明日の有明アリーナで、武尊が引退試合を戦います。

キックボクシングは、最高峰であるはずのムエタイを斜めに見る特異な形で日本で生まれ、日本で発展した非常にドメスティックな格闘技です。
当たり前ですがキックには、日本を凌ぐ世界の舞台は存在しません。その点ではボクシング超軽量級と同じです。
しかし、ボクシングにはコストやコネクションのハードルをクリアしなければならないものの、ライト(軽量)級以上の人気階級で最高峰の舞台が欧米に存在します。
一方で〝日本完結〟のキックには人気階級など存在せず、そこには〝日本限定〟の人気選手が存在するだけで、日本を離れたラスベガス興行などは、日本の歌手が「ヒットのご褒美にロスでレコーディング」するのと何ら変わりません。
もちろん、それを言い出すと「井上尚弥のT -モバイル・アリーナと何が違う?」と言われるかもしれませんが、単体でやってることは同じでも、ボクシングには上述のように日本人にはほとんど無縁とはいえライト級以上の人気階級の存在、そして日本ではスポーツとして完全に認知されているという二つの事実が厳然として横たわっているのです。
さらに、キックは日本生まれ・日本育ちでも日本ボクシング・コミッションのような一貫した運営、統括団体を持つことなく、不安定きわまる地盤の上で泡沫的な興行を繰り返してきました。
すでにボクシング世界王者を上回る名声を手にしていた那須川天心がボクシングに挑戦した最大の動機は、そこにあります。これまで一般紙やニュース番組では社会面的な扱いだったのに、ボクシングではスポーツ面で報道される、その新鮮な感動に神童が浸ったのは容易に想像できます。
その意味では、井上も出来なかった「東京ドームを掛け値なしの満員」(Number誌)にして見せた天心も武尊でも〝日陰者〟でした。

特に、武尊はKrush、K1、RIZIN、ONE championshipと「不安定きわまる地盤の上で泡沫的な興行を繰り返してきた」キックボクシングの流浪の英雄でした。
そんな武尊でも日本人であるという大きなメリットを享受してきました。昨年3月に惨敗したロッタン・ジットムアンノンをまたもや日本のリングに引っ張り上げて、引退興行を打つのですから。
日本や欧米、資本主義の先進国であっても五輪スポーツなどの舞台では国籍・人種にかかわらず基本的に公平な条件で戦います。
しかし、ボクシングやキックはそうではありません。そこには、冷徹なまでの資本主義が徹底されています。
ボクシングには体重別ではない、もう一つの階級が3つあります。欧米メディアでよく使われる言葉で紹介すると「Elite Boxer」「Journeyman(Gatekeeper)」「Sacrificial Lambs(咬ませ犬)」。
この三つの階級は〝靴屋の子は靴屋〟のようにキャリアを通じてずっと付きまとうものではありません。
エリートボクサーが落ちぶれ、ジャーニーマンの役割を担い、そこからもこぼれて咬ませ犬となるように、3つの階級を経験するファイターも珍しくはないのです。
3つの階級は基本的に下方に落ちる一方通行ですが、ジャーニーマンがエリートボクサーに挑戦して勝利を収めることもあります。
米国で戦っていた亀海喜寛や石田順裕らはジャーニーマンでしたがミゲール・コットやゲンナジー・ゴロフキンに挑戦するチャンスに恵まれています。
ボクシング史上最大の成り上がり物語を描いたマニー・パッキャオも、ファンを喜ばせるスタイルから人気が出ると、キャリア初期に格下相手を用意される時代もありました。実は、パッキャオが純粋な意味で咬ませ犬であったことはありません。
咬ませ犬がエリートボクサーを喰う大番狂せもあり得ますが、それはきわめて稀れ。八重樫東の咬ませ犬としてデビュー、日本人の咬ませ犬をつとめながら実力をつけてPFPファイターまで登り詰めたシーサケット・ソールンビサイは、そんな超レアなサンプルです。
They Are Always Underdogs,Sacrificial Lambs.
咬ませ犬。彼らはいつもアンダードッグ、生贄の羊。
日本のボクシング界でも大きな問題を引き起こしてきた咬ませ犬の問題。しかし、ボクシングは他のスポーツではあり得ない、咬ませ犬の存在なくしては成り立たない仕組みの上で成立しているのです。
そして、咬ませ犬は…日本には存在しません。
※「Underdogs 敗れるべき者たち」とタイトルしましたが、本来の意味ではアンダードッグはオッズの上で不利と見られるファイターであり、咬ませ犬とは限りません。

