海外メディアでも高い評価を受け、PFPランキングではリング誌で7位、ESPNでも9位と、PFP評価が定着したこの約30年スパンで見ると、日本人の評価としてはいずれも史上最高位です。
ESPNの11人の専門家によるPFP投票での1位はゲンナディ・ゴロフキンを抜いたワシル・ロマチェンコ。井上を最も高く評価しているのは、ナイジェル・コリンズ(前リング誌編集長)の5位です。
井上が評価を上げるため、その実力を疑問視する批判を黙らせるために必要な「将来戦う可能性がある評価の高い強豪」はジュニアバンタム級にはシーサケット、エストラーダの名前がありますが、バンタム級のボクサーは一人も見当たりません。
ジュニアフェザー級ではギレルモ・リゴンドーが辛うじて10位票をゲット、フェザー級まで視野を広げると、レオ・サンタクルス、オスカー・バルデスの名前を見つけることは出来ますが…。
日本のメディアは減量苦に加えて「ジュニアバンタムの強豪が揃って井上から逃げた」と、転向の背景を語り、海外メディアや世界のボクシングファンが、井上をいかに高く評価しているかを記事やネットから引用しています。あたかも、井上への批判が少数意見、あるいは皆無であるかのように。
それは、真実でしょうか?
井上が対戦を熱望したローマン・ゴンザレスはジュニアバンタムで明らかに階級の壁に苦しみ、撃ち合い上等、バックペダルを踏まないという相性最悪のシーサケット・ソールンビサイの強打に撃沈してしまいました。
そのWBC王者シーサケットは2月のスーパーフライ2興行で、メキシコのスター選手ファン・フランシスコ・エストラーダとの防衛戦が決定。井上が対戦するとなると、最短でも夏以降です。
IBF王者のジェルウィン・アンカハスは、井上戦を表明しましたが、具体的な交渉は始まりませんでした。
WBA王者のカリド・ヤファイはこの階級で最も集客力を持つ英国のスター選手、井上が対戦するなら相手の条件を丸呑みさせられたBサイドで、英国のリングに上がるしかありません。
ヨアン・ボワイヨ戦の前日計量の姿を見ても、115ポンドの体重を作るのは非常に厳しくなっていることは素人目にも明らかで、ジュニアバンタムで評価の高い強豪とのマッチメイクのめどが立たない現状ではバンタム級転向は自然の成り行きです。
しかし、「対立王者が井上から逃げた」というのは大間違いです。むしろ、世界では逆の見方までされています。
シーサケットは「ジュニアバンタムの統一」を明言、カルロス・クアドラス、ロマゴンとの2連戦、そしてエストラーダ、文句無しの強豪と拳を交え続けています。この階級の頂点に踊り出たタイ人の目には「井上が逃げた」としか映らないでしょう。
アンカハスが井上戦を表明したのはカネの匂いを嗅ぎつけたからです。ボワイヨらと同じ桁の報酬では絶対首を縦に振りませんから、足元を見てくるアンカハス陣営とは苛烈なタフネゴシエイションになることは間違いありません。
そのアンカハスに、カネの匂いを嗅ぎつけたのがトップランクです。英国でのヤファイとのビッグマッチを見据えて2年6試合の大型契約を提示、ボブ・アラムが目の前に差し出してくれたご馳走を断って、井上と埒のあかない面倒な交渉に臨む理由などあるはずがありません。
階級最強を追求するシーサケット、ジュニアバンタム級ウォーズの中で自らの商品価値を高めることを最優先するアンカハス、この階級で飛び抜けた人気とマネーパワーを持ち対戦相手を選り好み出来るヤファイ。
この3人にとって、井上との対戦は最優先ではありません。
リング誌は「井上をPFP10傑に数えているが、彼の対戦相手の質は極めて低い。ジュニアバンタムでリング誌のランキングに入っていたのは、落ち目のオマール・ナルバエスと、決定力に欠く河野公平の二人だけで、他の6人は承認団体が独善的に決めた世界基準にないボクサー」、ESPNも「井上のパンチはマイク・タイソンのように正確で速くて、一方的に強い。しかし、井上は後退を強いられる逆境に追い込まれた時に何ができるかはわからない、そして何よりも彼は本物の強豪には一度も勝っていない、やはりタイソンのように」。
井上寄りの記事が多いボクシング・シーンでも「速くて強いパンチを持っている井上は多くのメディアでPFP10傑入りしているが、対戦相手の質が低いことは否定できない。シーサケットと戦えば、井上が本当に強いかどうかがわかるが、どうやらその気はないようだ」。
シーサケットとエストラーダはESPNのPFP投票を見るまでもなく、世界的に評価の高い強豪です。この両者の勝者と戦う意味は、ジュニアバンタムで苦闘していた昨年春時点のロマゴンに勝つ以上に価値があることは言うまでもありません。さらに、この勝者は、PFPランキングで井上を抜く可能性まであります。
