亀海喜寛が、ミゲール・コットと WBO世界ジュニアミドル級王者を賭けて8月26日、カリフォルニアのスタハブセンターで激突します。

コットが、今のボクシング界でも屈指のビッグネームであることは間違いありません。

では、日本人が戦った過去最大の名前なのか?

先に答えを出すと、YESです。


【コットは、ウィルフレド・ゴメス、ヘクター・カマチョ、フェリックス・トリニダード…ボクシング大国プエルトリコの生んだスーパースターの系譜に連なるグレートです。まさか、日本人とグラブを交える日が来るなんて!(写真は20ページに渡るメイウェザーvsコット特集を組んだリング誌)】

純粋な実力評価で「日本人が戦った過去最強のボクサー」となると、リング誌が60年代という10年のスパンでもPFP1位に推しているエデル・ジョフレが傑出してはいます。しかし、アトラクション(ファンを引きつける磁力)という点では、軽量級の注目度が低いことに加えて、ジョフレは「恐ろしく強い王者」と敬遠されていたため、大きなパワーは持ち合わせていませんでした。

そもそも、絶大なアトラクションを持つボクサーが日本に来るとしたら、フォアマンやタイソンが2線級相手に防衛戦を行ったような〝顔見世興行〟です。

では、ノンタイトルで小林弘、世界戦でガッツ石松が拳を交えたロベルト・デュランは?さすがのコットも、デュランとは分が悪すぎます。実力評価はもちろん、人気、報酬とも偉大なパナマ人に軍配が上がります。しかし、小林、石松が戦った70年代初頭のデュランは、この破天荒な若者が何者なのか、世界もわかっていない状態でした。日本人が戦った時点でのデュランの名前は、間違いなく現時点のコットよりも小さいものです。それをありにしてしまうと、マニー・パッキャオと戦った寺尾新で決まりになってしまいます。

【70年代初頭のデュランはボクシング界の風雲児と注目はされていましたが、まだスターダムの階段に足もかけていませんでした。】

ボクシングの人気凋落傾向に歯止めがかからない上に、2大スターのフロイド・メイウェザーが引退、パッキャオもファンが望むような強豪との対戦を避けて〝開店休業状態〟の中で、全盛期はとっくの昔に過ぎたとはいえコットの人気は絶大です。

アメリカで戦うボクサーが目指すのは、当然ながらスターの地位です。そのアトラクションの大きさを測定する尺度は、ズバリ、報酬、ファイトマネーです。

このファイトマネーの源泉は、時代とともに変化して来ました。長らく、ゲート収入(試合会場に観客をどれだけ集めることが出来るか)だけが、報酬に反映されてきました。しかし、ラジオの普及が進む1920〜30年代に成ると、ゲートだけではなく、人気ボクサーの試合にはスポンサー収入が加わります。


【ラジオで放送されることでスポンサーが付き、人気ボクサーの収入源が増えました。マニアや、当時を懐かしむ年配の方々が購入されるのでしょう、ラジオ時代の音声が販売されています。写真はリング誌の広告から。】

それでもラジオでは、ボクシング最大の魅力であるダイナミックな動きも言葉でしか伝えられず、依然としてゲート収入が興行の大きな柱でしたが、1940〜50年代に一般家庭でも浸透したテレビは、観戦スポーツの主役を「現場」から「家の中」に奪うという革命を引き起こしました。ボクサーの報酬はゲート収入だけでなく、スポンサー収入が大きな割合を占めるようになります。この時代のヒーローがジョー・ルイスや、あのシュガー・レイ・ロビンソンです。

興行主側から見たテレビの台頭は、大きな副作用もありました。ゲート収入の伸び悩みです。「無料のテレビ放送を見ながら自宅のソファに座り込んだファンの重たい腰をどうやって上げさせるか?」。その大命題の答えが、映画館などで生中継するクローズド・サーキットでした。アリの時代ですでにメガファイトを生放送で見るためには、チケットを購入してクローズドサーキットのスクリーンまで足を運ばなければならないことが多くなってしまうのです。

レナードやハグラーの時代、彼らの驚くほどの収入を支えたのが、このクローズド・サーキットでした。しかし、この〝クローズド〟の仕組みは、文字通り閉鎖的なもので「無料TVで放送してくれるなら絶対見るけど、お金を払ってまでは…」というファンを締め出してしまいます。こうして、一般のスポーツファンを無視したボクシング界のベクトルは、PPVのインフラが整った現在まで加速していきます。

一般ファンから乖離する道を選んだボクシングは、腐敗を極めたアルファベット団体による王者と階級の乱造によって、さらにその地位を自ら貶めて、今やマニア向けのスポーツになってしまいましたが、それはまた別の話です。

このPPVの売り上げこそが、現代ボクサーのアトラクションを測る最大のモノサシです。もちろん、一般ファンを無視した〝クローズド〟な北米市場のスターよりも、隆盛著しい英国のアンソニー・ジョシュアのように、巨大サッカースタジアムに9万人を集め、英国全土にその名を知られる方が遥かに健康的な人気なのですが。

このPPVの数字を見ても、コットがスター中のスターであることは明らかです。同時代のライバル、メイウェザーとパッキャオの後塵を拝しているとはいえ、この二人とのマッチアップでは、2009年のパッキャオ戦では125万世帯も販売しました。2012年のメイウェザー戦は、なんと150万世帯です。1件あたりの単価は画質などによって違いはありますが、およそ70ドル(約7000円!高過ぎます!そりゃまともなスポーツファンは離れますわ)として、メイウェザー戦では100億円以上売り上げたことになります。