キックボクシングは、最高峰であるはずのムエタイを斜めに見る特異な形で日本で生まれ、日本で発展した非常にドメスティックな格闘技です。
当たり前ですがキックには、日本を凌ぐ世界の舞台は存在しません。その点ではボクシング超軽量級と同じです。
しかし、ボクシングにはコストやコネクションのハードルをクリアしなければならないものの、ライト(軽量)級以上の人気階級で最高峰の舞台が欧米に存在します。
一方で〝日本完結〟のキックには人気階級など存在せず、そこには〝日本限定〟の人気選手が存在するだけで、日本を離れたラスベガス興行などは、日本の歌手が「ヒットのご褒美にロスでレコーディング」するのと何ら変わりません。
もちろん、それを言い出すと「井上尚弥のT -モバイル・アリーナと何が違う?」と言われるかもしれませんが、単体でやってることは同じでも、ボクシングには上述のように日本人にはほとんど無縁とはいえライト級以上の人気階級の存在、そして日本ではスポーツとして完全に認知されているという二つの事実が厳然として横たわっているのです。
さらに、キックは日本生まれ・日本育ちでも日本ボクシング・コミッションのような一貫した運営、統括団体を持つことなく、不安定きわまる地盤の上で泡沫的な興行を繰り返してきました。
すでにボクシング世界王者を上回る名声を手にしていた那須川天心がボクシングに挑戦した最大の動機は、そこにあります。これまで一般紙やニュース番組では社会面的な扱いだったのに、ボクシングではスポーツ面で報道される、その新鮮な感動に神童が浸ったのは容易に想像できます。
その意味では、井上も出来なかった「東京ドームを掛け値なしの満員」(Number誌)にして見せた天心も武尊でも〝日陰者〟でした。

特に、武尊はKrush、K1、RIZIN、ONE championshipと「不安定きわまる地盤の上で泡沫的な興行を繰り返してきた」キックボクシングの流浪の英雄でした。
そんな武尊でも日本人であるという大きなメリットを享受してきました。昨年3月に惨敗したロッタン・ジットムアンノンをまたもや日本のリングに引っ張り上げて、引退興行を打つのですから。
日本や欧米、資本主義の先進国であっても五輪スポーツなどの舞台では国籍・人種にかかわらず基本的に公平な条件で戦います。
しかし、ボクシングやキックはそうではありません。そこには、冷徹なまでの資本主義が徹底されています。
ボクシングには体重別ではない、もう一つの階級が3つあります。欧米メディアでよく使われる言葉で紹介すると「Elite Boxer」「Journeyman(Gatekeeper)」「Sacrificial Lambs(咬ませ犬)」。
この三つの階級は〝靴屋の子は靴屋〟のようにキャリアを通じてずっと付きまとうものではありません。
エリートボクサーが落ちぶれ、ジャーニーマンの役割を担い、そこからもこぼれて咬ませ犬となるように、3つの階級を経験するファイターも珍しくはないのです。
3つの階級は基本的に下方に落ちる一方通行ですが、ジャーニーマンがエリートボクサーに挑戦して勝利を収めることもあります。
米国で戦っていた亀海喜寛や石田順裕らはジャーニーマンでしたがミゲール・コットやゲンナジー・ゴロフキンに挑戦するチャンスに恵まれています。
ボクシング史上最大の成り上がり物語を描いたマニー・パッキャオも、ファンを喜ばせるスタイルから人気が出ると、キャリア初期に格下相手を用意される時代もありました。実は、パッキャオが純粋な意味で咬ませ犬であったことはありません。
咬ませ犬がエリートボクサーを喰う大番狂せもあり得ますが、それはきわめて稀れ。八重樫東の咬ませ犬としてデビュー、日本人の咬ませ犬をつとめながら実力をつけてPFPファイターまで登り詰めたシーサケット・ソールンビサイは、そんな超レアなサンプルです。
They Are Always Underdogs,Sacrificial Lambs.
咬ませ犬。彼らはいつもアンダードッグ、生贄の羊。
日本のボクシング界でも大きな問題を引き起こしてきた咬ませ犬の問題。しかし、ボクシングは他のスポーツではあり得ない、咬ませ犬の存在なくしては成り立たない仕組みの上で成立しているのです。
そして、咬ませ犬は…日本には存在しません。
※「Underdogs 敗れるべき者たち」とタイトルしましたが、本来の意味ではアンダードッグはオッズの上で不利と見られるファイターであり、咬ませ犬とは限りません。
コメント
コメント一覧 (3)
それが大切。
だから井上尚弥は2026年5月現在不敗でいられる。
中谷潤人もこの時期が、
井上尚弥に勝つチャンスとして、Jrフェザー級に
あげてきた。
パッキャオみたいに大金得るなら
名声あるボクサーに勝つしかない
立場とは違う。
強いやつ、センスがあるものが努力して
生き残る世界に彼らはいる。
ほんと弱いやつはみじめである。
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました