パウンド・フォー・パウンド(PFP)。
このブログを始めるにあたり、早い段階で取り上げてきたテーマです。
最初は「PFPなんて無意味でしょ」とネガティブな意見が寄せられると思っていましたが、想像以上にすんなり受け入れられているようで少し驚きました。
PFPの面白いのは正解がない、不正解もない、ということ。
これがFighter Of The Year なら「その年に最も目立った活躍をしたファイター」という明確な定義があります。
Fighter Of The Year は野球のMVPや、サッカーのバロンドールに当たります。

PFPは、ボクシングに階級制の考えが芽生えた19世紀後半にはすでに顕在化していた概念です。
もちろん、ヘビー級をヘビー級とも呼ばなかった当時、PFPなどは存在しません。
小さな体で戦うファイターの救済措置として考えられたのが、階級制です。
そして、はっきりとパウンド・フォー・パウンドという言葉が使われたのは、1950年代。
近代ボクシングの技術体系を完成させたシュガー・レイ・ロビンソンを讃えるためにのみ用いられました。
専門家とマニアが刮目したパフォーマンスを見せたロビンソンでしたが、50年代はヘビー級一辺倒の時代、ウエルター級とミドル級、今なら文句なしの人気階級でも、ロッキー・マルシアノの陰に隠れた存在でした。
ヘビー級チャンピオンのマルシアノよりも、ロビンソンの方が上質のボクシングを見せているのだ!というための小道具がPFPだったのです。
その後、リング誌や日本のボクシング専門誌でもPFP特集を組むことがありましたが、いずれも突発的で、1位になれば表彰されるという種類のものではありませんでした。
そして…1980年に現代につながるPFPランキング、「Best Fighter Poll 」(年間PFP)が、リング誌で毎年発表されるようになります。
当時もヘビー級人気が圧倒的でしたが、1950年代とは少し事情が違いました。
米国ボクシングが黄金時代を謳歌していた50年代からボクシングの社会的ステイタスは低下、モハメド・アリという偉人の存在がそれを霞ませていましたが、そのアリの衰えが明らかになり、引退のときが迫っていたのです。
ヘビー級には「アリのコピー」と呼ばれたラリー・ホームズが君臨してはいましたが、アリのカリスマは1ミクロンも受け継いでいませんでした。
このままだとボクシングが死んでしまう。
1950年代にヘビー級ばかりがボクシングじゃないと、ロビンソンの素晴らしさを表現する小道具として使われたPFPでしたが、1980年代ではヘビー級を諦め、ウエルター級やミドル級の中量級の方が見応えがあるという詭弁として用いられました。

第1回(1980年)の Best Fighter Poll⬆︎。
②シュガー・レイ・レナード、⑤ピピノ・クエバス、⑧ウィルフレド・ベニテス…ベストテンのうち、3人がウエルター級、ミドル級のビト・アンツォヘルモの名前も⑨位に。
1980年のランキングは1979年の実績を反映したものですが、実際の1980年には①ロベルト・デュランが②レナードと伝説の2連戦を繰り広げ、⑤クエバスをトーマス・ハーンズがわずか2ラウンドで破壊。
さらに、アンツォヘルモからタイトルを奪ったアラン・ミンターがマービン・ハグラーに血だるまにされてTKO負け、テレビ局とプロモーターが描いた理想の通りに登場人物が揃いました。
それまで、ヘビー級の陰でしかなかったウエルター級で、ヘビー級並みの規模で興行が打たれ、レナード、デュラン、ハーンズ、ハグラーは破格のファイトマネーを手にします。
そして、4KINGSによるラウンドロビン、そのクライマックスになるレナードvsハグラーは、ついにヘビー級を上回る史上最大の興業規模を記録、史上最高のファイトマネーを獲得することになります。
この中量級ウォーズは米国ボクシングが衰退する象徴的なオーメンだったともとらえられていますが、PFPマーケティングの最大の成功例でもありました。
このブログを始めるにあたり、早い段階で取り上げてきたテーマです。
最初は「PFPなんて無意味でしょ」とネガティブな意見が寄せられると思っていましたが、想像以上にすんなり受け入れられているようで少し驚きました。
PFPの面白いのは正解がない、不正解もない、ということ。
これがFighter Of The Year なら「その年に最も目立った活躍をしたファイター」という明確な定義があります。
Fighter Of The Year は野球のMVPや、サッカーのバロンドールに当たります。

