日本人を寄せ付けない結界が張り巡らされたウエルター級は、世界王者を73年間もの間、一人も産み落とせていません。
…というよりも、73年間で4人しかチャンスが与えられなかったという方が、この結界の正体がわかりやすいでしょう。

フジテレビ、残念ながら何も変わらなかった…。
日本人が踏み込んだストロー級からミドル級までの13階級で、ウエルター級と並んで高く分厚い壁が聳えているのがミドル級です。
しかし、ミドル級は竹原慎二、渕上誠、保住正孝、石田順裕、村田諒太が挑戦、竹原と村田がアルファベットタイトルを手中に入れています。
ミドル級で五輪・金、世界選手権・銀の不世出の実績を引っさげて電通やフジテレビなど大企業のスポンサードを得集め、このクラスで4勝を挙げた村田は別格です。
まれに「竹原の方が村田より上」という意見が聞かれますが、村田が圧倒した地域王者レベルに、アジアで限界を見せていた竹原では到底太刀打ちできなかったでしょう。
竹原が偉大であることに何ら異論はありませんが、あれは竹原自身が「俺はここまでバカにされてるのか」と怒りを抑えられなかった、あの日あの時のビール腹を揺らし「タケハラは変な夢を見てはいけない」と心身とも緩みまくったホルへ・カストロだから勝てたのです。
そうです、挑戦機会が極めて少なく、レベルが高いウエルター級は「あの日あの時のカストロ」も「日本人としては突然変異・村田」のような奇跡に恵まれていないだけ、と見ることもできるでしょう。
ブライアン・ノーマンがカストロのようにナメきった調整で日本に乗り込んでくれるかそうかは、わかりません。佐々木尽が世界アタックの大勝負で覚醒することはないと決めつけるのは、現段階では誰もできません。
さて、日本人を拒み続けるウエルターの牙城に挑んで散った4人のファイターたちの物語です。

1976年10月27日、金沢市の実践倫理会館でWBA王者ホセ・クエバスに挑戦したのは、辻元章次。
ヤングライオンの異名を持つクエバスはこれが初防衛戦。序盤から積極的に打撃戦に応じる28歳の辻本でしたが、王者は冷静に対応、18歳とは思えない落ち着きぶりが不気味でした。
クエバスは3ヶ月前に階級最強と目されたアンヘル・エスパダを大番狂せで2ラウンドKOに沈めているものの、パンチャーズ・チャンスをモノにしたと見られていました。
クエバスが4年間も王座に君臨し連続11度も防衛、しかもそのうち10度がノックアウトという脅威の記録を打ち立てる名王者になるとは誰も予想できていませんでしたが、この初防衛戦でその一端を見せていました。
第5ラウンドまでのスコアは三者三様のドロー(辻本から見て23−24/24−24/25-24=当時は5点法)。運命の第6ラウンドを迎える前のインタバルで米倉健司会長の「左のガードを上げもっと足を使え」という指示に辻本は「下がると余計に打たれる、懐に入った方がいいんじゃないですか」と言葉を返しています。
エディ・タウンゼントと周到に練ってきた戦術も動いて空振りを誘い、強打の王者を焦らせ疲れさせることでした。
このメキシコの超強豪王者が圧倒的不利の予想を立てられ、その予想を上回る惨劇に見舞われてタイトルを失ったとき、一切泣き言を口にしなかったサンチェスが「体重だけでなくリーチなどの体格も階級制にしないといけない」と嘆くことになるのです。
あのクエバスが何も出来ずに転がされる驚異の世界…その幕開けはもう少し後のことでした。つまり、この時代のウエルター級はまだ飛び抜けた黄金階級ではなかったのです。
その意味では、辻本と彼に続いてウエルター級に挑んだ龍反町は〝時代〟を味方に付けていたのですが、とにかく相手が悪すぎました。
辻本はクエバス、龍はカルロス・パロミノ。
日本人にとってウエルター級はレベルが高く、挑戦機会が極端に少ないだけでなく、巡り合わせも最悪でした。
