夜はボクシングの試合、過酷すぎる毎日に見えますが?
パッキャオ「建設現場の仕事は本当にきつかった。ただ、ボクシングは夢だったから、リングに上がれるのは嬉しくて楽しくてたまらなかった。昼間の疲れはリングに上がったら全部吹っ飛んだ。最軽量のリミットと年齢を偽ってしまったっていう良心の呵責はあったけど、時間が経てば18歳になるし、ファイトマネーでまともな食事ができれば体重の心配もなくなったから、見逃して欲しいね」
ーその報酬も2ドル、仕送りもしていたそうですから、手元にはほとんど残りませんよね?
パッキャオ「マニラのテレビと契約したときは最低保障が2ドル、それに勝利給も加算されるし、スポンサーのミゲルビールからは毎試合ケース単位でビールをもらえたんだ。試合後は仲間と海岸でパーティを開いていた。プロになると、応援してくれる人が増えて生活の不安はなくなった…それに、もしかしたら私はお金のためだけに戦ってきたわけではないのかもしれない」
ーどういうことですか?
「母親に路上でドーナツや野菜を売った賃金だと嘘をついて草拳闘のリングに上がってたのも、当時はお金のためだと思っていたけど…今になって思い出すと、お金のために嫌な仕事をしているという感覚は全くなかったな」
ーでも、お金がもらえなかったら、危険な草拳闘のリングなんかに上がらなかったでしょう?
「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。大げさではなく、神様が私にボクシングを与えてくれた、その感覚ははっきり覚えている。お金を抜きにしてでも、私はこの仕事が好きで好きでたまらないんだ。家族や本当の友達は、早く引退して欲しいと願っているのも、家族でも本当の友達でもない人々が今の私をまだもっと戦わせたいと思っているのもわかっているんだけど…」
ーボクシングは天職ということですか?でもいつかは、それもきわめて近い将来にあなたのような偉大なボクサーでも引退しなければなりません。
「神様が与えた仕事が天職というなら、その通りだ。一生この仕事をする、つまりリングの上で死ぬことが自分の人生だと確信していたこともあったけど…家族だけでなく、私を必要としてくれる人や、大切なものが、とにかく増えすぎてしまった」
ー大統領になるつもりですか?
「それは考えていない。最初は虐められた兄弟を守りたかった。貧困に喘ぎながら家族のために働く母親を助けたかった。目の前で友人が病気や事故で死ぬのを見たくないから、病院を建てた。学校に行けないことがどれだけ惨めでどれだけ辛いか、私はよくわかっているから学校を建てた。守りたい人や、助けたい人は、どんどん、とんでもない数に膨れ上がっている。 でも、この先が大統領だとは思っていない」

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