SWITCHインタビュー 達人達(たち)「村田諒太×萱野稔人」。
以前、NHKのEテレで放送された村田諒太と、気鋭の哲学者の対談番組です。ご覧になった方も多いと思います。
一番印象に残ったのは、金メダリストがサンドバッグを叩く迫力に度肝を抜かれて何も言えなくなっている周囲に、「目的が何なのかって思うんですよね」と村田がポツリと漏らしたシーンですね。
何それ?そんなこと考えて、サンドバッグ打ってるのか!?まぁ、常人の感覚じゃないですね。もう全然、次元が違いすぎて、こんなこと書くのも恥ずかしいのですが、ずっと野球や陸上に加えて、大学時代は陸上と、準硬式野球、ボクシングも掛け持ちして(弱小大学とはいえ掛け持ちの風当たりは強かったですが)、スポーツがずっと身近であった私でも、その感覚は全く理解できません。
練習してる時は「どうしたら上手くなれるか」、それしか考えられませんから。そんな、哲学的なことに思い巡らせてたら、練習、絶対に身にならないと思いますから。そんな後輩がいたらぶっ飛ばすけど、村田なら逆にやられてしまいますね…。いや、しかし、次元が違う、考えられません。当たり前なんですが。
確かに、マスボクシングや、陸上競技のマック式(フォームの確認練習、効果がないとされて今ではまずやりませんね)、野球のマシン打撃をしてるときには「これって実戦でどこまで意味があるのか?」と考えることはありました。
現実の場面ではパターン通りにパンチを繰り出してくれる相手なんていません。フォームとは実際にスピードとリズムに乗って走っている時のメカニクスの結果であって、最初から決めるものではありません。同じスピード、同じタイミングでドラムから弾き出されるボールをいくらライナーで打ち返したところで、現実のピッチャーとバッターの間で起きることはタイミングを外すこと、緩急の勝負です。
しかし、私が練習で疑問に感じたそれらはあくまでも「実戦でどこまで効果があるのか?」という瑣末なことであって、村田の「目的が何なのか」はそういうのとは次元が違う深いところからの問いかけです。
村田は好きな言葉を聞かれて、オーストリアの精神科医・心理学者にして超一流の脳外科医でもあったヴィクトール・フランクルの「人生から何を期待できるかが問題なのではなく、むしろひたすら生きることが、私たちから何を期待しているのかが問題なのだ」という名言をあげていました。
「人生」「ひたすら生きること」を、「神」「運命」という言葉に置き換えてみます。
「『神(運命)』から何を期待できるかが問題なのではなく、『神(運命)』が私たちから何を期待しているのかが問題なのだ」。
この番組を思い出したとき、傲慢になっても仕方がない輝かしいキャリアを歩いて来たはずの青年が、あの土曜日の夜、あれほどまでの混乱と錯綜の渦中に立ちながらも、あんな振る舞いを自然とやってのけた理由が、ほんの少しだけわかった気がしました。

【リング誌2016年5月号「私を変えた一冊〜バーナード・ホプキンス」/プレジデント2017年5月29日号「孫子入門」=写真。〝If you know the enemy and know yourself,you need not fear the result of a hundred battles〟「敵を知り己を知れば百戦あやうからず」も英訳しちゃうと、なんだか身も蓋もなくなりますね。「孫子の兵法」も〝 THE ART OF WAR〟ですからね、まあ確かにそういうことなんですが。】
ボクシングミドル級の生きる伝説、バーナード・ホプキンスも、村田ほどではありませんが読書家として知られています。B−HOPの場合は、17歳のときに重犯罪で懲役18年の刑に服したグレイターフォード刑務所の中で読書とボクシングに出会ったのですが。
ホプキンスが、そこで最も感銘を受けたのが「孫子の兵法」。ホプキンスのキャリア、特に晩年の戦いぶりを見ると、めちゃくちゃ説得力がありますね。そうか、「孫子の兵法」だったのか、と。ホプキンスは語ります。「私が『孫子の兵法』が座右の銘だと言うと、誰もが私のボクシングだけにそれが反映されていると思うだろうが、そんなんじゃない。そんな浅いことじゃない、『孫子の兵法』は戦い方ではなく、人生の指南書なんだ」。
「私は若い頃に取り返しのつかない罪を犯した。生まれた時から自分なんて誰からも必要とされていないと感じていたし、刑務所に収監された時も世界を恨んだだけだった。生まれてこなければ良かった、と生まれてからずっとそう思って生きてきた。しかし、私は己も、敵(世界)も、全く知らなかった。勝手に自分がゴミクズだと、世界から無視されていると思い込んで、そういう生き方をしてきてしまった。しかし、グレイターフォードには、そんな私のことを、生きるに値するとはっきり言ってくれる人がいたんだ。これがどれほど素晴らしいことかわかるかい?俺は、生きていてもいいんだ、ここにいてもいいんだって思えることがどれだけ嬉しいか。そう言ってくれた教官が紹介してくれたのが『孫子の兵法』だったんだ」。