反町隆史の名前の由来にもなった龍反町。1970年代のリングはまだ、メジャーの香りが十分に残っていました。
さて、次は1978年2月11日のネバダ州ラスベガス、ヒルトンホテル。WBCウエルター級タイトルマッチ。
もちろん、メインイベントです。
もし、辻元がクエバスに勝っていたなら、龍がパロミノに勝っていたならーーーウエルター級に結界など張られることはありませんでした。
しかし、そんなことよりもずっとずっと遥かにスペクタクルな光景が日本のボクシングファンに待ち構えていたはずです。
辻元vsトーマス・ハーンズ、龍vsウィルフレド・ベニテス…そんな幻覚を夢想するたびに、やはりこのクラスが特別すぎることを思い知らされるのですが…。
…というよりも、73年間で4人しかチャンスが与えられなかったという方が、この結界の正体がわかりやすいでしょう。

フジテレビ、残念ながら何も変わらなかった…。
日本人が踏み込んだストロー級からミドル級までの13階級で、ウエルター級と並んで高く分厚い壁が聳えているのがミドル級です。
しかし、ミドル級は竹原慎二、渕上誠、保住正孝、石田順裕、村田諒太が挑戦、竹原と村田がアルファベットタイトルを手中に入れています。
ミドル級で五輪・金、世界選手権・銀の不世出の実績を引っさげて電通やフジテレビなど大企業のスポンサードを得集め、このクラスで4勝を挙げた村田は別格です。
まれに「竹原の方が村田より上」という意見が聞かれますが、村田が圧倒した地域王者レベルに、アジアで限界を見せていた竹原では到底太刀打ちできなかったでしょう。
竹原が偉大であることに何ら異論はありませんが、あれは竹原自身が「俺はここまでバカにされてるのか」と怒りを抑えられなかった、あの日あの時のビール腹を揺らし「タケハラは変な夢を見てはいけない」と心身とも緩みまくったホルへ・カストロだから勝てたのです。
そうです、挑戦機会が極めて少なく、レベルが高いウエルター級は「あの日あの時のカストロ」も「日本人としては突然変異・村田」のような奇跡に恵まれていないだけ、と見ることもできるでしょう。
ブライアン・ノーマンがカストロのようにナメきった調整で日本に乗り込んでくれるかそうかは、わかりません。佐々木尽が世界アタックの大勝負で覚醒することはないと決めつけるのは、現段階では誰もできません。
さて、日本人を拒み続けるウエルターの牙城に挑んで散った4人のファイターたちの物語です。

1976年10月27日、金沢市の実践倫理会館でWBA王者ホセ・クエバスに挑戦したのは、辻元章次。
ヤングライオンの異名を持つクエバスはこれが初防衛戦。序盤から積極的に打撃戦に応じる28歳の辻本でしたが、王者は冷静に対応、18歳とは思えない落ち着きぶりが不気味でした。
クエバスは3ヶ月前に階級最強と目されたアンヘル・エスパダを大番狂せで2ラウンドKOに沈めているものの、パンチャーズ・チャンスをモノにしたと見られていました。
クエバスが4年間も王座に君臨し連続11度も防衛、しかもそのうち10度がノックアウトという脅威の記録を打ち立てる名王者になるとは誰も予想できていませんでしたが、この初防衛戦でその一端を見せていました。
第5ラウンドまでのスコアは三者三様のドロー(辻本から見て23−24/24−24/25-24=当時は5点法)。運命の第6ラウンドを迎える前のインタバルで米倉健司会長の「左のガードを上げもっと足を使え」という指示に辻本は「下がると余計に打たれる、懐に入った方がいいんじゃないですか」と言葉を返しています。
エディ・タウンゼントと周到に練ってきた戦術も動いて空振りを誘い、強打の王者を焦らせ疲れさせることでした。
辻本本人も「(フットワークを使って相手を空転、カウンターを決めていく)自分のボクシングに徹し切れば負ける気がしない」と、自信を見せていたのに、どうして本来ならBプランのはずの打撃戦を初回から選択したのでしょうか?
