軽量級の名選手でも大きな壁となってきた“10ポンド”。
タイプ別にその壁に打ち砕かれたグレートを振り返ります。
💀💀💀急ブレーキ型《一寸先は闇》💀💀💀
ローマン・ゴンザレスは圧倒的な技量を見せつけてストロー、ジュニアフライ、フライ級の三階級を制圧、軽量級ボクサーとして史上初のPFP1位の座を掴み取りました。将来、一発殿堂確実のグレートです。
しかし、ストロー (105ポンド)から10ポンド先のジュニアバンタム(115ポンド)では、カルロス・クアドラスからタイトルを奪い四階級制覇に成功するものの、フライ級(112ポンド)までの飛び抜けたパフォーマンスは影を潜め、クアドラスのスピードに戸惑い、シーサケット・ソールンビサイのパワーに押し潰されてしまうのです。
ロマゴンにとって、PFP1位に栄誉を得て我が世の春を謳歌したフライ級からたった3ポンド、1.36kg先に、魔物が待ち構えていたのです。。
2016年9月16日、クアドラスに辛勝してジュニアバンタム級のWBCバージョンを獲得、四階級制覇に成功したロマゴンでしたが、この試合ですでに階級の壁に苦しんでいました。
昨年3月の初戦で、シーサケットの体格と体力に押されていたロマゴン陣営は「7日前軽量で121ポンド」という理不尽な要求をBサイドのタイ人に飲ませました。
しかし「初戦は2カ月前にいきなり声をかけられて準備不足だったが、今回は試合4ヶ月前からトレーニングを開始、万全に仕上げることが出来た。ロマゴンをKOする絶対の自信があった」というシーサケットとの第2戦はミスマッチと評するメディアもあるほどの一方的な展開の末にカンバスに沈みました。
「チョコラティト」の愛称通り、滑らかな動きから繰り出される多彩なコンビネーションで対戦相手を詰め将棋のように追い込んでいくロマゴンのスタイルは、ストロー級時代ですでに完成されていたものです。
完璧なスタイルを体得していたロマゴンにとって、階級を上げることでスタイルチェンジをする必要はなく、フライ級までの三階級ではそれで充分通用していたのです。
マニー・パッキャオが左一本の荒削りな原石でフライ級を制し、“マニラアイス”(フレディ・ローチはさかんに喧伝してましたが定着しませんでしたね)の右リードを磨き、引き出しを増やしながらスタイルのマイナーチェンジを重ね、ジュニアミドル級まで獲得した姿とは対照的です。
フライ級時代のマニー・パッキャオの武器は、勇気と左ストレートだけでした。誰が見ても引き出しの少ない突貫ファイターでしたが、そんなパッキャオが多彩な右リードを操り、変幻自在のステップで大男を翻弄する「史上最高のサウスポー」(バート・シュガー)に昇華するなんて、当時は誰一人として想像できませんでした。
スタイルを変える必要が見当たらないほど完成されていたがゆえに、そのスタイルが耐えられる体格差を超えてしまった時点で破綻するのは必定でした。
現実には、シーサケットとの第2戦でロマゴンは本来のプレッシャーをかけるスタイルを捨て、サイドやバックにステップを踏み、正面衝突を避けようとしましたが、体格で勝るタイ人を勢いづけるだけでした。
スタイルは違えど、やはり高度に完成されたリカルド・ロペスがストロー級に固執し、複数階級制覇に消極的だったのは、本能的に危険を嗅ぎつけていたのでしょう。
「完成され過ぎて修正・改善の余地が少ない」。贅沢な悩みですが、それはある意味で「引き出しが少ない」ということなのかもしれません。
ビック・ダルチニアンも「急ブレーキ型」でした。
「怪鳥」と呼ばれた個性的なスタイルで強打を振るい、2004年に獲得したフライ級のIBFバージョンに加え、IBOのピースもピックアップ、階級最強を証明しました。
2007年7月7日、七夕の夜(そんなもの米国にはありませんが)にノニト・ドネアに大番狂わせを起こされフライ級王座を追われますが 、ジュニアバンタムでも圧巻の強さを見せつけ、WBA/WBC/IBFの3団体を統一、Undisputed Championに王手をかけます。