「私は、多くの挫折の中から、貴重なものを学んできた。懲役を宣告されたときは、真っ暗闇の谷底に突き落とされたとしか思えなかった。当たり前だろう、17歳で懲役18年だぞ、人生終わったと観念したさ(模範囚として5年で刑務所を出る)。しかし、もし、グレイターフォードに収監されなければ『孫子の兵法』と出会うこともなかったんだ。何が幸運で、何が不運かは、実は運命が決めるのではない、自分自身が決めるのだ。不運に見えることはほとんど例外なく幸運にひっくり返る。ただし、何もしなければ不運は、不運のままだ、何もしない奴はメソメソ泣くしかない。不運に見えることに直面した時に、どう行動するかが一番大切なんだ」。
四日前の有明の夜。「日本人がメガファイトの舞台に上がるはずの第一歩を台無しにしやがって!」と、日本のボクシングファンの積年の夢をぶち壊した、理解できない判定に心の底から腹が立ちました。
どうして、よりによってこんな不条理な判定が、日本のボクシング史で屈指の大切なリングで起きてしまったんだ!村田諒太はなんて運の悪い男なんだ!日本のボクシングファンがどうしてこんな忌々しい不運に見舞われなければならないんだ!…。
世界最大のスポーツメディアESPNも、ボクシング界で最も権威があるリング誌も「117−110で村田の勝ち」と、断じていることに「当たり前だ、あんなの無効試合にすべきだ」と思いました。
でも。あの試合を無効試合にしたら、いっとう最初に抗議の声を上げるのは村田諒太だということがわかった時には、もう、どうでもよくなりました。
サッカーやテニス、野球みたいに統括団体がしっかりコントロールした法治のスポーツではないことが、ボクシングを怪しいニッチのスポーツに追いやってしまっています。それでも、同じ階級に世界王者が何人もいるという欺瞞と捏造の真っ暗闇の中でも、本当に時々ですが、ふと差し込む、誠実や本物の光の眩しさが、ボクシングの最大の魅力です。
そして、あの蒸し暑い有明の、星も見えないくすんだ夜空からも、間違いなく誠実と本物の光が降りました。鈍感で頭の悪い私は、有明コロシアムにいた時には、その光が全く見えませんでした。恥ずかしい話です。
貧乏暇なし、忙しい中でも無理して見に行っただけの甲斐がありました。今まで見た数え切れないボクシングの試合、スポーツの試合の中でも、一番素晴らしい試合でした。
以前、NHKのEテレで放送された村田諒太と、気鋭の哲学者の対談番組です。ご覧になった方も多いと思います。
一番印象に残ったのは、金メダリストがサンドバッグを叩く迫力に度肝を抜かれて何も言えなくなっている周囲に、「目的が何なのかって思うんですよね」と村田がポツリと漏らしたシーンですね。
何それ?そんなこと考えて、サンドバッグ打ってるのか!?まぁ、常人の感覚じゃないですね。もう全然、次元が違いすぎて、こんなこと書くのも恥ずかしいのですが、ずっと野球や陸上に加えて、大学時代は陸上と、準硬式野球、ボクシングも掛け持ちして(弱小大学とはいえ掛け持ちの風当たりは強かったですが)、スポーツがずっと身近であった私でも、その感覚は全く理解できません。
練習してる時は「どうしたら上手くなれるか」、それしか考えられませんから。そんな、哲学的なことに思い巡らせてたら、練習、絶対に身にならないと思いますから。そんな後輩がいたらぶっ飛ばすけど、村田なら逆にやられてしまいますね…。いや、しかし、次元が違う、考えられません。当たり前なんですが。
確かに、マスボクシングや、陸上競技のマック式(フォームの確認練習、効果がないとされて今ではまずやりませんね)、野球のマシン打撃をしてるときには「これって実戦でどこまで意味があるのか?」と考えることはありました。
現実の場面ではパターン通りにパンチを繰り出してくれる相手なんていません。フォームとは実際にスピードとリズムに乗って走っている時のメカニクスの結果であって、最初から決めるものではありません。同じスピード、同じタイミングでドラムから弾き出されるボールをいくらライナーで打ち返したところで、現実のピッチャーとバッターの間で起きることはタイミングを外すこと、緩急の勝負です。
しかし、私が練習で疑問に感じたそれらはあくまでも「実戦でどこまで効果があるのか?」という瑣末なことであって、村田の「目的が何なのか」はそういうのとは次元が違う深いところからの問いかけです。
村田は好きな言葉を聞かれて、オーストリアの精神科医・心理学者にして超一流の脳外科医でもあったヴィクトール・フランクルの「人生から何を期待できるかが問題なのではなく、むしろひたすら生きることが、私たちから何を期待しているのかが問題なのだ」という名言をあげていました。
「人生」「ひたすら生きること」を、「神」「運命」という言葉に置き換えてみます。
「『神(運命)』から何を期待できるかが問題なのではなく、『神(運命)』が私たちから何を期待しているのかが問題なのだ」。
