1912年のストックホルム五輪で途中棄権の屈辱にまみれた金栗四三が「世界に通用するために」と立ち上げた箱根駅伝。

戦争による中断を挟みながらも来月で第100回大会を迎えます。



箱根駅伝は、野球やラグビーといった大学スポーツの花形とは大きく遅れたマイナーに長らく甘んじていました。

しかし、読売新聞と日本テレビ、サッポロビールなどのスポンサーが優れたマーケティング戦略を展開、1987年から全国ネットでテレビ中継が開始。つまりそれまではテレビ放送されていなかったのです。

さらに、当時は一部だけ、完全生中継は1989年からでした。

私は、この時期に箱根駅伝の予選会を走っていましたが、応援してくれたOBが驚いていたのは「急激なレベルアップ」と「複数の黒人選手が出場」していたことでした。

主催者側のマーケティングと、知名度を上げたい大学側の思惑は、当初からWin-Winの関係を築いて、この関東ローカル駅伝を大学スポーツ史上稀に見る大成功に導いたのでした。

しかし、急激なレベルアップといっても所詮は大学生、世界の長距離シーンに衝撃を与えるような傑物は生み出せていません。

それどころか、オリンピックでは一つのメダルも獲れていないのです。

正確には、1936年のベルリン五輪のマラソンで銅メダルに輝いたナム・スンリョン(南昇竜)は明治大で箱根駅伝を走っていましたが、朝鮮半島の出身でした。

来年のパリ五輪でメダル獲得の期待ができるのは、東京五輪で7位、今年の世界陸上で6位と世界のトップ戦線で戦っている三浦龍司ですが、彼の種目は3000m障害。三浦がメダルを勝ち獲っても「箱根から世界を掴んだ!」と喜んでいいのかどうか、微妙です。

世界陸上では谷口浩美が金メダルを獲るなど、一定の成果は収めていますから「五輪メダル・ゼロ」もいつかはいつかはストップできると期待したいところですが、谷口の時代と今では世界との距離は全く変わってしまっています。

序盤から勝負へ参加することすらできず、前から落ちてくる選手を拾う〝死肉喰い〟のハイエナ戦法でしか入賞もおぼつかない状況です。

誤解を恐れずにいうと、勝負に参加しない入賞なんて何の価値もありません。トドのつまり、負けることすら許されないくらいに、世界との差が歴然としているということです。


そして、世界で勝負する才能を育てる舞台として、現在の箱根駅伝が全く相応しくないのは明らかです。

「箱根駅伝が世界の門を塞いでいる」なんて仮説は、私たちの時代は考えられませんでした。

分不相応にメジャーになることは、良いことづくめではありません。