80年代に米国ボクシングに取り憑かれた私は、モハメド・アリを知りません。

私が夢中になったのはシュガー・レイ・レナードやマービン・ハグラー、トーマス・ハーンズ、ロベルト・デュランが躍動したウェルター級からミドル級の〝メジャーリーグ〟でした。

そしてその直下、ジュニアライト級からジュニアウェルター級にかけてヘクター・カマチョ、ラファエル・リモン、エドウィン・ロサリオ、ホセ・ルイス・ラミレス、コーネリアス・ボサ・エドワーズ、レイ・マンシーニら多士済済 の〝準メジャー〟もまた、「もしかしたら日本人にも手が届くのではないか?」という淡い期待とともにその魅力に惹き込まれていました。

リビングストン・スクランブルもまた、そんな魅惑的なチャンピオンの1人でした。

米国ボクシングの魅力は日本のリングにはない華やかさや格式、そして何よりもファイターたちの際立つ個性です。かれらのキャラクターは〝怪人性〟と呼んでも差し支えない鮮烈なものでした。

リビングストン・スクランブル…名前からして只者ではない感を放散しています。そして国籍はセントクリストファー・ネービス、住まいはバージン諸島…聞いたこともな国名も10代半ばのバカな高校生の想像をどこまでも膨らませてくれました。

試合前の記者会見で、対戦相手に見立てたブードゥー教の人形で呪いをかけるパフォーマンスを披露、そしてリング入場では大蛇を体に巻いて入場するのですから、もはや怪人そのものでした。


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スクランブルは1984年6月1日にWBAライト級王者レイ・マンシーニに挑戦、人気者を14ラウンドでTKOに屠り大番狂せを起こします。

この試合は当初、マンシーニは2階級制覇を狙ってWBA/IBFジュニアウエルター級王者アーロン・プライアーとのメガファイトに挑む予定でしたが、プライアーが網膜剥離からWBAタイトルを剥奪され、一旦白紙に。

マンシーニとは翌年2月16日に再戦、15ラウンドで返り討ち。この試合はBoxRecのパンチスタッツが初めて導入された記念すべき一戦となりました。

WBC王者ヘクター・カマチョとの決戦が期待される中、ブランブルは3度目の防衛戦で4−1で明白に有利と見られていたエドウィン・ロサリオの強打に2ラウンドで沈められてしまいます。

当時のロサリオはまだ23歳だったとはいえ、カマチョを苦しめるなどその実力は折り紙付きでした。リビングストン・スクランブルは、そのロサリオを大きく上回る評価を集めていたのです。

バディ・マクガート、コンスタンチン・チュー、オバ・カー、ロジャー・メイウェザー、ラファエル・ルエラス、チャールズ・マレー、フレディ・ペンデルトン…ブランブルは80年代を代表するファイターたちと次々に拳を交えました。

もちろん、それこそが彼もまた80年代を代表するファイターであったことのアリバイそのものです。

3月22日土曜日(日本時間24日)、大好きなリビングストン・ブランブルが神様に呼ばれました。まだ64歳。

死因は不明ですが、64歳という若さから病気か事故だったのでしょうか?

いや、怪人の死因を人間の私が詮索するなんて意味がないことかもしれません。

さようなら、リビングストン・スクランブル。