この秋、ついに決戦のリングに上がるカネロ・アルバレスとゲンンディ・ゴロフキンは「メイウェザー対パッキャオ(440万世帯)に次ぐ史上2位の300万世帯に売れる」とGBPのオスカー・デラホーヤが豪語していますが、まず無理でしょう。確かにカネロは、直近のフリオ・セサール・チャベス戦で100万セールスを記録(2013年のメイウェザー戦:220万世帯に続いて2度目の大台)するなど、その人気は絶大です。

しかし、ゴロフキンが悲惨なんです。初のPPVとなった2015年のデビッド・レミュー戦はわずか15万世帯。連続KO記録がかかった今年3月のダニエル・ジェイコブス戦でも17万世帯と、PPVが商売的に成立すると言われる20万世帯にも届かないのです。さすがにカネロと戦うとなれば100万は軽く超えるでしょうが、ゴロフキン単体ではPPVに乗せる価値は無いと HBOは判断したでしょう。

中量級の時代を担うと期待されているテレンス・クロフォードも悲惨です。初のPPVとなった昨年のポストルとのジュニアウェルター級最強決戦は、ファンにとったら垂涎のカードでしたが、蓋を開けてみると、わずか5万世帯にしか売れませんでした。今年もリング誌のPFP1位と2位の激突となったセルゲイ・コバレフとアンドレ・ウォードまでもが、まさかの(予想通り?)16万世帯に沈みました。

実力と、試合の面白さ、さらにボクシングファンのベースが厚いメキシコかプエルトリコの血統を引いていないと、今やスターダムにのし上がるのは極めて厳しい状態が出来上がっているのです。

ゴロフキンのように実力と、試合の面白さを高いレベルで提供してもダメなんですから、なんだかガッカリな話ですが、一方でパッキャオの偉大さをあらためて思い知らされる数字ではありますね。

出自がメキシコかプエルトリコでないなら、パッキャオレベルの大暴れをしなければファイトマネーが1000万ドル(10億円)を超えるスターにはなれない、ということです。

コットは、パッキャオとメイウェザーの2試合でそれぞれ100万件突破、直近の試合2015年のカネロ戦でも90万世帯を売り上げていますから、メイウェザーが引退した現在の米国市場での存在感は、プライムタイムを謳歌しているカネロ、アトラクションの弱まったパッキャオに次ぐ、堂々3番手の人気者です。

プエルトリコのスーパースターは地理的にも東海岸、特にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでメガファイトを行うことが多いのですが、コットもその例外ではありません。しかし、今回は西海岸、カリフォルニアでの試合です。

コットが西海岸に初登場したのは2008年アントニオ・マルガリート戦(ラスベガス:MGMグランドアリーナ)でしたが、結果はご存知の通り、大番狂わせで無敗の快進撃を止められてしまいました。さらには、2009年同じ場所でパッキャオとのメガファイトに惨敗(この試合はパッキャオ陣営から145ポンドのキャッチウェイトを突きつけられるなどBサイドに回っての戦いでした)、2012年にもやはり同じMGMグランドアリーナで起死回生を狙ったメイウェザー戦も健闘むなしく完敗。そして、2015年ラスベガスのマンダレイベイで行われたカネロ戦でも完敗。

【2014年、セルヒオ・マルチネスからミドル級のリネラル(正統)王者の座を奪ったコット。この勝利もやはりマジソン・スクエア・ガーデンが舞台でした。リネラル王座がコットからカネロと超人気者で経由されたことが、今日のミドル級トップの構図をわかりにくくしてしまっているのですが…。】

つまり、コットの輝かしいキャリアで4つしかない黒星のうち、3つまでが西海岸で喫しているのです。無理やりですが、西海岸との相性は良くないですね。

西海岸との相性はオマケにしても、これまでの激闘で消耗劣化が無視できないレベルまで進んでいること、明らかな加齢による衰え、2年近いブランク…亀海にもチャンスは十分あります。今回の試合はPPVには乗りませんが、全米で生中継されます。

8月26日、長い間、コットの試合に飢えていた数多くのボクシングファンがチャンネルを「HBO World Championship Boxing」に合わせるでしょう。

亀海喜寛は、日本人ボクサーとして、歴史上、アメリカで最も露出することになるのは、もう間違いありません。

亀海にもチャンスはありますが、ボクシングと真摯に向き合い続けてきた寡黙なプエルトリカンが、亀海を舐めてかかってくれることはないでしょう。そして、何よりも、相手はあのコットです。衰えたとはいえ、全盛期にはメイウェザーが対戦を回避したと言われるほどの実力の持ち主です。

しかしながら、この試合、米国ではコットやWBOへ非難轟々です。「2年近くリングを離れて、しかもその試合も負けている選手がランキング1位?」「直近6試合を3勝2敗1分け、しかも旬のトップ選手と対戦経験すらない亀海が5位?」「大学や高校野球のチームの対戦にワールドシリーズの看板を掲げるような茶番」「ジェームズ・カークランドとの試合が内定していた時でも失望したのに亀海って誰?」…もう散々こき下ろされています。

まあ、でも日本のファンにとっては、今年は素晴らしい夏が迎えられそうです。

カークランドよ、負傷して試合をキャンセルしてくれてありがとう!WBOよ、腐った団体でも日本のファンは今回ばかりは礼をいわせてもらうぜ、ありがとうWBO!腐った団体で良かった!ありがとう!

そして、ミケール・コットよ!亀海喜寛を選んでくれて、本当にありがとう!

……8月26日、試合が終わった時、亀海を選んでしまったことを深く後悔するだろうけどね!

亀海!頑張れ!この夏に、日本史上、一番でっかい魚を釣り上げるんだー!