時代の変遷とともに、ボクシングの産業構造は変質してきました。

ボクシング市場が縮小する中で、ジムの数も激減、淘汰が進みました。

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笹崎、リキ、極東、中村、三迫、ヨネクラ、角海老宝石、新日本木村、国際、熊谷、協栄、(大阪)帝拳…かつて「大手」と呼ばれるジムが世界タイトルマッチを手掛け、地理的には東京一局集中でしたが、その数と独立性は〝地方的〟で現在と比較すべくもありません。

そう考えると、ボクシング界もまた、日本の縮図に見えてきます。

地方ジムから乾坤一擲、世界タイトルを掴み獲る。

それは、好き勝手なランキングを作る4団体が17階級も抱える現代でもmission impossible、moon shotです。

地方ジムで花咲く才能があったとしても、あたたかい風は、いつも都会の大手ジムから吹いてきます。

西岡利晃を「故郷を捨てた」と、誰が責められるでしょうか。

地方のジムから世界を目指す。プロボクシングもビジネスの世界です。そんな要領の悪い話はあってはいけないとも言えるでしょう。

要領が悪い…回りくどい表現のオブラートを引き剥がすと、頭が悪い、つまりはバカ、ということです。

それはまさしく、シャッター街の錆びたシャッターをもう一度一斉に引き上げようとする、そんなバカな行いです。

さて。

バカを紹介する時間が来たようです。

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タイトルに美観地区を持ち出したのだから、一人目はユーリ阿久井政悟しかありません。

さあ、開店ガラガラ!


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岡山県倉敷市で生まれ、中学2年で倉敷守安ボクシングジムの門をくぐり、そこから世界チャンピオンになった阿久井政悟は生粋の〝岡山人〟〝倉敷人〟と言えます。

「岡山県出身の世界王者」というくくりで見ると、渡辺二郎と辰吉丈一郎に次いで3人目になりますが、大阪帝拳カラーを濃厚に発散させていた渡辺と辰吉に岡山の色を見つけるのは至難の業。

そんな生粋の岡山人である阿久井でも、帝拳の引力とは無縁でいることは出来ません。

誤解を排除するために、最初に守安竜也会長の言葉をご紹介します。

「(帝拳には)本当に感謝しかないです」。

阿久井の世界奪取の試合は


岡山で農協職員として働く兼業ボクサー守安は元日本ジュニアウエルター級王者のタイトルを3度守った、日本重量級の強豪。WBAランキングも3位まで名前を刻みました。

当時の140ポンドは世界的にはライト級とウエルター級の間に陥没した〝水増し階級〟で、日本人にもチャンスはありましたが、守安は4度目の防衛戦に失敗。夢は潰えてしまいます。

守安からタイトルを奪ったのは亀田昭雄。

そうです、当時のWBA王者はアーロン・プライアー。伝説の怪物です。「プライアーを日本に呼ぶには当時でも億単位のカネが必要。地方ジムが呼べる相手ではない」(守安会長)。

守安は1984年で引退。「岡山から世界」の夢は、教え子たちに託されることになります。

ジムを開設した守安は1992年から自主興行「桃太郎ファイト」を立ち上げますが、覚悟の上の赤字は予想以上に重くのしかかり、休止を何度も強いられます。

それでも、2016年。「桃太郎ファイト」は10年ぶりに復活を果たします。

損得勘定ができない森保の往生際の悪い性格だけが原因ではありませんでした。

ジムの経営はどんどん悪化、トレーナーも雇えず、守安会長もミットを持つのもままならない年齢に差し掛かっていたのですから、常識的にはいつも赤字の桃太郎ファイトを復活させるなんてあり得ない話でしたが…。

岡山から世界へ。

守安会長が、確信できたからです。鬼ヶ島に挑んで勝てる桃太郎をついに手に入れたと、確信できたからでした。




もし、阿久井政悟が倉敷を出て、帝拳の門を叩いていたなら…。

世界挑戦の機会はもっと早く訪れていたはずです。そして、より可能性が高い階級と王者を選別していたのではないでしょうか。


もちろん、倉敷守安事務の先輩がフライ級の強豪王者に「似ている」と思い付けられたユーリ阿久井政悟は誕生していませんでした。

そして、世界王者になっても大手ジムの興行に組み込まれるBサイドの立場を「なめるなよ」と楽しめる反骨のプライドが心の奥底に根を張ることもなかったでしょう。



このまま防衛のテープを伸ばせば、自主興行の「桃太郎ファイト」で世界戦をぶち上げる「岡山から世界へ」ならぬ「岡山で世界!」も夢ではありません。