村田諒太は先日の引退会見で「一番思い出に残る試合」を聞かれて、デビュー戦の柴田昭雄戦を挙げました。

「現役のアジア王者である柴田選手にとって受ける必要のない試合だったのに、6回戦ものんでくれた」と感謝の気持ちを伝えるとともに、「負けたら究極の〝出落ち〟一番緊張した」と明かしました。

那須川天心もいま、究極の〝出落ち〟への恐怖と戦いながら、張り詰めた緊張感の中で過ごしているのかもしれません。



デビュー戦で敗北、つまり〝出落ち〟を経験しながら、世界王者に登り詰めた不撓不屈のグレートを、クロニクルで振り返ってゆきます。

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まずは、いきなり最強の大物登場です。

ヘンリー・アームストロング!

オリジナル8の時代に3階級制覇、ミドル級は惜しくもドローで届きませんでしたが、もしセフェリノ・ガルシアに勝っていたらフェザー、ライト、ウェルター、ミドルの4階級制覇を達成していたことになります。

多くの歴代PFPでもトップ3に数えられる、そんな偉大なHomicide Hankですが、1931年7月27日のプロデビュー戦は無名のアル・ロビーノにまさかの3ラウンドKO負けでした。



そして、時代は一気に下って1970年代を席巻したWBAウェルター級王者ピピノ・クエバス、ウェルター級史上屈指のスラッガーです。

日本でもその豪打で辻本章次を撃沈させたメキシカンもデビュー戦は、1971年11月13日。プロ戦績1勝1敗のアルフレド・カストロに2ラウンドKO負け。



バーナード・ホプキンスもデビュー戦を落としたグレートです。のちにほとんど全てのメディアがPFP1位と評価したB -HOPも1988年10月11日のデビュー戦は4ラウンド判定負け(MD)。

対戦相手のクリントン・ミッチェルもこの日がデビュー戦でしたが、この試合はなんとライトヘビー(175ポンド)契約でした。



リング誌の2012年Fighter Of The Year、PFPトップ5の常連だったファン・マヌエル・マルケスも、1993年5月23日のデビュー戦は相手選手が贔屓された不当判定と伝えられていますが、公式にはハビエル・デュランに1ラウンド終了失格負け。



兄と同じくPFPの常連でイスラエル・バスケスと死闘を繰り広げたラファエル・マルケスも1995年9月14日のデビュー戦は黒星。相手は辰吉丈一郎を初めてストップしたビクトル・ラバナレス。

ラファエルは「エキシビションだった」と主張していますが、8ラウンドKO負け。「8ラウンド」ということは、デビュー戦で少なくとも8回戦だったわけです。メキシコのリングはディープです。


そのラバナレスのデビュー戦は勝利こそしたものの、そこから3連敗。

ワシル・ロマチェンコも2戦目を落としていますが、相手は体重超過バージョンの世界王者オルランド・サリドでした。サリドやラバナレスは、デビュー戦や2戦目で当てちゃダメです。



日本人がらみでは、のちのPFPファイター、シーサケット・ソールンビサイのデビュー戦(2009年3月17日)を八重樫東が3ラウンドTKOで打ち砕いています。



日本人の世界王者でデビュー戦を落としたのは、WBAストロー級王者の星野敬太郎とセレス小林。



チャイニーズドリームを体現したWBOフライ級王者・木村翔もデビューは1ラウンドKO負けでした。



…しかし、アームストロングから木村まで、ここに挙げた不撓不屈の叩き上げボクサーたちの〝出落ち〟は、全く予想できなかったわけではありません。

村田諒太のデビュー戦とは全くニュアンスが違います。




その意味で、究極の〝出落ち〟はロベイシ・ラミレスで決まりでしょう。

キューバの至宝はロンドンでフライ級(52㎏)、リオデジャネイロでバンタム級(56㎏)で連続金メダル。

仕組まれたデビュー戦は、噛ませ犬のアダン・ゴンサレス。ところがダウンを奪われた末に判定負け。




天心ファンには「不吉なことを書くな!」と怒られるかも知れませんが、那須川天心が与那覇勇気との試合を、村田のように感謝とともに振り返る日が来るかもしれません。

いずれにしても、デビュー戦でこれほど注目を集めるボクサーは世界中を探してもまずいません。


注目のゴングまであと2日に迫りました。