プロボクシングは個人競技ですが、特定の国の組み合わせで極彩色の「民族の対決」という構図が鮮明に浮かび上がってきます。

メキシコvsプエルトリコ、米国vs英国、そして日本vs韓国…。

メキシコとプエルトリコは純粋に強烈なスポーツ(ボクシング)ライバルです。

マチズモを尊ぶメキシカンスタイルと、妙な色気を醸し出すプエルトリコのボクシングの激突は、歴史的にも世界中のボクシングファンを魅了し続けています。

一方で、日本vs韓国は単なるスポーツライバルという枠を超えて、歴史的な確執、政治的な対立と民間レベルでの親近感…背景にある複雑な感情が互いに必要以上に意識する存在になっていました。

野球やサッカーでは日韓戦は特別なマッチアップですが、ボクシングにおいては残念ながら韓国での目も当てられない衰退によって特別なライバルとは呼べなくなってしまいました。

日本よりも重く逞しい階級で活躍した頑健なコリアンファイターたち。

そのオールタイムPFP10傑を独断と偏見でランキングしてゆきます。



①金基洙(キム・キス)

韓国初の世界王者。日本でいう白井義男です。

2人の違いは、白井がフライ級、キムはジュニアミドル級と階級が大きく離れていたことです。

日本ではフライ級が「伝統の」と冠されるクラスとなりました。韓国でジュニアミドル級が「伝統の」と形容されているかどうかはわかりませんが、アジアでは重量級のゾーンにその後も世界王者を送り出し続けました。

その流れを作ったのがキムです。

タイトルを奪ったのは、なんと、あのニノ・ベンベヌチ(五輪金メダリスト/プロでジュニアミドル+ミドル2階級制覇)!

キムは1966年6月25日、韓国・ソウルでベンベヌチに挑戦、見事にWBA/WBCジュニアミドル級王者に就きました。そしてハンサムなイタリア人のデビューからの連勝も「65」で止めたのです。




②黄俊錫(ファン・ジュンソク)

シュガー・レイ・レナードが返上したWBAウエルター級王座を、あのドナルド・カリーと争ったのがファンです。

80年代に繰り広げられた4KINGSを見て世界のプロボクシングに誘われた私にとって、〝ローンスターコブラ〟カリーは特別なファイターでした。

「誰がマービン・ハグラーに勝てるのか?」。

この解の一つと考えられたトーマス・ハーンズが狂気の乱打戦の末に破壊されたシーザースパレス特撮リング。

そのリングサイドで余裕の微笑みを浮かべるカリーのなんとクールだったことか!

あのとき、カリーは打倒ハグラーの一番候補でした。

海外の超弩級強豪と拳を交えたアジア人には、いつもロマンが漂っています。

カリーは結果的に超弩級の強豪ではありませんでしたが、彼が世界の中心となると多くの専門家が予想した短い時間があったこともまた事実でした。

紛うことなき超弩級の強豪アーロン・プライアーからダウンを奪った亀田昭雄は、ついに世界タイトルを掴むことは出来ませんでしたが、日本のボクシングファンにとっては世界チャンピオンよりも特別な存在です。



③朴鐘八(パク・チョンパル)

「一瞬の夏」に登場する〝強豪〟です。



この蒸し暑そうなソウルの会場、カシアス内藤のコーナーには若き日の沢木耕太郎も陣取っていました。


白仁鉄、朴政吾らに連なる韓国のミドル級山脈の高峰の一つでした。

朴政吾は尾崎富士雄に5ラウンドで仕留められるなど、日本人にも〝親近感〟のあるファイターでしたが、WBAウエルター級王者アイク・クオーティにも挑戦しました。

朴鐘八はIBFとWBAでスーパーミドル級の王者になりましたが、世界の強豪フリー・オベルには2戦して2敗、いずれもノックアウト負け。

そのオベルがマービン・ハグラーには2戦2敗2KO負け。

パクは、ハグラーやハーンズら世界の中量級がどれほど強いのかを身を持って教えてくれた伝道師でもありました。



④洪秀煥(ホン・スファン)

〝内需〟で事足りる日本では生まれることのない外弁慶ファイター。サムスンやK−POPの先駆けですな。

https://fushiananome.superknova.org/archives/37681171.html




⑤朴永均(パク・ヨンギュン)

