プロボクシングはスポーツというよりも興行、エンタテインメントです。

他のスポーツではまずお目にかかれない、人気者や金持ちの国のボクサーに有利な仕組みが出来上がっています。

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近代ボクシングの礎、クイーンズベリー・ルールが誕生したのが英国であったことからも明らかなように、ボクシングの中心地は19世紀まで英国でした。

1922年には、マディソン・スクエア・ガーデンの2階にある会議室でリング誌が産声をあげ、米国がリードする時代が本格化してゆきます。

それでも、リング誌創刊号の表紙を飾ったのはテックス・リカードとロード・ロンズデールの米英2大プロモーターでした。

米国の時代が深まると、大きな興行が打たれる場所はニューヨークやラスベガスなど米国の東西海岸に偏重、英国の影はどんどん希薄化してゆきます。

世界ヘビー級チャンピオンは、アフリカ系米国人が独占、大きな興行を主催するのもドン・キングやボブ・アラム、オスカー・デラホーヤという米国のプロモーターのが当たり前になりました。

しかし、この10年ほどで長期化する米国市場の没落とヒスパニック、特にメキシコの台頭、英国の再興はプロボクシングに地殻変動をもたらしました。

いま、米国凋落の象徴であるボブ・アラムを世界一のプロモーターと考えている人は皆無でしょう。

もちろん、米国市場はメキシコのボクサーたちが支え、1年間で最も大きなイベントはメキシコの記念日週間に行われるのが当たり前になりました。

プロボクシングの盟主国の変遷を辿りながら、欧米の興味から遠く離れた「極東の島国・日本」「軽量級」にも迫ってゆきます。