ヘビー級は様々なジンクスに彩られてきました。

「ヘビー級の王者に返り咲くことは出来ない」というジンクスは、フロイド・パターソンが最初に破り、モハメド・アリが三度王者に返り咲いた頃こそ、重みがありましたが、今では当たり前にベルトがやり取りされるようになりました。

それでも「下の階級の王者は、ヘビー級の王者になれない」は、マイケル・スピンクスが破ったものの、今なお非常に難易度の高い2階級制覇であり続けています。

「難易度が高い2階級制覇」など、軽量級に目を移せばそんなものは失笑レベルで一切存在しませんが、ヘビー級を絡めただけで全く違う種類のハードルとなってファイターの前に立ち塞がるのです。

さらに「サウスポーはヘビー級の王者になれない」は最後に残されたジンクスでしたが、これを破ったのがマイケル〝Double M〟モーラーでした。

そして「下の階級の王者からヘビー級王者に」という離れ業もやってのけましたが、それもクルーザー級ではなくライトヘビー級からのロングショット。その一点では、イベンダー・ホリフィールドとオレクサンデル・ウシクに優っています。

WBOの初代ライトヘビー級王者に就いたモーラーは9連続防衛。タイトルを獲った試合も含めた10試合は全てKOで片付けました。

それでも「4団体時代の王座や防衛、弱い相手に勝っただけで意味はない」と、その評価は停滞。

文句のあるやつを黙らせる方法はたった一つしかありません。

1992年5月15日、アトランティックシティのトランプ・タージマハルでバート・クーパーとのWBOヘビー級王者決定戦に挑んだモーラーは2度のダウンを跳ね返して〝スモーキン〟クーパーをストップ。

史上初、サウスポーの世界ヘビー級王者となりました。

それでも「後発でマイナーのWBO」「クーパーとの決定戦」という〝文句〟が残されてしまいます。



モーラーはWBOタイトルを返上、1994年4月22日、ラスベガスはシーザースパレスで、WBA /IBF王者のイベンダー・ホリフィールドとの団体統一戦のリングに上がります。

超ビッグネームの強豪です。ホリフィールドに勝てば、もう文句なし。しかし、予想もオッズもダブルMが圧倒的不利と見られてしまいます。

ところがどっこい、この試合でもダウンを挽回して〝Real Deal〟に2−0のマジョリティデジションで判定勝ち。これで、文句なしのヘビー級史上初のサウスポー世界王者誕生です。

第2ラウンドにダウンを奪ったものの10−10とスコアしたジェリー・ロスに抗議したホリフィールドでしたが、4日後に心臓疾患が判明、引退を表明しました。

余談1ですがこの1990年代初めは東海岸のアトランティックシティがまだまだ活況、西のラスベガスはシーザースパレスがボクシング興行への興味を失い、MGMグループが台頭してくる時期でした。

余談2ですがこの試合のモーラーの報酬は500万ドル(5億2000万円)、ホリフィールドは1200万ドル(12億5000万円)。今なら500万ドルは7億7000万円、1200万ドルは18億4800万円。円安、今昔物語です。


さて、ヘビー級の歴史に爪痕を残したサウスポーは、7ヶ月後にジョージ・フォアマンを迎えて初防衛戦。

ホリフィールドを上回る途轍もない伝説との一戦は美味しいボーナス・マッチと見られ、第9ラウンドまでの採点も88−83*2/86−85と大きくリードしていましたが…。