日本のボクシングファンは、二つの階級でコンプレックスを抱えています。

一つはもちろんウエルター級。一つ上のジュニアミドル級、二つ上のミドル級には複数の世界王者を送り込んでいるというのに、この147ボンドでは誰1人としてベルトを腰に巻いていないのです。

そして、もう一つがフェザー級。一つ上のジュニアライト級には〝定期的〟に世界王者が生まれているのに、フェザー級は〝難産〟が定着してしまっています。

日本人でフェザー級のストラップを掴んだのは西城正三、柴田国明、長谷川穂積、越本隆志、粟生隆寛の5人。長谷川、越本、粟生は4団体時代のレベルの低い時代にたまたま弱い相手からタイトルを獲ったラッキー王者でした。

一方の韓国は、ボクシング衰退の一因となった80年代中盤の〝IBF王者粗製濫造〟でタイトルを獲得した呉民根と丁起栄を除くと、
朴永均と池仁珍(チ・インジン)の2人。


杉谷満の挑戦を残酷に打ち砕いたWBA王者アントニオ・エスパラゴサをブルファイトに巻き込んで圧勝したのがパク。竹田益朗、淺川誠二、松本好二という日本期待のフェザー級の挑戦も全てKOで退け、8度の防衛に成功。

そして、チは当時PFP3位、40戦無敗のWBC王者エリック・モラレスが「キャリア最高に打たれ強い相手だった」と振り返ったタフガイ。「序盤でKO負け」という大方の予想を跳ね返して、大善戦しました。

世界再挑戦はモラレスの返上で空位となった王座を敵地・英国でマイケル・ブロディと争い、0−2のMDでタイトル奪取ならず。それでも、ダイレクトリマッチで7ラウンドKO勝ち。

このタイトルは、またしても敵地・福岡で越本隆志にSDで奪われてしまいますが、その越本が初防衛戦でストップされたルディ・ロペスを破って王座返り咲き。

少し気が早いですが、井上尚弥には柴田国明のように、強豪相手に世界を驚かせるパフォーマンスを見せつけてフェザー級でもタイトルを獲って欲しいものです。




⑥張正九(チャン・ジャンク)

ついに日本人が一度も崩せなかった牙城。普通なら、このランキングの1位は張でしょう。

大橋秀行に「もし(世界評価がより高い)リカルド・ロペスと戦っていたなら張が勝つんじゃないか」と言わしめたコリアンヒーロー。

韓国人王者としては珍しく、アウエーで戦ったのは大橋秀行との再戦、1試合だけ。

これは、ライバル王者の柳明佑もそうでしたが、韓国の経済とボクシング市場が上向き、超軽量級で国民的英雄の2人にわざわざ敵地に乗り込む必要性がなくなっていたということでしょう。


張がモダーン部門での殿堂入りを果たしたとき、日本のボクシングファンは「なぜ具志堅用高より先に評価されるんだ」と悔しがりましたが、これも時代です。

後の時代になればなるほど「アジアの軽量級」という〝暗黒エリア〟に光が当てられるようになりました。

そう考えると、1960年代に活躍したファイティング原田の一発殿堂がいかに凄まじい偉業だったかがあらためてよくわかります。


⑦柳佑明(ユ・ミョンウ)

ソナギ(激しい夕立ち)と恐れられた連打の嵐で対戦相手を次々と飲み込んでいったラッシャー。

39試合のプロキャリアで、敵地で防衛したことは一度もありませんでした。

敵地に乗り込んだ2試合はいずれも、日本、相手は井岡弘樹。そして、その初戦をまさかのSDで落としてしまいます。

日本人が現役PFPファイターに勝ったサンプルは、非常にレアです。

今をときめくPFPファイター、井上尚弥も中谷潤人も現役PFPファイターに勝利したことは、一度もありません。

PFPランキングが定期的に発表されるようになったのは、1980年にリング誌が年間表彰の1カテゴリーとしてスタートさせたBEST  FIGHTER POLL(年間PFP)が最初です。

それ以前の「PFP」はファンや選手の間でも大きな関心を集めるものではありませんでした。

例えば、後世にエデル・ジョフレがリング誌などで1960年代PFP1と評価されていますから、ファイティング原田との初戦時に満場一致レベルの1位だったことは疑いようがありません。

