日本時間の今日から4日間、ボクシング殿堂の式典が、ニューヨーク州カナストータで開催されます。

あらゆるスポーツは、そのパフォーマンスによってのみ評価されるべきで、リングやフィールド、パフォーマンスの舞台を離れたサイドストーリーが先走って取り沙汰されるときは、多くの場合〝本編〟が評価するに値しない、つまらないものです。

しかし、どんなものにでも必ず例外があります。

リングの上でも、そしてリングの外でも、強烈にファンを惹きつけてやまないボクサー、まぁ、そんな奴は滅多に出現しませんが…。

しかし、深い地層に隠された宝石が何かの奇跡で、地上にふと顔を出すように、本当に稀に私たちの目の前にその姿を現してくれることがあります。

ジョニー・タピアは、まさしく、そんな希少な宝石でした。
  
Mi Vida Loca: The Crazy Life of Johnny Tapia, Tapia wrote: "My name is Johnny Lee Tapia. I was born on Friday the 13th. A Friday in February of 1967. To this day I don't know if that makes me lucky or unlucky. 

【ニューメキシコ州アルバカーキはタピアのライバル、ダニー・ロメロも輩出しましたが、この地から生まれた最も偉大なボクサーはボブ・フォスターでしょう。二人のラストファイトは、フォスター1978年、タピア2011年、何と33年もの隔たりがあります。そして、何よりもフォスターはライトヘビー級で、タピアはジュニアバンタム。「同じ故郷を持つ殿堂入りボクサー」という共通点はあっても、リング上で二人が出逢うことはない…そのはずですが、わずか8人のボクサーが戦いのバトンをつなぐと、この二人がリングの上で対峙するのです。フォスターが戦った相手を辿ると→ムスタファ・ワサヤ→マイケル・スピンクス→ジム・マクドナルド→バーナード・ホプキンス→オスカー・デラホーヤ→マニー・パッキャオ→マルコ・アントニオ・バレラ→タピアに辿り着きました!=リング誌の人気企画「ADVANCED DEGREES(あらゆるボクサーは必ず出逢う)から」】

タピアは、イベンダー・ホリフィールド、マルコ・アントニオ・バレラと共に、殿堂入りしましたが、悲しい哉、この厳かな式典で彼のスピーチを聞くことは出来ません。

2012年5月27日、45歳の若さで天国へ旅立ってしまったからです。

壮絶な45年間でした。

タピアが1967年ニューメキシコ州アルバカーキで生まれた時、父親、ジェリーはすでにいませんでした。彼がまだ母親のお腹の中に入る頃に、銃撃されて殺されのです。

しかし2010年、連邦刑務所から釈放された一人の男が「俺はタピアの父親だ」と名乗り出ます。

もちろん、タピアは無視しますが、男はDNA検査の結果を公表しました。

99,999999%。男がタピアの父親でない確率は、1億分の1以下でした…。

暴力とドラッグが渦巻く、恐ろしく治安の悪い街で、酷い貧しさに耐えながらもタピアは母親、バージニアにべったり寄り添って生きていました。

しかし、この街では幸せな日々などそもそもありません。

毎日、毎日が不幸の連続であるだけでなく、取り返しのつかない絶望的な大きな不幸がいつか必ず襲ってくるのです。

彼がまだ8歳の時、母親が自宅に上がり込んだ何人もの男たちに無理やり連れ出されるのを目撃してしまいます。

最も大切な人が生死の危険に曝されている!

母親は抵抗虚しくトラックの荷台に乱暴に放り込まれてしまいます。

タピア少年は、大声を上げて助けを求めますが、隣人たちは「うるさい!黙れ!」と彼を追い払うか、薄笑いながら全く無視するか、そのどちらかでした。

こんな事件は、この狂った街では珍しいことではありません、いいえ、こんな毎日こそが日常だったのです。

数日後、警察の手で戻ってきた母親の姿は、本当なら8歳の子供には絶対に見せてはいけないものでした。

しかし、タピアはその姿を目に焼き付けてしまいました。そう、本当に、彼の網膜に焼き付けてしまったのです。

2004年にCNNのインタビューに答えたタピアは「この目で見てしまったんだよ、今でもはっきりと見える。毎晩のように夢に出てくるんだ。母親は全身を22箇所もアイスピックで滅多刺しにされ、乱暴されて殺されたんだ」。

「地獄のような」と思っていた人生が、それは全くの大間違いだったことを、わずか8歳の少年が思い知ることになりました。

地獄の「ような」ではない。まさしく、地獄だと。

地獄の街で渦巻く暴力とドラッグの海に、少年が飲み込まれてしまうのは、これ以上ない必然でした。そうならない8歳なんて、いるわけがありません。

しかし、この時、タピアは暗くて深い海の底に引きずり込まれながらも、必死で細くて頼りない命綱を掴んでいました。

命綱の先には、やはり頼りない錨が結ばれていました。しかし、この頼りなく、小さな錨は真っ暗闇の海底に、しっかりと根を下ろし、タピアがどんなに地獄の渦に振り回されても、その綱は決して切れることはありませんでした。

そして、タピアもまた強く握り締めたその綱を放すことは生涯ありませんでした。

タピアは、45歳で亡くなるまで、薬物とアルコールと悪夢に、のたうち回り続けます。

自殺未遂を繰り返し、薬物や急性アルコール中毒で何度も昏倒、医師から4度も死亡診断を受けることになります。

「4度も死んだけど、ご覧の通り俺は生きてるぜ。ただ、医者が宣告したその4度よりも、もっと死に近付いたことは数え切れないくらいあるけどな」。

それでも、タピアは死にませんでした。

あの錨が、最後の最後でタピアを生きることにつなぎ戻したからです。

絶望に飲み込まれながらも、少年が絶対に放すまいと。必死で掴んでいた綱とその錨の名は、ボクシングでした…。