広く知られていることですが、フレディ・ローチは伝説のトレーナー、エディ・ファッチの薫陶を受けた元プロボクサーでした。

米国ニューイングランド(ニューハンプシャーやマサチューセッツなど東北部6州)のフェザー級王者になるなど、1978年のデビューから27戦で26勝(9KO)1敗と素晴らしい数字を積み上げました。

箸にも棒にもかからないボクサーではなかったのです。

水曜日、春の日差しが暖かい昼休みにご紹介するのはリング誌の長寿コーナー「BEST I'VE FACED」(私のキャリアで最強の相手)、フレディ・ローチの回です。

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1985年、世界史上最も華美で騒がしいスーパースター、ヘクター“マチョ”カマチョはジュニアライト級とライト級で二階級制覇、無敗の戦績を27戦全勝15KOまで伸ばし、この世の春を謳歌していました。このマッチョマンと、ジュニアウェルター級ノンタイトル10回戦で拳を交えたローチでしたが、3−0の完敗を喫してしまいます。


BEST  I'VE  FACED 〜 Freddie Roch…生涯成績40勝(15KO)13敗

◉BEST JAB◉ アンディ・ナンス(1986年4月14日/10ラウンドKO負け)

「カリフォルニア州ライト級チャンピオンのナンスのジャブは強烈だった。打たれ強さには自信があったが、グローブの中に石でも入れてるんじゃないかと思うほど固くて強いジャブだった」。


◉BEST PUNCHER◉ レニー・バルデス(1982年7月1日/2ラウンドTKO負け)

「とにかく序盤がめっぽう強いパンチャーなのはわかっていたが、キャリアで初めてダウンを奪われストップされてしまった。バルデスと戦うまでは自分がノックアウトされるなんて想像もしていなかったから、ショックだったよ」。


◉BEST CHIN◉ グレグ・ホーゲン(1985年8月22日/7ラウンドTKO負け)

誰もが知っている、ライト級史上にその名を残すビッグネームですが、このときは11勝無敗5KOのホープでした。IBFバージョンのライト級王座を獲得するのは翌年12月5日のことです。

「私のパンチがまともに当たっても、ホーゲンは何事もなかったかのように打ち返してきた。とにかく打たれ強かった」。


◉BEST DEFENSE◉ マリオ・チャベス(1981年5月21日/SD勝利!)

「元カリフォルニア州バンタム級チャンピオンだったチャベスは、私のキャリア序盤で出会った最高の防御技術の持ち主だった。

右のガードがルースになった隙に何度も速いパンチを打ち込んだが、頭を振って上手く額で受けられてしまった。そんなことを繰り返してるうちに、拳を骨折してしまったんだ。

無名だが、額を上手く使ってクリーンヒットを許さない非常にクレバーなボクサーだった」。


◉FASTEST FEET◉ ヘクター・カマチョ(1985年12月18日/0−3判定負け)

「カマチョしか思い浮かばない。あの出入りの速さは、信じられないくらい。私がパンチを打つと、10フィート先に瞬間移動しているんだ。

精密な距離の測定技術が優れているから、あのスピードが生きて来る。とにかく信じられないくらいに速かった」。


◉FASTEST HANDS◉ ヘクター・カマチョ

「やはり、カマチョだ。こっちが一発撃つ間に、三発、いや四発返してくるんだから」。


◉STRONGEST◉ トミー・コルドバ(1984年6月12日/1−2SD判定負け)

「コルドバは“白いアーロン・プライアー”だった。コーナーを飛び出したら、まっすぐに総攻撃を仕掛けてきた。

パンチはなかったが、前に出てプレッシャーをかけ続けて、休ませてくれなかった。まさに、プライアーだったよ」。

プライアーは大げさですね(笑)。


◉BEST BOXER◉ ヘクター・カマチョ

「強打者ではなかったが、それ以外は全てを持っていた。手も足も速くて、頭も良く動いた。

もし彼がボクシングに全身全霊を捧げていたら、歴代PFPでもトップに数えられる一人になっていたはずだ」。

◉SMARTEST◉ ボビー・チャコン(1985年3月5日/0−2MD判定負け)

2ラウンドに2度ダウンを奪うなど、元WBCジュニアライト級王者のビッグネームを追い込みますが…。

「チャコンは倒されたのに『これがお前の全力のパンチか?こんなパンチじゃ俺をKO出来ないぜ』と話しかけながら立ち上がってきたんだ。

あそこで全ての力を使ってでも倒しに行くべきだったけど、もしかしたら効いてないのか?と迷ってしまった。自分を信じる力がチャコンの方が強かった、そしてボクシングでは往々にしてそこで勝負が決まるのさ」。


◉BEST OVERALL◉ ヘクター・カマチョ

総合的に最も完成されていたのはカマチョだ。あのスピードに対応するのは至難の技。

永久に動き続けられるんじゃないかというほど速くて滑らかで、コンビネーションも多彩だった。

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1981年3月26日、ラスベガスのアシエンダホテルの特設リングでホセ・レゼンデスを攻め込むローチ。

1986年10月24日、マサチューセッツ州・ローウェルオーディトリアム。無敗の23歳、デビッド・リベロに0−2のMDで13敗目を喫したローチは、ボクサー人生の幕を引きます。

このとき、フレディ・ローチは26歳。

9年間のプロボクサー生活でパンチを浴び続けた影響で、パーキンソン病の初期症状も出ていました。

「世界チャンピオンになりたくて、ボクシングに全てを捧げて生きてきたのに、その夢はもう叶わないことがわかってしまった。私は、これからの人生をどう生きていけばいいのだろう」。

ボクシングを失った26歳の若者の目に映る未来は、吸い込まれてしまうような深い真っ暗闇で、小さな星の一つすらも見ることができませんでした。

「もう私の人生は終わりだ」。