「最強とは?」。

それは人類がモノゴコロついてから、つまり文明が始まって以来の大命題であり続けています。



古代ローマで行われたグラディエーターの戦いは、人間同士はもちろん、人間と猛獣を戦わせた、荒唐無稽な〝エンターテイメント〟に思えますが、「地球上で最強の動物は何か?」という当時の命題に対して、これは当然のマッチメイクでした。

人間が武器を取るのも当たり前です。それは人間が動物としての自然な活動の中で作り、習得したものだからです。

コロッセオでの人間vs猛獣の戦いが廃れたのは、ローマ帝国が衰退したからではなく、人間の武器が進化し過ぎて、もはや猛獣でも立ち向かえなくなってしまったからというのが原因です(個人の意見です)。

そして、これを契機に「最強」の命題は人間限定で追求されることになり、著しい武器の進化の中で、生身であることが最強を決める唯一のルールとなりました。

宮本武蔵が二振りの日本刀を持って探し求めた最強は、唯物的な答えを求めた古代ローマ人とは全く違う「最強」てあったことは、すでに銃器が流通していた時代であることを考えるまでもなく明らかです。

ここでマナ板に乗せるのは、武蔵が追いかけた哲学的な要素も含む最強ではなく、生身の最強です。


私がモノゴコロついてから、この命題に対して大声で答を叫んだのはアントニオ猪木でした。

プロレスこそが最強である、と。

もちろん、諸説入り乱れていました。

「八百長のプロレスが最強なわけがない」。

「格闘技が重ければ重いほど有利であるなら、相撲は最強候補」。

「拳と蹴り、肘なども使うムエタイもヘビー級があるなら最強候補」

ーーーそれはあまりにも現実から離れ過ぎた空想の域を出ませんでした。


https://fushiananome.superknova.org/archives/20038248.html


UFC1THE BEGINNING。

しかし、1993年11月に米国コロラド州デンバーで行われた小さな格闘技大会で非常に説得力のある「解」が提示されました。

体重が大きくモノをいう打撃ではなく、体重や体格を超越して対戦相手を絞め落とす柔術です。

UFC1THE BEGINNING。

全てはそこから始まりました。

柔道ベースで戦う桜庭和志、柔道の五輪金メダリストの吉田秀彦や、やはりメダリストのロンダ・ラウジーらの活躍は、命題の解に近づいていることを実感させました。

五輪競技の柔道でもこれほど強いとしたら、柔術の使い手こそが最強だろう。



敵地プラジルのマラカナン・スタジアムでエリオ・グレイシーに圧勝した木村政彦の再評価が進みましたが、そもそもグレイシー柔術は前田光世(コンデ・コマ)が持ち込んだもの。

柔術にも長け、本場・最高峰の日本で「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」(史上最高)と讃えられた男に柔道や柔術で勝てるわけがありません。

しかし、柔道や柔術は打撃による攻撃と防御への意識が薄く、最強と呼ぶには補完しなければならない要素が残されています。

柔道や柔術のグラウンド技術に、ボクシングやキックボクシングの打撃をミックスしていく、それがまさに Mixed Martial Arts です。

現代のMMA競技はこのように〝いいとこ取り〟〝足し算〟によって最強のスタイルを確立したように見えます。

ただし、当然のことながら、現代のMMAは古代ローマ時代から連綿と続く格闘技の血脈を受け継いでいるわけではありません。

この血統を受け継いで、現代に生き残っている格闘技があります。

〝いいとこ取り〟〝足し算〟とは真逆の歴史を刻んできた格闘技です。

それは「最強」というテーマからはどんどん離れて、弱くなっています…。

19世紀に導入されたブロートンもクイーンズベリーも、それは〝引き算〟ルールでした。

その原型は?そして引き算を繰り返した挙句に何が残って、この格闘技はどんな形になったのか?


史上最強の格闘技は何だったのか?

ーーーもう少しお付き合い下さいませ。