ドネアの初黒星はキャリア2戦目。ロセンド・サンチェスに判定負けを喫します。

この敗北がクローズアップされるのは、3戦目からギレルモ・リゴンドーに36分間のボクシングレッスンを施されるまで29連勝をマークしたからだけではありません。

この試合が4回戦ではなく、5回戦で行われたからです。

4回戦、6回戦、8回戦、10回戦、12回戦。「偶数のラウンド制がデフォルトのボクシングは引き分けが起きやすい。ならば奇数制にすると引き分けは減る」という考えから、5回戦や11回戦が行われてきましたが、全くメインストリームになる気配はありません。

余談はこのあたりにして。

全く無名だったノニト・ドネアの名前をマニアに知らしめた試合は?

これは誰に聞いても、答えは同じ。

プロ18戦目で迎えた初の世界タイトルマッチ。IBF /IBOフライ級12回戦です。挑む王者は〝レイジングブル〟ビック・ダルチニアン。28戦全勝22KO、7度の世界戦はもちろん全勝で6KO。KOを逃したのは負傷判定に持ち込まれた5度目の防衛戦だけでしたが、めった打ちにされた対戦相手が負傷したため。

その相手が、ドネアの実兄グレンでした。

「兄貴の仇打ち」。そんな甘い幻想も吹っ飛ぶほど、ダルチニアンは強い王者でした。

ときは2007年7月7日。赤井英和なら何か言わないと気が済まない7月7日です。ところはコネティカット州ハーバーヤードアリーナ。

ここでボクシングの興行が行われるのは初めて、翌年にも二つの興行を行いましたが、いずれも商業的には失敗。それから2度とボクシングの興行は行われていません。

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リング誌2007年11月号から。



*****ノニト・ドネアはいじめられっ子だったが、誰かにいじめられそうになると兄グレンの背中に隠れた。その安全な場所から「ナナナ!」と、いじめっ子たちを挑発するような気の小さな子だった。

いつも守ってくれた兄がボコボコにされたのがビック・ダルチニアンだった。周囲の誰もが「ダルチニアンに挑むのだけはやめろ。兄弟揃って粉砕されるなんて悲惨なことだ」と忠告したが、ノニトの肚は決まっていた。

「今度は俺が兄貴の仇を打つ番だ」。

スピード、パワー、テクニック、全てのマトリクスで圧倒的に劣っていると見られたノニト・ドネアだったが、第4ラウンドまで全く互角に、いや互角以上にレイジングブルと拳を交換し合った。

第5ラウンド。仇打ちは、唐突に完結する。


たった一発の左フックのカウンターで、あの打たれ強いダルチニアンの膝が崩れ落ちたのだ。たった一発で、永遠に続くかに思えたダルチニアン王朝が強制終了された。

これが、初回に起きていたならフロックと片付けられていたかもしれないが、ノニト・ドネアは第5ラウンドでフィニッシュするまでもレイジングブルと目まぐるしい攻防を繰り広げたのだ。

オーソドックスが放つ旋律の左フックは、いつの時代もボクシングファンを陶酔させてきた。

ノニトの左フックは破壊的で、同時打ち。いや、同時ではなく相手に打たせてから、打っているかもしれない(後の先)。ダルチニアンは、ラッキーパンチに沈められたのでも、弱い相手に負けたのではない。*****