もちろん、井上からしたらシーサケットとエストラーダの勝者と今年中に戦える保証はどこにもありません。井上からしたら「今年2月のスーパーフライ2で対抗王者の一人、あるいはビッグネームと戦えなければバンタム転向」は既定路線です。
かつて長谷川穂積は、世界的評価がはるかに格下のフェルナンド・モンティエルと戦うために、誰もが穴王者と見ていたこのメキシコ人に自分よりも過大な報酬を支払うような大幅な譲歩を強いられました。ビジネスを度外視して世界的評価、純粋な栄光だけを追い求めるような譲歩が、果たして今の井上に必要なのかどうか、私には疑問です。
あの試合で、結果を抜きにしても長谷川はハイリスク・ローリターンを選び、アンダードッグにもかかわらずキャリア最高の報酬を得たモンティエルは美味しすぎる、ローリスク・ハイリターンにありついたのです。
リスクを最小限に、リターンを最大に、それがビジネスの絶対基本です。プロボクサー=ビジネスという観点から考えると、アンカハスは抜け目のないプロフェッショナルで、長谷川はお花畑の住人です。
対戦相手から見た井上はハイリスクです。もしその対戦相手が世界タイトルや人気など有形無形の冠を持っていたら、そのリスクはさらに増大します。莫大なリターンを要求するのは当たり前です。十分なリターンを用意しなければ、誰も交渉のテーブルには座りません。
アントニオ・ニエベスやボワイヨらは井上からのオファーを断ると次にいつ世界戦が出来るかわからないボクサーで、その報酬も日本円で100万円も稼げれば御の字というキャリアを積んできたB級ファイターです。負けて失う人気も評価もほとんどゼロです。彼らにとって対井上のリスクとリターンのバランスは、リターンが明らかに大きかったのですから、喜んで日本行きの飛行機に乗ったのです。
アラムよりも明らかに分厚い札束でその頬を叩けば、アンカハスは喜んで日本に来るでしょう。英国でも手にできない2億円超の報酬を約束したら、ヤファイの重い腰も動くでしょう。
しかし、日本で約3000万円、米国で2000万円弱(昨年9月のスーパーフライ興行で井上は約4000万円の報酬を手にしましたが、その半分以上は日本からのスポンサー収入でした)レベルのマネーパワーしか持たない井上サイドには到底用意できない金額です。
井上が乗り込むバンタム級では、フランク・ウォーレンが「井上さえ望めば(傘下の)ゾラニ・テテとのメガファイトは簡単に決まる」と公言しましたが、英国きってのタフネゴシエーターの言葉には〝通訳〟が必要です。
ウォーレンにとって、南アフリカ人のテテは、帝里木下と神戸で戦った頃からその価値を高めているとはいえ、傘下のカール・フランプトン、ビリー・ジョー・サンダース、テリー・フラナガンらのスターとは明らかに違う「捨て駒」です。もし、彼がヤファイ(マッチルームボクシングの超大駒)を持っていれば、簡単には井上とはぶつけないでしょう。
テテとの交渉では井上サイドは買い手の立場です。ウォーレンはテテのキャリア最高の報酬と、さらに日本開催と引き換えに法外な金額をふっかけてくるでしょう。それでも、所詮は捨て駒、ヤファイやアラムを向こうに回すよりはずっと実現の芽はありますが…。
「井上は避けられている」と信じているファンは多いでしょうが、全盛期のマニー・パッキャオは今の井上をはるかに凌駕する危険なボクサーでした。にもかかわらず、ビッグネームの誰もがこの小さなフィリピン人との対戦を熱望しました。理由は簡単です。リターンが尋常でないからです。その巨大なリターンを考慮すると、そのリスクはもはやリスクとは呼べませんでした。
惨敗してもパッキャオに負けたのなら誰も批判しません。もし勝てば、ボクシング史に大きな爪痕をのこすことが出来ます。そして何よりも、試合後には今まで見たこともない金額の人生最大の報酬が、その銀行口座に振り込まれるのです。
今の段階の井上は「質の低い相手とばかり戦っているが、本当に強い可能性も十二分にある危険な相手」です。つまり、勝っても「なんだ、井上は本当は大したことなかったんだ」と自分の評価に100%跳ね返ってこない恐れもあるのです。モンティエルがそうでしたが、長谷川サイドが積んだ法外な報酬の重みで、メキシコ人のリスクとリターンの天秤が逆転したのです。
世界タイトルの冠を被って、人気の看板もあるボクサーから見た現時点の井上は、パッキャオ戦とまではいかないまでも大きなリターンが見込めないばかりか、勝っても「井上が弱かった」と十分な評価がされない懸念まであります。もちろん負ければ、王冠も人気も失う、明らかにハイリスク・ローリターンの相手です。
