韓国ボクシング史上最高のファイターは誰か?

「世界評価」という点では、国際ボクシング名誉の殿堂にモダーン部門で殿堂入りした張正九か柳佑明の二択でしょう。

しかし「韓国ボクシング界を最も熱狂させた」、いや「世界のボクシングシーンに最大の衝撃を与えた」という点では洪秀煥(ホン・スファン)になるかもしれません。

私がこのスポーツに興味を持った頃、1980年初めはもうホンがリングを去った後でした。

しかし、その活躍は過保護な日本人ボクサーとは一線を画す、現在のマニー・パッキャオにも通じる「敵地で超強豪と真っ向勝負」するロマンに満ちた伝説として語られていました。

1969年プロデビューしたホンはバンタム級で韓国、東洋太平洋タイトルを獲得。1974年に敵地南アフリカに乗り込み、WBAバンタム級王者アーノルド・テイラーを大番狂せで破って韓国史上2人目の世界王者に。

しかし、2度目の防衛戦ではカリフォルニア州イングルウッドのフォーラムに引っ張り上げられてしまいます。

相手は、なんとアルフォンソ・サモラ。このとき20戦全勝オールノックアウト。史上最強のバンタム級にも数えられるサモラの前には4ラウンドしか立っていられませんでした。

そして1977年11月27日、やはり敵地パナマに乗り込んだホンはWBAジュニアフェザー級初代王者決定戦のリングに上がります。

対戦相手は17歳の天才、エクトル・カラスキリャ。第2ラウンド、11戦全勝全KOの天才の強打が爆発。ホンは4度!もキャンバスに沈められてしまいます。

前年からフリーノックダウン制を採用していたWBAルールに救われる形で、このラウンドを生き延びたホンでしたが試合の帰趨は決定的でした。

第3ラウンド、慎重にフィニッシュを狙うカラスキリャにホンは捨て身の猛攻を仕掛けます。17歳の天才の表情に「こんなはずじゃない」という不安の色が浮かび、韓国人の鎌のような左フックをまともに被弾。

4度もダウンを奪ったカラスキリャでしたが、たった一度のダウンでテンカウントを数えられてしまいます。

ファイティング原田に次ぐ、アジア史上2人目の2階級制覇、そして二つのタイトル獲得のいずれもが敵地というのはアジア史上初の快挙でした。



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