地元・練馬区の「二十歳のつどい」の会場にいる杉谷拳士さんが成人の日のきょう、Xに20歳の自分へメッセージを送りました。
「20歳の杉谷くんへ。20歳の時に恩師に出会います」「人との繋がりを大切に歩んでいます。明るく、笑顔で大好きな野球をプレーしてるよ」。
「侍JAPAN、MVP…オールスター… 薔薇色の野球人生を夢見てたね。20歳の杉谷くんに届けたい。ごめんね…夢は叶いませんでした… レギュラーにもなれなかったんだから」。
「でも、素敵な出会いがたくさんありました。毎日必死に生きた杉谷くん今だから言える。ありがとう」。
「でも、素敵な出会いがたくさんありました。毎日必死に生きた杉谷くん今だから言える。ありがとう」。
私は杉谷拳士を「杉谷満の次男」として知りました。
杉谷満は、後楽園ホールを沸かせたハンサムな強打者でした。北海道からやって来た実直で物静かな日本フェザー級チャンピオン。
2008年のドラフトで日ハムから6位指名を受けた杉谷拳士のことは、父親がボクシングの元日本チャンピオンということからほんの小さなニュースになっていました。
内外野を任されるユーティリティプレイヤーで、スイッチヒッター。それは、プロ野球選手としては絶望的に小さな174㎝という体格でより多くのチャンスをつかむために必死で形成した個性でした。
2009年から2022年まで、14年間もプロ野球選手の看板を掲げ続けた杉谷でしたが一軍で規定打席に到達したことは一度もなく、出場試合数は2014年の87試合が最多。
実働12年の一軍成績は、打率2割1分2厘、本塁打16本。守備でも走塁でも特別な才能は認められませんでした。
なぜ、14年間も毎年契約更改できたのか、数字の上からは全く理解できません。
そう、数字の上からは。
2022年シーズンで彼が引退したとき、「父親が元日本チャンピオン」という注釈はとっくの昔に不要になっていました。その名残りは、名前に「拳」という文字が込められているだけ。
競技の違いはあれど、もはや拳士の方が有名になりました。
父親が生まれた北海道で選手人生を全うし、ファイターズを超えて日本中の野球ファンから愛されました。
彼がなぜ14年間も、過酷な新陳代謝が繰り返されるプロ野球の世界で現役を張り続けることができたのか?
野暮な説明は不要でしょう。
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