PFPは、ボクシングに階級制の考えが芽生えた19世紀後半にはすでに顕在化していた概念です。
もちろん、ヘビー級をヘビー級とも呼ばなかった当時、PFPなどは存在しません。
小さな体で戦うファイターの救済措置として考えられたのが、階級制です。
そして、はっきりとパウンド・フォー・パウンドという言葉が使われたのは、1950年代。
近代ボクシングの技術体系を完成させたシュガー・レイ・ロビンソンを讃えるためにのみ用いられました。
専門家とマニアが刮目したパフォーマンスを見せたロビンソンでしたが、50年代はヘビー級一辺倒の時代、ウエルター級とミドル級、今なら文句なしの人気階級でも、ロッキー・マルシアノの陰に隠れた存在でした。
ヘビー級チャンピオンのマルシアノよりも、ロビンソンの方が上質のボクシングを見せているのだ!というための小道具がPFPだったのです。
その後、リング誌や日本のボクシング専門誌でもPFP特集を組むことがありましたが、いずれも突発的で、1位になれば表彰されるという種類のものではありませんでした。
そして…1980年に現代につながるPFPランキング、「Best Fighter Poll 」(年間PFP)が、リング誌で毎年発表されるようになります。
当時もヘビー級人気が圧倒的でしたが、1950年代とは少し事情が違いました。
米国ボクシングが黄金時代を謳歌していた50年代からボクシングの社会的ステイタスは低下、モハメド・アリという偉人の存在がそれを霞ませていましたが、そのアリの衰えが明らかになり、引退のときが迫っていたのです。
ヘビー級には「アリのコピー」と呼ばれたラリー・ホームズが君臨してはいましたが、アリのカリスマは1ミクロンも受け継いでいませんでした。
このままだとボクシングが死んでしまう。
1950年代にヘビー級ばかりがボクシングじゃないと、ロビンソンの素晴らしさを表現する小道具として使われたPFPでしたが、1980年代ではヘビー級を諦め、ウエルター級やミドル級の中量級の方が見応えがあるという詭弁として用いられました。

第1回(1980年)の Best Fighter Poll⬆︎。
②シュガー・レイ・レナード、⑤ピピノ・クエバス、⑧ウィルフレド・ベニテス…ベストテンのうち、3人がウエルター級、ミドル級のビト・アンツォヘルモの名前も⑨位に。
1980年のランキングは1979年の実績を反映したものですが、実際の1980年には①ロベルト・デュランが②レナードと伝説の2連戦を繰り広げ、⑤クエバスをトーマス・ハーンズがわずか2ラウンドで破壊。
さらに、アンツォヘルモからタイトルを奪ったアラン・ミンターがマービン・ハグラーに血だるまにされてTKO負け、テレビ局とプロモーターが描いた理想の通りに登場人物が揃いました。
それまで、ヘビー級の陰でしかなかったウエルター級で、ヘビー級並みの規模で興行が打たれ、レナード、デュラン、ハーンズ、ハグラーは破格のファイトマネーを手にします。
そして、4KINGSによるラウンドロビン、そのクライマックスになるレナードvsハグラーは、ついにヘビー級を上回る史上最大の興業規模を記録、史上最高のファイトマネーを獲得することになります。
この中量級ウォーズは米国ボクシングが衰退する象徴的なオーメンだったともとらえられていますが、PFPマーケティングの最大の成功例でもありました。
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