世界フェザー級。

白井義男の世界タイトル挑戦のために、1952年に日本ボクシング・コミッションが創設されてから71年。

126ポンドの頂に登った日本人は、西城正三から数えて、たったの5人。

後発階級のストロー級やジュニアフライ級、ジュニアバンタム級では世界王者が量産されているというのに。

このクラスでは2010年に決定戦でWBCのストラップを拾ったものの一度も防衛できなかった長谷川穂積を最後に、13年も世界王者が誕生していないのです。

一つ重たいジュニアライト級が10人、一つ軽いジュニアフェザー級で11人もの世界王者を送り出していることを考えると、フェザー級が非常に不思議な階級であることに気づきます。

それは、ジュニアウェルター級に3人、ジュニアミドル級に4人の世界王者に挟まれながら、その間のウェルター級では1人の世界王者も生み出すことが出来ていない矛盾とも似ています。

もちろん、ボクシングファンはフェザー級に不思議を感じていません。ウェルター級が獲れないことを矛盾と捉える人も皆無でしょう。

フェザー級とウェルター級は、ストロー級やジュニアフライ級と比べると、挑戦機会が圧倒的に少ないという事情が横たわっていますが、それだけが理由ではないのです。



さて…日本史上最高のフェザー級は誰でしょうか?

西城正三、柴田国明、越本隆志、粟生隆寛、長谷川穂積。

おそらく、ここで迷う人はいないでしょう。

今朝アップされたリング誌電子版「BEST I FACED: KUNIAKI SHIBATA(私が拳を交えた最強の男たち)」からのインスパイア。

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柴田国明は、ファイティング原田以来の二階級制覇を成し遂げた。その後、多くの日本人ボクサーが二階級、三階級、四階級と制覇したが、二つの階級でリング誌王者になったのは原田と柴田だけ。

柴田は1947年3月29日、茨城県日立市で生まれた。

1947年3月…敗戦からまだ一年半しか経っていない。だからといって「矢吹丈」や「力石徹」のような戦災孤児ではなかった。

父親は大企業・日立の工場で働き、母親は専業主婦として家族の面倒を見ていた。

「私は喧嘩に明け暮れていた問題児じゃなかった。海と山に囲まれた日立の自然の中で遊びまくってたのが、ボクシングのバランスや強さに繋がってたのかもしれない」。

柴田の少年時代、プロボクシングは文句無しのメジャースポーツだった。バンタム級の世界ランカー青木勝利に憧れて、プロボクサーを目指した。

青木と同じ三鷹ジムに入るつもりだったが、牛乳配達の勤務先に近いヨネクラジムの門をくぐる。

アマチュア経験のない柴田だったが、米倉健司は一目でその才能を見抜いた。

「ジムに入って1週間で、米倉会長の言われるままにプロテストを受けたら合格した。会長は無償で自宅に住ませてくれて、ボクシングだけに集中できる環境を作ってくれた。

1965年3月6日、17歳でデビューした柴田に、いきなりとんでもない幸運が舞い込んだ。

ファイティング原田の挑戦を受けるために来日した伝説のバンタム級王者エデル・ジョフレのスパーリングパートナーの一人に抜擢されたのだ。

「1ラウンド2万円という破格の待遇だった」。当時の大卒初任給と同じ金額だったのだ。

「2度目の来日でもスパーリングパートナーに呼ばれて、それぞれ10ラウンドスパーリングしたが、私のパンチは当たらなかった、たったの一発も」。

デビューから21連勝の柴田は、ドワイト・ホーキンスに7ラウンドKOで沈められ、初黒星を喫してしまう。しかし、このときホーキンスのトレーナーだったエディ・タウンゼントが柴田のコーナーに付くようになり再び上昇気流に乗り、世界ランキングに名前を連ねるようになった。

当時の世界王者はWBAが西城正三、WBCがビセンテ・サルディバル。

サルディバルは統一戦を熱望していたが、西城のマネージャーは「まずサルディバルが柴田に勝ってから」と、柴田にお鉢が回ってきた。

サルディバルはWBA/WBCの二つのタイトルを掌握するフェザー級のUndisputed Championだったが、ハワード・ウィンストンを12ラウンドでストップ(1967年10月14日:メキシコシチー・アステカスタジアム)して、引退宣言。

「十分金も稼いだ。栄光も手にした。もう何も証明することはない」。

私はサルディバルの現役時代を知りません。

しかし、あのフリオ・セサール・チャベスやルーベン・オリバレスのアイドルだったと知り、メキシコのファンがサルバドール・サンチェスにサルディバルの光を感じたというエピソードに「柴田は途轍もないチャンピオンに勝ったんだ」と、実感できました。

柴田を迎え撃つサルディバルが保持するのは、ジョニー・ファメションから奪ったWBCタイトル。

一度引退、2年弱のブランクがあるとはいえ、El Zurdo de Oro(黄金のサウスポー)は、まだ27歳(柴田は23歳)。

戦績は37戦36勝(26KO)1敗。唯一の黒星は8年前の10回戦時代に付けられたもの。

西城との統一戦、リングに戻ってきたジョフレとのビッグファイトへの期待が膨らむサルディバルが柴田に負けるとは、誰も想像だにしていなかった。