井上が求める「ヒリヒリする相手」を呼ぶ方法は二つしかありません。
一つ目は、リスクを大きく上回る報酬を、対戦相手のリターンの天秤に積み上げることです。現時点の井上の商品価値、マネーパワーを考慮すると、長谷川のようにビジネスを度外視した興行を打つことにななってしまいますが…。
二つ目は、逆にリスクの天秤に過重な危険を詰め込むことです。パッキャオがやったように、井上が小さく簡単な相手だと映る階級(具体的にはフェザー級でしょう)まで進出して、報酬も含めて圧倒的不利の条件で戦うことです。
井上サイドが大きなリスクを抱えるこの方法は、爆発的な野心と飛び抜けた実力のマグマを煮えたぎらせたハングリーなアンダードッグでも成功の可能性は低く、日本のスター選手が選ぶオプションではありません。
井上は昨年米国デビューしましたが、報酬が米国側が提示した2000万円弱だけで、日本からのスポンサー収入の積み上げがなかったとしたら、「ニエベスは怖くないが、米国まで行って日本でやるより報酬が遥かに低いなんてどうよ?」 と二の足を踏んでいたかもしれません。
現時点の井上はパッキャオのようなリターンが期待できず、その実力も正確な輪郭が見得ていません。タイソンがそうだったように、サンドバッグのような相手なら誰よりも鮮烈に圧勝できることは明らかですが…。
長谷川やドン・カリーが無敵の快進撃を続けていたのは、対戦相手の質と、幸運にも誰もその顎を叩かなかったからです。井上もまた、誰にもその顎を叩かれたことがありません。
井上の顎がガラスで出来ているのか、それとも鋼鉄が仕込まれているのか、これは誰にもわかりませんが、そのときは必ず訪れます。そのとき、マービン・ハグラーやフリオ・セサール・チャベスのように何事もなかったかのように戦い続けるのか、シュガー・レイ・レナードやフロイド・メイウェザーのように魂の反撃を見せるのか…それとも…。
【リング誌「夢の対決」。シーサケットと井上が戦えば…ヤファイ、ルディ・エルナンデス(日本でもお馴染みの名トレーナー)、マーティン・マルケイ(リング誌記者)が予想。3者ともに井上勝利を支持しています。しかし、全盛期のロマゴンのような接近戦に秀でたファイターをさばけるか、後退を余儀なくされた時にボクシングが出来るか、圧勝以外のパターンでどう戦えるかは、全くの未知数です。】
そして、今日のリング誌電子版から。ダグ・フィッシャーが読者からの質問・意見に答える名物コーナー「DOUGIE’S FRIDAY MAILBAG」からです。
◼︎「井上がまた逃げた」「井上は過大評価」「PFP10傑に数えるにふさわしいボクサーではない」という記事を目にすることがあるが、それは正しくはない。井上はジュニアフライ級時代のプロわずか4戦目でで、12月に新しいリング誌王者となった田口良一に勝ち、リング誌ジュニアフライ級でもランクされていたエイドリアン・エルナンデスを破り、やはりリング誌ジュニアバンタム級1位だったナルバエスにも勝っている。まだ24歳の若者が、わずか15戦のキャリアで3人もの強豪と戦っているのだ。井上が強豪を避けているというのは、明らかに間違った見方だ。◼︎
日本の偏向記事もいただけませんが、海外の「井上は逃げている」という意見もやはり早計です。ただ、「井上はまだ試されていない」、これは揺るがしがたい事実です。
日本では「伝説の王者」と紹介されたナルバエスにしても、その全盛期ですら世界評価は低く「あれだけ連続防衛して勝ち続けているのにPFPにかすりもしないのは、ウィラポン以来」と言われていました。理由は単純で、勝ったのは弱い相手ばかりだからです。
バンタム転向は正解です。テテはもちろん、ルイス・ネリ対山中慎介の勝者、ライアン・バーネットと、PFPにはその名を連ねていませんが、強豪と呼べる相手はいます。
ただ、やはり階級の壁は心配です。ロマゴンのジュニアバンタム、ビック・ダルチニアンのバンタムのように、「その1階級」だけで一気に脆弱化してしまうサンプルも少なくありません。
ジュニアバンタムでのパワー勝ちは出来なくなるかもしれませんが、井上尚弥ならやってくれるでしょう。心配をよそにテテもネリも吹っ飛ばしてくれるかもしれません、もしかしたら新しい引き出しを開けてくれるかもしれません。
お楽しみはこれからです。
コメント
コメント一覧 (2)
もったいないお言葉、ありがとうございます。
引き続きよろしくお願い致します。