4月15日、英国ロンドンはカッパーボックス・アリーナで張志磊(ヂャン・ヂレイ)が暫定ながらWBOヘビー級王者ジョー・ジョイスを6ラウンドでストップ、アジア初のヘビー級王者となりました。
圧倒的不利のオッズと予想、完全アウエーの中で、文句無しの勝利でした。
プロボクシングにおけるアジアの最高到達地点は、スーパーミドル級(168ポンド)でしたから、ライトヘビー(175ポンド)とクルーザー(200ポンド)を飛び越えてのヘビー級制覇。
無差別級という特別なクラスを考慮すると「アジア史上最大の勝利」であるだけでなく、アジアで初めての世界王者という見方まで出来るかもしれません。
ヂャンに匹敵する偉業を探すと、真っ先に思い浮かぶのはファイティング原田のエデル・ジョフレに対する2戦2勝です。
当時は1団体10階級時代、PFPなどというまやかしの指標は、現在のようにあちこちのメディアが定期的に発表することはありませんでしたが、ジョフレが「バンタム級史上最高のボクサー」であることは誰も異論がないでしょう。
また、当時は一般的でなかったPFPでも後年リング誌がモハメド・アリを差し置いて60年代の1位にジョフレを選んでいます。
もし、当時もPFPが存在したなら、ジョフレが何年もキングの座を守り、そのジョフレに2連勝(1965年5月18日/1966年5月31日)した原田がキングの座に就いていたのは疑う余地がありません。
1団体10階級時代には、ただでさえ怪しいPFPの存在意味がさらに希薄になるので、PFPランキングがあれば、という可能性がゼロですが。
そして、柴田国明のビセンテ・サルディバル撃破(1970年12月11日)。もし当時もリング誌PFPのような定期的なランキングがあれば、世界戦無敗のメキシカンが上位に評価されていたのは確実。
サルディバルが最初の引退宣言をした1967年10月14日、ハワード・ウィンストンを下してフェザー級のUndisputed cahmpionの座を8連続防衛した時点ならPFP1位だったでしょう。
また、五里霧中の4団体17階級時代の現代でもバンタム級でUndisputed cahmpionになった井上尚弥もノミネートしても良い気がしますが、ここで俎上に上げるには、いかんせん対戦相手の質が低すぎます。
ここで問われる「アジア史上最大の勝利」の相手がポール・バトラーというのでは、冗談にもなりません。
対戦相手の質を問わなければ、1980年からスタートしたリング誌のBest Fighter Poll(年間PFP)でアジアから初めてランキングされた張正九(最高は88年8位)や張に続いたカオサイ・ギャラクシー(最高は91年8位)、さらに1970年代PFPで10位評価の具志堅用高、2000年代10位のポンサクレック・ウォンジョンカムも重要なプレイヤーでしたが、やはり井上同様に「それで誰に勝ったの?」という質問には誰もが口をつぐんでしまいます。
ヂャンの「ジョー・ジョイス」にしても暫定とはいえ「世界ヘビー級チャンピオンの1人」という事実が重すぎるということ。
では、ヂャン登場までのアジアの最長不倒スーパーミドル級で世界王者になった朴鐘八と白仁鉄はというと、朴は黎明期のスーパーミドル級で、8連続防衛を果たしたのは発足直後のIBF。その後、WBAに乗り換えるもフリー・オベルに王座を終われてしまいます。
ミドル級時代にマービン・ハグラーに門前払いを食らったオベルは白にタイトルを奪われますが、その白も凡庸極まるフランス人、クリストフ・ティオーゾに敗れて王座を失いました。
アジアから見たヘビー級の牙城はあまりにも高く、それはボクシングにおいて最も重要なはずの「誰に勝ったのか?」はとりあえずどうでもいい、という次元の峻厳さでした。
たとえ「暫定」でも、たとえ「ジョイス」でも…「世界ヘビー級」であることだけで「アジア史上最大の勝利」とみなされるのです。それでも文句はありません。
将来は、WBO暫定ヘビー級王者に勝つくらいでは全く評価されない、そんな時代がアジアに訪れたら良いのですが、いつかそんな時代を手に入れる日が来るでしょうか?

そして…欧米メディアも報じたヂャンの「アジア史上最大の勝利の一つ」は、マニー・パッキャオを例外にしていることも忘れてはなりません。
ヂャンの手にした「ヘビー級」はボクシング界で最強のカードですが、対戦相手の質と世界に与えた衝撃度を考えるとマルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケス、オスカー・デラホーヤ、リッキー・ハットンに勝利したパッキャオの手札に対抗するには弱すぎます。
メキシカンのPFPファイターを撃破しながら人気階級のど真ん中へ進軍する、そんなアジアのファイターをまた見る日がいつか訪れるでしょうか?