ジュニアバンタム時代にドネアとの再戦が実現していたら、これはすごい試合になっていたでしょう。何度かテーブルに乗った交渉は決裂してしまったのは本当に残念でした(二人は、ともに完全に行き詰まったフェザー級でやっと再戦しましたが、それはもはや階級最強を決める舞台ではなく、完全な賞味期限切れのマッチアップでした)。
ジュニアバンタム(115ポンド)でPFP10傑入りしたダルチニアンでしたが、3ポンド、1.36kg重いバンタム級(118ポンド)で予想外の停滞を強いられます。
2009年7月11日、IBFバンタム級王者ジョゼフ・アグベコに挑戦。アグベコもタフな強豪王者でしたが、オッズは2−1でPFPファイターが有利と見ていましたが…。
しかし、ジュニアバンタムまでは、あれほど強烈で圧倒的だった“レイジング・ブル”のパンチがアグベコに通用しません。115ポンドでは後退することを知らなかったダルチニアンですが、118ポンドではバックペダルを踏むシーンが目立ち、本来の戦い方が出来ません。0−3の判定負けで三階級制覇を阻まれてしまいます。
フライ、ジュニアバンタムの二階級で圧倒的な最強王者だったダルチニアンは、殿堂入りも十分にありうるグレートです。
しかし、バンタム級ではその輝きをついに取り戻すことは出来ませんでした。
ダルチニアンはアグベコ戦時点ですでに33歳、階級の壁だけでなく加齢による衰えもあったのではないかとも考えられます。とはいえ直前の115ポンドであれほど躍動していたのですから、その推測には説得力がありません。
アグベコ戦のリングに上ったダルチニアンの戦績は、32勝(26KO)1敗1分。その後の19戦では、11勝(6KO)8敗、フライ級からジュニアバンタムへの3ポンドは易々と超えたアルメニア人でしたが、次の3ポンドで全くの別人になってしまったのです。
タイプ別にその壁に打ち砕かれたグレートを振り返ります。
💀💀💀急ブレーキ型《一寸先は闇》💀💀💀
ローマン・ゴンザレスは圧倒的な技量を見せつけてストロー、ジュニアフライ、フライ級の三階級を制圧、軽量級ボクサーとして史上初のPFP1位の座を掴み取りました。将来、一発殿堂確実のグレートです。
しかし、ストロー (105ポンド)から10ポンド先のジュニアバンタム(115ポンド)では、カルロス・クアドラスからタイトルを奪い四階級制覇に成功するものの、フライ級(112ポンド)までの飛び抜けたパフォーマンスは影を潜め、クアドラスのスピードに戸惑い、シーサケット・ソールンビサイのパワーに押し潰されてしまうのです。
ロマゴンにとって、PFP1位に栄誉を得て我が世の春を謳歌したフライ級からたった3ポンド、1.36kg先に、魔物が待ち構えていたのです。。
2016年9月16日、クアドラスに辛勝してジュニアバンタム級のWBCバージョンを獲得、四階級制覇に成功したロマゴンでしたが、この試合ですでに階級の壁に苦しんでいました。
昨年3月の初戦で、シーサケットの体格と体力に押されていたロマゴン陣営は「7日前軽量で121ポンド」という理不尽な要求をBサイドのタイ人に飲ませました。
しかし「初戦は2カ月前にいきなり声をかけられて準備不足だったが、今回は試合4ヶ月前からトレーニングを開始、万全に仕上げることが出来た。ロマゴンをKOする絶対の自信があった」というシーサケットとの第2戦はミスマッチと評するメディアもあるほどの一方的な展開の末にカンバスに沈みました。
「チョコラティト」の愛称通り、滑らかな動きから繰り出される多彩なコンビネーションで対戦相手を詰め将棋のように追い込んでいくロマゴンのスタイルは、ストロー級時代ですでに完成されていたものです。
完璧なスタイルを体得していたロマゴンにとって、階級を上げることでスタイルチェンジをする必要はなく、フライ級までの三階級ではそれで充分通用していたのです。
