ダイレクト・リマッチ。

決着の戦いか?それとも、タイトルのたらい回しか?

その類型を「①哀しい返り討ち型」「②ファンが喜ぶ激闘型」「③プライド証明型」に分けます。

まずは「①哀しい返り討ち型」から5つのサンプルを取り出します。




1980年からボクシングの世界に惹き込まれた私が真っ先に思い浮かぶのは、具志堅用高の落日です。

ペドロ・フローレスを迎えた1980年10月12日の初戦は第2ラウンドにダウンを奪う上々の立ち上がりも、ハングリーなメキシカンの追い上げられなんとか判定勝ちに逃げ込みました。

翌年3月8日、ダイレクト・リマッチの舞台は、キャリア初の沖縄での凱旋試合。

すでに国民的英雄の座を確かなものにしていた具志堅は、全く精彩を欠いたまま12ラウンドKO負け。

あの日、確かに日本列島が泣いていました。




その具志堅に憧れ、具志堅と同じWBAベルトを腰に巻いたのが好漢・渡嘉敷勝男でした。

初防衛戦で大苦戦したルペ・マデラと5度目の防衛戦で再び対決。ここでも、大苦戦ながらのドロー防衛。

疑惑の判定の責任は渡嘉敷にあるはずもないのですが、世間が〝監視〟する中で行われたダイレクト・リマッチで3ラウンドまでの負傷判定で完敗(3者ともマデラにフルマーク)、さらに立て続けに行った試合でも明白な敗北。

タイトルをタライ回した結果は渡嘉敷の1勝2敗1分でしたが、多くのファンは渡嘉敷の4連敗と見ていました。



そして…具志堅を最後にリングの中で国民的英雄が絶滅してしまった1990年代、西から太陽が昇りました。

辰吉丈一郎です。

30年後の現在とはボクシングの社会的存在感が全く違いますが、辰吉が集めた注目の重量と濃度は亀田兄弟や井上尚弥の比ではありませんでした。

1998年12月29日、ウィラボン・ナコンルンアンプロモーションに6ラウンドKOでWBCバンタム級王座から陥落、ちょうど8ヶ月後の翌年8月29日にダイレクト・リマッチ。

しかし、それはRevengeではなく虚しいRepeatでした。

ウィラボンの猛攻をまともに受けながら、前のめりに倒れる辰吉。その身体を抱き抱えるウィラボン。あの数秒がスローモーションに見えたのは私だけではないでしょう。

誰もが辰吉丈一郎に、心の中でさよならを告げました。「これで、今度こそ、本当に終わった」と…。



フェザー級以下の軽量級史上初めて、PFPキングの座に就き、それを2年間も守ったローマン・ゴンサレスの蹉跌も衝撃的でした。

米国ボクシングの凋落からHBOが断末魔に企画した「Super Fly」は、一つの興行の全出場選手のファイトマネーを100万ドルに抑えるというコスパを追求した企画で、PFP1位のチョコラティトと、ジャパンマネーが流れ込む井上尚弥の〝決勝戦〟を期待してキックオフしましたが…。

2017年3月18日、安牌と思われたシーサケット・ソールンビサイにまさかの判定負け。7月9日のダイレクト・リマッチでは試合前1ヶ月からリバウンドチェックを行い、シーサケットの戦力ダウンをはまりましたが、結果は4ラウンドKO負け。「これがチョコラティトでなければ完全なミスマッチ」という惨敗でした。



マイク・タイソン
は敗北した相手との再戦から徹底的に逃げ回ったファイターですが、再戦条項が盛り込まれたイベンダー・ホリフィールドからは逃げることができませんでした。

1996年11月7日の初戦を11ラウンドTKOで散ったタイソンは、恐怖のためノイローゼになったまま翌年6月28日のリマッチのリングに上がり醜悪な耳噛み事件を起こしてしまいます。

ホリフィールド戦の前にもドノバン・ラドックと1991年3月18日と6月28日にダイレクト・リマッチ。初戦はシーソーゲームを制して7ラウンドTKO勝ち、再戦は勝ちはしたものの判定まで持ち込まれ、Aプランが行き詰まると何もできないボクシングIQの低さを露呈してしまいました。



「①哀しい返り討ち型」とは、初戦から何も上積みできない敗者が、負けるべくして負けたダイレクト・リマッチでした。 

このサンプルに、ジャーメイン・テイラー、チャド・ドーソン相手にバーナード・ホプキンスも数え上げられているのは意外でもあり、ダイレクト・リマッチの難しさも伝わってきます。 


「①哀しい返り討ち型」「②ファンが喜ぶ激闘型」「③プライド証明型」の三つで10のサンプルを抽出しようと始めましたが、思いつくままに書き連ねると10なんかじゃ到底すまないことになりました…。

というわけで、続きます。