マニー・パッキャオ…レガシーの通信簿

【S】全盛期の一発殿堂入りクラス
【A】全盛期の殿堂入りクラス
【B】現役PFPファイター
【C】Lineal (またはリング誌)王者
【D】リング誌(またはESPNなど公正な)トップ10選手


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【C】チャチャイ・ダッチボーイジム

1998年12月4日、タイ・バンコク郊外プタモントン、トンスク大学の構内に設営された屋外リング。

チャチャイは、当時PFP10傑に数えられたユーリ・アルバチャコフを下してWBCフライ級のLineal titleを獲得、PFPには数えられなかったものの、タイ人の評価はさらに高騰していました。

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リング誌のBEST FIGHTER POLL(年間PFP)でベスト10に数えられたユーリ。1980年から始まった年間PFPに日本のジム所属の選手がランキングされたのは史上初。格が下がる月刊PFP(1990年スタート)では最高位6位、インターネット以前という時代背景を考慮すると、まさしく快挙でした。。


3度目の防衛戦、地元に迎えたのは「グラスジョー」「ペーパーストマック」「ディフェンスに大きな欠点がある」というレッテルが貼られた生け贄のフィリピン人、マニー・パッキャオでした。

大方の予想通りに試合は後半戦に入ります。第7ラウンドまでのスコアは1人のジャッジが70-64でフルマーク、残る2人も大差で王者を支持していました。

王者にとって、残りの五つのラウンドを全て失っても、防衛という安全圏に入っていたのですが…。

予想通りでなかったのは、試合をコントロールしているように見えた王者がラウンドの深まりにつれて消耗と疲労の表情を隠せなくなり、フィリピン人のプレッシャーにまっすぐ下がり出したこと。

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そして、第8ラウンド。

一見唐突に見えて、実は当然の帰結だったスペクタクルなフィナーレが訪れるのでした。



世界タイトルマッチとはいえ「東南アジアで行われたアジア人同士の軽量級の試合」。欧米のアンテナでは捉えることが出来るわけもありませんでした。