「無敗王者のまま引退」。

このことにどれほどの価値があるのでしょうか?

ESPNマガジンは、創刊20周年記念特集で「THE DOMINANT 20」(この20年で最も支配的だったアスリート20人)を発表、フロイド・メイウェザーは8位にランクされました。

ボクサーとしてランキングされたのはメイウェザーと、19位のマニー・パッキャオの二人。

パッキャオが「史上唯一無二の八階級制覇を達成」とリング内での偉業について紹介されているのに対して、メイウェザーは50勝無敗の記録には触れられず「最も退屈な試合をするボクサーであり、それを見せる術を本能的に知っていたボクサー」と皮肉られています。

しかし、もっときちんと説明すると「最も退屈な試合」を「身内女性への暴力や銭ゲバぶりといったリング外での下劣な振る舞い」と「無敗のレコード」を全面に出して、多くの人々から「卑しいメイウェザーが初めて負けるところが見たい」という大きな欲求を引き出して、とんでもない金を稼いだということです。
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ブーイングを浴びながら入場し、試合中もその塩っぱさにブーイングを湧き起こしながらもマネーは、PPVキングとして君臨したのです。

アンチ人気を増大するために、人種差別発言を繰り返したり、DV事件を起こしたり、果ては懲役まで食らったのか?そこまでするか…?それはわかりません。ただ一つ分かっているのは、メイウェザーがアンチ人気がPPVの売り上げにつながることを明白に意識していたことです。

では、「(王者のまま)無敗」はビジネスとしてだけ有効で、ボクサーとしての価値は認められないものなのでしょうか。

世界史上に最も評価の高いボクサーはシュガー・レイ・ロビンソンですが、200試合に及ぶプロキャリアで19敗も喫しています。

〝The Greatest〟モハメド・アリは、61戦して5試合も落としました。

スベン・オットケはWBAとIBF、二つのピースを集めた世界ミドル級王者で34勝無敗のまま引退しましたが、殿堂入りは叶っていません。一方、同時代に活躍、ついに拳を交えることがなかったジョー・カルザゲも46勝無敗で引退しましたが、一発殿堂を果たしました。

やはり、ボクシングの世界では「強い相手に勝つこと」だけが唯一の評価基準で、「無敗王者のまま引退」には、大きな価値はないのでしょうか?


テリー・マーシュ(英国)26勝(16KO)無敗【IBFジュニアウェルター級王者】評価D

マーシュがジョー・マンリーからIBFジュニアウェルター級の王座を奪ったのは、1987年3月4日のことでした。

当時のこの階級はWBAがパトリツィオ・オリバやファン・マルチン・コッヒ、WBCは我らが浜田剛史やレネ・アルレドンドが割拠していましたが、ヘクター・カマチョのライト級とドン・カリーが陥落して大混乱のウェルター級に挟まれた完全なる〝隙間階級〟でした(元々が登場と消滅を繰り返してきた蜃気楼階級で、ヘンリー・アームストロングもこのタイトルを持っていましたが四階級制覇とは数えられていません)。

マーシュが獲得したタイトルは隙間階級で、なおかつ当時は主要団体として認められていなかったIBFだったのです(米国リング誌や日本のボクシングマガジンなどはIBFを「各国・地域タイトル」と同列に扱っていました)。

今ならジュニアウェルター級は堂々の難関階級、IBFも主要団体ですが、当時は全く景色が違ったのです。

地元で消防士を本職としながら、世界王者になったマーシュは、個人的には評価以上に強い王者だったと思います。
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1987年7月1日、マーシュが初防衛戦で地元に呼んだのは、悲運の亀田昭雄。5年前にアーロン・プライアーの地元シンシナティで散った〝200年に一人の天才〟は、初回から消防士の連打に圧倒された挙句、7ラウンド開始ゴングに応じることができずにTKO負け。

この試合は日本では「亀田に勝機がある」と期待され、英国でも「亀田やや有利」という下馬評でした。もし、亀田が勝っていれば、大きな果実にありつけるはずでしたが…。

この日、会場のロイヤル・アルバート・ホール(19世紀に建設された素晴らしくクラシックな劇場です)のリングサイドがざわついていたのは、予想外のワンサイドゲームに観客が戸惑っていたからではありません。

団体の認知浸透に躍起のIBFが大枚はたいて、超大物をリングサイドに呼んでいたのです。ヘクター・カマチョです。

カマチョは三階級制覇を賭けて、この試合の勝者に挑戦することが内定していたのです。しかし、マーシュは持病のてんかんが悪化、引退を余儀なくされてしまいます。

そして、亀田もこの試合を最後にグローブを吊るします。

カマチョがリングサイドに座っていたことを除くと、世界はもちろん、日本でもほとんど注目されることのなかったひっそりとした世界戦でした。

テリー・マーシュは、引退から2年後の1989年に大プロモーター、フランク・ウォーレンを銃撃したかどで逮捕されましたが、すぐに無罪釈放される事件に巻き込まれました。また、2010年には英国総選挙に出馬して落選、2014年にはチェスとボクシングの2試合を行う競技で世界ウェルター級王者を獲得、二階級制覇(?)に成功しています。地味な現役時代とは打って変わって波乱の人生を送っているのです。

テリー・マーシュは、世界的には無名、日本のファンにも無敗のまま引退した王者というよりも「亀田昭雄に勝った黎明期のIBF王者」として記憶されています。

マーシュの「無敗王者のまま引退」に、世界評価の値打ちは全くありません。しかし、ボクシングにおいて、無敗王者というだけではいかに無意味かを教えてくれる絶好の教材ではあります。

そして、マーシュにとっても無敗王者がとりあげられるたびにメディアに登場し、顔を売って小銭も稼げるメリットがあります。