【3】まで書いて〝BC〟の意味を伝えていなかった気がしてきたので、今更ながらあらためまして。

大橋秀行の時代、まだボクシングの世界タイトルマッチは地上波生放送されていました。
野茂英雄も中田英寿もいない〝紀元前=BC〟。世界で戦う日本人を応援できるのはボクシングのリングだけでした。
そして〝アフター野茂〟の時代になると、世界で戦うことの定義づけが一気に進んでしまいます。

う〜ん、今でもどうして具志堅用高が国民栄誉賞に選ばれなかったのか、全く解せません。まあ、あんなもん要らんっちゃあ、要らんけど、結果的にボクシング界では具志堅が最初で最後のチャンスでした。
そして、その「最高峰の舞台があるメジャー」とは野球のアメリカや、サッカーのヨーロッパのトップリーグ、テニスの4大大会という、極東の〝ローカル〟日本から見たメジャーに限定されました。
欧米での注目度やファンの人口では野球を地球規模でも数でも上回るクリケットや、アメリカで絶対的なステイタスを誇るNFLには、私たちは大きな興味を示しません。
「サッカーが圧倒的にNo. 1スポーツ。インドのクリケットや中国の卓球、インドネシアのバドミントンなんかが野球よりも世界的なスポーツなのは理解してるけど、やっぱり野球なんだよね」。それが日本列島の総意でしょう。
そして、今では全く信じられないでしょうが、具志堅がタイトルを獲った1976年頃まで、ボクシングはメジャースポーツどころか、世界戦は〝五輪の金メダルマッチ〟ほどの重い価値が認められていたのです。
防衛記録を更新するたびに首相官邸に招かれていた具志堅用高は、間違いなく国民的英雄で、その試合は国民的関心事でした。あの熱量を現在に還元すると、カンムリワシは何度、号外を発行させ、ニュース速報を流したことか。
具志堅のあと、絶対的にも相対的にもステイタスを下落してゆくプロボクシングでしたが、大橋秀行の時代はまだその残り香が残っていました。
その24試合のキャリアの22試合!!!で後楽園ホールのリングに上がった〝150年に1人の天才〟は、私が最もよく見たファイターだったかもしれません。
私は、印象的な勝利も何度も目の当たりにしながらも、大橋秀行を大好きにはなれませんでした。デビューから放っていた過大評価の臭い、的外れな言動が、若い私には癪に触ったのかもしれません。
…いや、これはカッコつけすぎた表現です。同年代の大橋に私はきっと一方的に嫉妬していたのです。
世界レベルの実力者、金奉準を世界挑戦前哨戦に選び(判定負け)、張正九に敵地ど真ん中の韓国・仁川で真っ向勝負で挑み、さらには「井岡(弘樹)君の相手ばかり後追いしてるようだし、せっかく世界なんだからアジア以外の選手とも戦いたい」「クーヨ・エルナンデスの最高傑作?それは絶対にない」とリカルド・ロペスまで呼んでしまった能天気。
「負けたい」と思ってる奴なんて、アスリートでなくてもどこにもいません。もちろん、そのはずですが「負けるなら、尊敬できる相手と真っ向勝負して負けたい」という欲求も、誰の胸の奥底にも潜んでいるのではないでしょうか。
勝負から逃げてばかりの人生を送ってきた私のような人間にとって、その欲求は潜在的でも、無意識的でも切実で、そんな最高の相手とあっさり巡り合って、砕け散っていった大橋秀行の姿は、間違いなく、これこそが「敗れざる者」でした。
というわけで、このお話では…。
①人気階級を優遇することなく、全階級を公平に見るPFP的な視点で考える。
これを外してしまうと、日本人が見上げるしかない「人気階級」の超弩級の強豪と戦った石田順裕を無視出来ません。
人気階級のミドル級でアルファベット団体のランカーなら当たり前に圧倒的有利と見られた村田諒太も、やはり無視できなくなってしまいます。ここではPFP視点で「軽量級なら村田レベルなんて平凡な王者」ということで話を進めます。