こうした推測から「黄金のバンタムを破った男」(百田尚樹)などで、ジョフレを「PFP1位」とする表現を見かけますが、当時はPFPは全く一般的ではありませんでした。

というわけで、日本人がPFPファイターに勝利したとはっきり認められるのは「1980年以降」となります。そうしてみると、日本人のPFPファイターへの勝利は井岡弘樹だけ。

僅差の勝利、そしてすぐにタイトルを奪い返されたのは残念でしたが、柳は初井岡の高速ジャブで攻撃を寸断された初戦から、再戦ではパンチの引きが遅い井岡の欠点を突いて明白な勝利(オフィシャルはMDでしたが)。柳の対応能力の高さをまざまざと見せつけられました。



⑧文成吉(ムン・ソンギル)

完全に個人的な好みでランキング。

顔(失礼)もボクシングスタイルもエリートアマとは到底思えない、タフなラッシャーでした。

世界選手権で金メダルを獲得、プロ7戦目でWBAバンタム級王者カオコー・ギャラクシーを攻略。2度目の防衛戦では、高橋直人から大番狂せで日本バンタム級タイトルを奪った小林智昭を5ラウンドで粉砕しています。

そして、カオコーとの再戦で敗れるとジュニアバンタム級に階級を落として、ヒルベルト・ローマンからタイトルを奪ったWBA王者ナナ・コナドゥを9ラウンドで攻め落とし、逆2階級制覇。

このタイトルはローマン、グレグ・リチャードソン、イラリオ・サパタ、松村謙二ら日本のボクシングファンもよく知っているファイターを退けて9度の防衛を果たしました。



⑨朴鍾弼(パク・チョンピル)

本来ならこのリストに載るはずのない韓国国内王者レベルのファイターですが、彼はその高橋ナオトのラストマッチ(1991年1月12日)の相手でした。

あの時代のボクシングファンにとって「髙橋直人(1989年に髙橋ナオトに改名)」は特別な存在でした。

ルーベン・オリバレスと伝説の闘いを繰り広げた金沢和良が所属したアベジムに所属、狙い澄ましたナタのようなカウンターで日本王者に駆け上がった髙橋は、大手ジムのホープに見られる過保護なマッチメイクとは無縁。

しかし、そんな戯言が意味を持つのは世界タイトルを獲ってからのこと。世界王者に届かなかった髙橋は「もし大手ジムで穴王者を狙って過保護に育てられていたら?」というイフで語られることもありますが、もしそうであったなら誰も彼に思い入れしなかったでしょう。



⑩ 柳済斗(ユー・ジェド) 

日本人に最も大きなインパクトを与えた韓国人ファイターは
柳済斗で間違いないでしょう。

輪島功一との再戦は伝説を超えて神話の領域に踏み入れた、感動の名勝負。

ボクシングがメジャースポーツだった1970年代、輪島功一の魂の激闘は現在の井上尚弥や村田諒太などとは比べものにならないレベルで日本列島を熱くさせていました。

輪島とユーの再戦の翌日に都内の銀行に強盗犯が立て籠もる事件が起きます。このとき警察官が犯人に対し「輪島は逆境から立ち上がってチャンピオンになった。お前も昨日の輪島の試合を見ただろう。輪島を見習い人生をやり直せ」とメガホンに叫ぶのです。

あの試合が以下の感動的であったか、そして当時のボクシングの世界戦が国民的関心事だったことがよくわかるエピソードです。

ひるがえって現代に同じ事件が起こったとして「お前も昨日のネット配信で井上尚弥とTJドヘニーの試合を見ただろう!」と、犯人を説得する警察官は絶対にいません。

いや…「井上?TJ?何かの暗号メッセージか?」と、犯人がポッカーンとなっている隙に強行突入する作戦としてはアリかもしれません。


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◾️◾️◾️さて、あと5日に迫った井上尚弥vsキム・イェジョンのジュニアフェザー級のundisputed championship。

たとえ敗れても最後まで逃げずに諦めずに拳を振い続けることが「無駄な抵抗」などではなく、見る者の心を揺さぶる「感動」であることを見せてくれた金沢和良のような戦いぶりを、1−100のアンダードッグ、キムに期待したいと思います。