| PUNCHES | JOYCE | ZHANG |
|---|---|---|
| Total landed | 85 | 82 |
| Total thrown | 464 | 180 |
| Percent | 18% | 46% |
| Jabs landed | 25 | 4 |
| Jabs thrown | 211 | 40 |
| Percent | 12% | 10% |
| Power landed | 60 | 78 |
| Power thrown | 253 | 140 |
| Percent | 24% | 56% |
圧倒的不利のオッズと予想、完全アウエーの中で、文句無しの勝利でした。
プロボクシングにおけるアジアの最高到達地点は、スーパーミドル級(168ポンド)でしたから、ライトヘビー(175ポンド)とクルーザー(200ポンド)を飛び越えてのヘビー級制覇。
無差別級という特別なクラスを考慮すると「アジア史上最大の勝利」であるだけでなく、アジアで初めての世界王者という見方まで出来るかもしれません。
ヂャンに匹敵する偉業を探すと、真っ先に思い浮かぶのはファイティング原田のエデル・ジョフレに対する2戦2勝です。
当時は1団体10階級時代、PFPなどというまやかしの指標は、現在のようにあちこちのメディアが定期的に発表することはありませんでしたが、ジョフレが「バンタム級史上最高のボクサー」であることは誰も異論がないでしょう。
また、当時は一般的でなかったPFPでも後年リング誌がモハメド・アリを差し置いて60年代の1位にジョフレを選んでいます。
もし、当時もPFPが存在したなら、ジョフレが何年もキングの座を守り、そのジョフレに2連勝(1965年5月18日/1966年5月31日)した原田がキングの座に就いていたのは疑う余地がありません。
1団体10階級時代には、ただでさえ怪しいPFPの存在意味がさらに希薄になるので、PFPランキングがあれば、という可能性がゼロですが。
そして、柴田国明のビセンテ・サルディバル撃破(1970年12月11日)。もし当時もリング誌PFPのような定期的なランキングがあれば、世界戦無敗のメキシカンが上位に評価されていたのは確実。
サルディバルが最初の引退宣言をした1967年10月14日、ハワード・ウィンストンを下してフェザー級のUndisputed cahmpionの座を8連続防衛した時点ならPFP1位だったでしょう。
また、五里霧中の4団体17階級時代の現代でもバンタム級でUndisputed cahmpionになった井上尚弥もノミネートしても良い気がしますが、ここで俎上に上げるには、いかんせん対戦相手の質が低すぎます。
ここで問われる「アジア史上最大の勝利」の相手がポール・バトラーというのでは、冗談にもなりません。
対戦相手の質を問わなければ、1980年からスタートしたリング誌のBest Fighter Poll(年間PFP)でアジアから初めてランキングされた張正九(最高は88年8位)や張に続いたカオサイ・ギャラクシー(最高は91年8位)、さらに1970年代PFPで10位評価の具志堅用高、2000年代10位のポンサクレック・ウォンジョンカムも重要なプレイヤーでしたが、やはり井上同様に「それで誰に勝ったの?」という質問には誰もが口をつぐんでしまいます。
ヂャンの「ジョー・ジョイス」にしても暫定とはいえ「世界ヘビー級チャンピオンの1人」という事実が重すぎるということ。
では、ヂャン登場までのアジアの最長不倒スーパーミドル級で世界王者になった朴鐘八と白仁鉄はというと、朴は黎明期のスーパーミドル級で、8連続防衛を果たしたのは発足直後のIBF。その後、WBAに乗り換えるもフリー・オベルに王座を終われてしまいます。
ミドル級時代にマービン・ハグラーに門前払いを食らったオベルは白にタイトルを奪われますが、その白も凡庸極まるフランス人、クリストフ・ティオーゾに敗れて王座を失いました。
アジアから見たヘビー級の牙城はあまりにも高く、それはボクシングにおいて最も重要なはずの「誰に勝ったのか?」はとりあえずどうでもいい、という次元の峻厳さでした。
たとえ「暫定」でも、たとえ「ジョイス」でも…「世界ヘビー級」であることだけで「アジア史上最大の勝利」とみなされるのです。それでも文句はありません。
将来は、WBO暫定ヘビー級王者に勝つくらいでは全く評価されない、そんな時代がアジアに訪れたら良いのですが、いつかそんな時代を手に入れる日が来るでしょうか?

そして…欧米メディアも報じたヂャンの「アジア史上最大の勝利の一つ」は、マニー・パッキャオを例外にしていることも忘れてはなりません。
ヂャンの手にした「ヘビー級」はボクシング界で最強のカードですが、対戦相手の質と世界に与えた衝撃度を考えるとマルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケス、オスカー・デラホーヤ、リッキー・ハットンに勝利したパッキャオの手札に対抗するには弱すぎます。
メキシカンのPFPファイターを撃破しながら人気階級のど真ん中へ進軍する、そんなアジアのファイターをまた見る日がいつか訪れるでしょうか?
コメント
コメント一覧 (2)
フシ穴の眼
が
しました
100年後も確実に語られている存在だと思います。
彼の現役時代をリアルタイムで目撃した我々は恵まれてますね。
フシ穴の眼
が
しました