あれが、王者陣営を撹乱させるためのブラフであったとは考えられません。
クエバスは初来日でしたが、トレーナーのルペ・サンチェスはジョー・メデルやロドルフォ・マルチネスら冷徹なメキシカンを日本に連れてきていました。
そして、クエバスもまたメキシカンらしくない静かなファイターでした。まだ18歳だというのに。
KOされた辻本はグローブとシューズを脱がされても立ち上がることができずに、長々とキャンバスに横たわったまま。深いダメージを物語っていました。
ようやくフラフラと立ち上がった辻本は、青コーナーのロープにもたれかかって男泣きに暮れます。敗者に寄り添うエディが声を張り上げました。
「章次、恥ずかしいないですよ!いい試合やったですよ!」。
エディは、愛弟子が誰に負けたのかをわかっていたはずです。
そして、リングサイドで試合の一部始終を見ていた極東ジムの小高伊和夫会長もわかっていました。「クエバスはもっともっと強くなる」。
あれが、王者陣営を撹乱させるためのブラフであったとは考えられません。
クエバスは初来日でしたが、トレーナーのルペ・サンチェスはジョー・メデルやロドルフォ・マルチネスら冷徹なメキシカンを日本に連れてきていました。
そして、クエバスもまたメキシカンらしくない静かなファイターでした。まだ18歳だというのに。
KOされた辻本はグローブとシューズを脱がされても立ち上がることができずに、長々とキャンバスに横たわったまま。深いダメージを物語っていました。
ようやくフラフラと立ち上がった辻本は、青コーナーのロープにもたれかかって男泣きに暮れます。敗者に寄り添うエディが声を張り上げました。
「章次、恥ずかしいないですよ!いい試合やったですよ!」。
エディは、愛弟子が誰に負けたのかをわかっていたはずです。
そして、リングサイドで試合の一部始終を見ていた極東ジムの小高伊和夫会長もわかっていました。「クエバスはもっともっと強くなる」。
このメキシコの超強豪王者が圧倒的不利の予想を立てられ、その予想を上回る惨劇に見舞われてタイトルを失ったとき、一切泣き言を口にしなかったサンチェスが「体重だけでなくリーチなどの体格も階級制にしないといけない」と嘆くことになるのです。
あのクエバスが何も出来ずに転がされる驚異の世界…その幕開けはもう少し後のことでした。つまり、この時代のウエルター級はまだ飛び抜けた黄金階級ではなかったのです。
その意味では、辻本と彼に続いてウエルター級に挑んだ龍反町は〝時代〟を味方に付けていたのですが、とにかく相手が悪すぎました。
辻本はクエバス、龍はカルロス・パロミノ。
日本人にとってウエルター級はレベルが高く、挑戦機会が極端に少ないだけでなく、巡り合わせも最悪でした。
反町隆史の名前の由来にもなった龍反町。1970年代のリングはまだ、メジャーの香りが十分に残っていました。
さて、次は1978年2月11日のネバダ州ラスベガス、ヒルトンホテル。WBCウエルター級タイトルマッチ。
もちろん、メインイベントです。
もし、辻元がクエバスに勝っていたなら、龍がパロミノに勝っていたならーーーウエルター級に結界など張られることはありませんでした。
しかし、そんなことよりもずっとずっと遥かにスペクタクルな光景が日本のボクシングファンに待ち構えていたはずです。
辻元vsトーマス・ハーンズ、龍vsウィルフレド・ベニテス…そんな幻覚を夢想するたびに、やはりこのクラスが特別すぎることを思い知らされるのですが…。
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