この番組を思い出したとき、傲慢になっても仕方がない輝かしいキャリアを歩いて来たはずの青年が、あの土曜日の夜、あれほどまでの混乱と錯綜の渦中に立ちながらも、あんな振る舞いを自然とやってのけた理由が、ほんの少しだけわかった気がしました。

【リング誌2016年5月号「私を変えた一冊〜バーナード・ホプキンス」/プレジデント2017年5月29日号「孫子入門」=写真。〝If you know the enemy and know yourself,you need not fear the result of a hundred battles〟「敵を知り己を知れば百戦あやうからず」も英訳しちゃうと、なんだか身も蓋もなくなりますね。「孫子の兵法」も〝 THE ART OF WAR〟ですからね、まあ確かにそういうことなんですが。】
ボクシングミドル級の生きる伝説、バーナード・ホプキンスも、村田ほどではありませんが読書家として知られています。B−HOPの場合は、17歳のときに重犯罪で懲役18年の刑に服したグレイターフォード刑務所の中で読書とボクシングに出会ったのですが。
ホプキンスが、そこで最も感銘を受けたのが「孫子の兵法」。ホプキンスのキャリア、特に晩年の戦いぶりを見ると、めちゃくちゃ説得力がありますね。そうか、「孫子の兵法」だったのか、と。ホプキンスは語ります。「私が『孫子の兵法』が座右の銘だと言うと、誰もが私のボクシングだけにそれが反映されていると思うだろうが、そんなんじゃない。そんな浅いことじゃない、『孫子の兵法』は戦い方ではなく、人生の指南書なんだ」。
「私は若い頃に取り返しのつかない罪を犯した。生まれた時から自分なんて誰からも必要とされていないと感じていたし、刑務所に収監された時も世界を恨んだだけだった。生まれてこなければ良かった、と生まれてからずっとそう思って生きてきた。しかし、私は己も、敵(世界)も、全く知らなかった。勝手に自分がゴミクズだと、世界から無視されていると思い込んで、そういう生き方をしてきてしまった。しかし、グレイターフォードには、そんな私のことを、生きるに値するとはっきり言ってくれる人がいたんだ。これがどれほど素晴らしいことかわかるかい?俺は、生きていてもいいんだ、ここにいてもいいんだって思えることがどれだけ嬉しいか。そう言ってくれた教官が紹介してくれたのが『孫子の兵法』だったんだ」。
「私は、多くの挫折の中から、貴重なものを学んできた。懲役を宣告されたときは、真っ暗闇の谷底に突き落とされたとしか思えなかった。当たり前だろう、17歳で懲役18年だぞ、人生終わったと観念したさ(模範囚として5年で刑務所を出る)。しかし、もし、グレイターフォードに収監されなければ『孫子の兵法』と出会うこともなかったんだ。何が幸運で、何が不運かは、実は運命が決めるのではない、自分自身が決めるのだ。不運に見えることはほとんど例外なく幸運にひっくり返る。ただし、何もしなければ不運は、不運のままだ、何もしない奴はメソメソ泣くしかない。不運に見えることに直面した時に、どう行動するかが一番大切なんだ」。
四日前の有明の夜。「日本人がメガファイトの舞台に上がるはずの第一歩を台無しにしやがって!」と、日本のボクシングファンの積年の夢をぶち壊した、理解できない判定に心の底から腹が立ちました。
どうして、よりによってこんな不条理な判定が、日本のボクシング史で屈指の大切なリングで起きてしまったんだ!村田諒太はなんて運の悪い男なんだ!日本のボクシングファンがどうしてこんな忌々しい不運に見舞われなければならないんだ!…。
世界最大のスポーツメディアESPNも、ボクシング界で最も権威があるリング誌も「117−110で村田の勝ち」と、断じていることに「当たり前だ、あんなの無効試合にすべきだ」と思いました。
でも。あの試合を無効試合にしたら、いっとう最初に抗議の声を上げるのは村田諒太だということがわかった時には、もう、どうでもよくなりました。
サッカーやテニス、野球みたいに統括団体がしっかりコントロールした法治のスポーツではないことが、ボクシングを怪しいニッチのスポーツに追いやってしまっています。それでも、同じ階級に世界王者が何人もいるという欺瞞と捏造の真っ暗闇の中でも、本当に時々ですが、ふと差し込む、誠実や本物の光の眩しさが、ボクシングの最大の魅力です。
そして、あの蒸し暑い有明の、星も見えないくすんだ夜空からも、間違いなく誠実と本物の光が降りました。鈍感で頭の悪い私は、有明コロシアムにいた時には、その光が全く見えませんでした。恥ずかしい話です。
貧乏暇なし、忙しい中でも無理して見に行っただけの甲斐がありました。今まで見た数え切れないボクシングの試合、スポーツの試合の中でも、一番素晴らしい試合でした。
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