マニー・パッキャオが左一本の荒削りな原石でフライ級を制し、“マニラアイス”(フレディ・ローチはさかんに喧伝してましたが定着しませんでしたね)の右リードを磨き、引き出しを増やしながらスタイルのマイナーチェンジを重ね、ジュニアミドル級まで獲得した姿とは対照的です。
フライ級時代のマニー・パッキャオの武器は、勇気と左ストレートだけでした。誰が見ても引き出しの少ない突貫ファイターでしたが、そんなパッキャオが多彩な右リードを操り、変幻自在のステップで大男を翻弄する「史上最高のサウスポー」(バート・シュガー)に昇華するなんて、当時は誰一人として想像できませんでした。
スタイルを変える必要が見当たらないほど完成されていたがゆえに、そのスタイルが耐えられる体格差を超えてしまった時点で破綻するのは必定でした。
現実には、シーサケットとの第2戦でロマゴンは本来のプレッシャーをかけるスタイルを捨て、サイドやバックにステップを踏み、正面衝突を避けようとしましたが、体格で勝るタイ人を勢いづけるだけでした。
スタイルは違えど、やはり高度に完成されたリカルド・ロペスがストロー級に固執し、複数階級制覇に消極的だったのは、本能的に危険を嗅ぎつけていたのでしょう。
「完成され過ぎて修正・改善の余地が少ない」。贅沢な悩みですが、それはある意味で「引き出しが少ない」ということなのかもしれません。
ビック・ダルチニアンも「急ブレーキ型」でした。
「怪鳥」と呼ばれた個性的なスタイルで強打を振るい、2004年に獲得したフライ級のIBFバージョンに加え、IBOのピースもピックアップ、階級最強を証明しました。
2007年7月7日、七夕の夜(そんなもの米国にはありませんが)にノニト・ドネアに大番狂わせを起こされフライ級王座を追われますが 、ジュニアバンタムでも圧巻の強さを見せつけ、WBA/WBC/IBFの3団体を統一、Undisputed Championに王手をかけます。
ジュニアバンタム時代にドネアとの再戦が実現していたら、これはすごい試合になっていたでしょう。何度かテーブルに乗った交渉は決裂してしまったのは本当に残念でした(二人は、ともに完全に行き詰まったフェザー級でやっと再戦しましたが、それはもはや階級最強を決める舞台ではなく、完全な賞味期限切れのマッチアップでした)。
ジュニアバンタム(115ポンド)でPFP10傑入りしたダルチニアンでしたが、3ポンド、1.36kg重いバンタム級(118ポンド)で予想外の停滞を強いられます。
2009年7月11日、IBFバンタム級王者ジョゼフ・アグベコに挑戦。アグベコもタフな強豪王者でしたが、オッズは2−1でPFPファイターが有利と見ていましたが…。
しかし、ジュニアバンタムまでは、あれほど強烈で圧倒的だった“レイジング・ブル”のパンチがアグベコに通用しません。115ポンドでは後退することを知らなかったダルチニアンですが、118ポンドではバックペダルを踏むシーンが目立ち、本来の戦い方が出来ません。0−3の判定負けで三階級制覇を阻まれてしまいます。
フライ、ジュニアバンタムの二階級で圧倒的な最強王者だったダルチニアンは、殿堂入りも十分にありうるグレートです。
しかし、バンタム級ではその輝きをついに取り戻すことは出来ませんでした。
ダルチニアンはアグベコ戦時点ですでに33歳、階級の壁だけでなく加齢による衰えもあったのではないかとも考えられます。とはいえ直前の115ポンドであれほど躍動していたのですから、その推測には説得力がありません。
アグベコ戦のリングに上ったダルチニアンの戦績は、32勝(26KO)1敗1分。その後の19戦では、11勝(6KO)8敗、フライ級からジュニアバンタムへの3ポンドは易々と超えたアルメニア人でしたが、次の3ポンドで全くの別人になってしまったのです。



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