②世界戦で拳を交えた超弩級の強豪に限定する。
この縛りを外すと、寺尾新のマニー・パッキャオはとんでもないことになりますし、ご指摘いただいている中谷正義のワシル・ロマチェンコ、テオフィモ・ロペス、フェリックス・デルベホも文句無しの人気階級の超弩級の強豪、無視できません。
さらに「日本人は絶対ムリ」という視点から超弩級の強豪をフォーカスすると、藤本京太郎のダニエル・デュボアは〝今が旬〟ということもありますが、ダントツで史上最強かもしれません。あれに勝てるどころか善戦できる日本人ですら歴史上、1人もいません。
しかし、ここではあくまでもPFPの方向から考えるので、デュボアは穴王者の域を出ません。超弩級どころか強豪王者とも言えません。

大橋秀行の時代、まだボクシングの世界タイトルマッチは地上波生放送されていました。
野茂英雄も中田英寿もいない〝紀元前=BC〟。世界で戦う日本人を応援できるのはボクシングのリングだけでした。
そして〝アフター野茂〟の時代になると、世界で戦うことの定義づけが一気に進んでしまいます。
WBAジュニアフライ級王者・具志堅用高や、ハンク・アーロンの記録を抜いて756号の本塁打を放った王貞治は時代に抱きしめられましたが、〝アフター野茂〟の時代は「WBA」や「数字」を世界とは感じない、〝羊頭狗肉〟と冷ややかに見ることになります。
21世紀のスポーツファンにとっての「世界」の定義は、最高峰の舞台がある本場(メジャー)で活躍することであり、現地の有名メディアで報道され、それが日本に伝えられる(今の大谷翔平がその典型)ことで承認されることになってしまいました。

う〜ん、今でもどうして具志堅用高が国民栄誉賞に選ばれなかったのか、全く解せません。まあ、あんなもん要らんっちゃあ、要らんけど、結果的にボクシング界では具志堅が最初で最後のチャンスでした。
そして、その「最高峰の舞台があるメジャー」とは野球のアメリカや、サッカーのヨーロッパのトップリーグ、テニスの4大大会という、極東の〝ローカル〟日本から見たメジャーに限定されました。
欧米での注目度やファンの人口では野球を地球規模でも数でも上回るクリケットや、アメリカで絶対的なステイタスを誇るNFLには、私たちは大きな興味を示しません。
「サッカーが圧倒的にNo. 1スポーツ。インドのクリケットや中国の卓球、インドネシアのバドミントンなんかが野球よりも世界的なスポーツなのは理解してるけど、やっぱり野球なんだよね」。それが日本列島の総意でしょう。
そして、今では全く信じられないでしょうが、具志堅がタイトルを獲った1976年頃まで、ボクシングはメジャースポーツどころか、世界戦は〝五輪の金メダルマッチ〟ほどの重い価値が認められていたのです。
防衛記録を更新するたびに首相官邸に招かれていた具志堅用高は、間違いなく国民的英雄で、その試合は国民的関心事でした。あの熱量を現在に還元すると、カンムリワシは何度、号外を発行させ、ニュース速報を流したことか。
具志堅のあと、絶対的にも相対的にもステイタスを下落してゆくプロボクシングでしたが、大橋秀行の時代はまだその残り香が残っていました。
その24試合のキャリアの22試合!!!で後楽園ホールのリングに上がった〝150年に1人の天才〟は、私が最もよく見たファイターだったかもしれません。
私は、印象的な勝利も何度も目の当たりにしながらも、大橋秀行を大好きにはなれませんでした。デビューから放っていた過大評価の臭い、的外れな言動が、若い私には癪に触ったのかもしれません。
…いや、これはカッコつけすぎた表現です。同年代の大橋に私はきっと一方的に嫉妬していたのです。
世界レベルの実力者、金奉準を世界挑戦前哨戦に選び(判定負け)、張正九に敵地ど真ん中の韓国・仁川で真っ向勝負で挑み、さらには「井岡(弘樹)君の相手ばかり後追いしてるようだし、せっかく世界なんだからアジア以外の選手とも戦いたい」「クーヨ・エルナンデスの最高傑作?それは絶対にない」とリカルド・ロペスまで呼んでしまった能天気。
「負けたい」と思ってる奴なんて、アスリートでなくてもどこにもいません。もちろん、そのはずですが「負けるなら、尊敬できる相手と真っ向勝負して負けたい」という欲求も、誰の胸の奥底にも潜んでいるのではないでしょうか。
勝負から逃げてばかりの人生を送ってきた私のような人間にとって、その欲求は潜在的でも、無意識的でも切実で、そんな最高の相手とあっさり巡り合って、砕け散っていった大橋秀行の姿は、間違いなく、これこそが「敗れざる者」でした。
というわけで、このお話では…。
①人気階級を優遇することなく、全階級を公平に見るPFP的な視点で考える。
これを外してしまうと、日本人が見上げるしかない「人気階級」の超弩級の強豪と戦った石田順裕を無視出来ません。
人気階級のミドル級でアルファベット団体のランカーなら当たり前に圧倒的有利と見られた村田諒太も、やはり無視できなくなってしまいます。ここではPFP視点で「軽量級なら村田レベルなんて平凡な王者」ということで話を進めます。
②世界戦で拳を交えた超弩級の強豪に限定する。
この縛りを外すと、寺尾新のマニー・パッキャオはとんでもないことになりますし、ご指摘いただいている中谷正義のワシル・ロマチェンコ、テオフィモ・ロペス、フェリックス・デルベホも文句無しの人気階級の超弩級の強豪、無視できません。
さらに「日本人は絶対ムリ」という視点から超弩級の強豪をフォーカスすると、藤本京太郎のダニエル・デュボアは〝今が旬〟ということもありますが、ダントツで史上最強かもしれません。あれに勝てるどころか善戦できる日本人ですら歴史上、1人もいません。
しかし、ここではあくまでもPFPの方向から考えるので、デュボアは穴王者の域を出ません。超弩級どころか強豪王者とも言えません。
コメント
コメント一覧 (6)
その手の異名って世界戦で注目される試合を何度か勝ち抜いてから与えられるものだと思っていました
それほどキャリアの初期から今ほど圧倒的な戦績を刻むと期待されていたのでしょうか
フシ穴の眼
が
しました
ミドル級でゴロフキンと唯一試合しようとし、ジェイコブスをKOしたチャンピオンピログと試合した石田さん
メイウェザー等ビッグネーム達が露骨に試合を避けたウェルターの巨人ポールウィリアムスと試合した石田さん
圧倒的戦績から将来を期待されたカークランドと試合した石田さん
大幅増量して日本人史上最強のボクサーの1人である京太郎に善戦(俺は勝ってたと思う)した石田さん
石田さんすげえ
フシ穴の眼
が
しました
大橋を順序よく対戦させ、キャリアをつんでいたら
と思うときがかいます。
初敗北の金戦は体調悪たったみたいですが
張正九は当時10度防衛しており、日本人とメキシカンをカモにしていました。
しかし、カモにされているのに、
会長の勇気ある挑戦で2連敗
ロペス戦はオプション権利をもつ(おそらくナパ側)
の命令でしたと思います。
大橋はロペスが先に王者になっていたら、
世界王者になれていなかったかも?と云っていました。
運というのも大事なのかもしれません。
ちなみに具志堅用高が国民栄誉賞がもらえなかったのは、
ひょっとして具志堅用高が本土の人間でない
かもしれないかもか
フシ穴の眼
が
しました
フシ穴の眼
が
しました
それ以前は業界関係者も「サッカーなんて世界戦で負け続きの競技でしょ」と舐めた発言をしていたものでした。
フシ穴の眼
が
しました